映画が終わったとき、「あまり、泣けなかったね」という隣に座っていた女の子たちの会話が耳に入った。そりゃそうだろう。これは泣かすための映画ではない。そして、残念ながら高校生の<子供>が見る映画でもない。
大学生を描く映画というのは、実はそんなに多くない。学園ものの舞台は、ほとんど高校と決まっている。そんな中で、この映画は大学の校内を舞台にする稀有の映画だ。大学には高校のような夢物語はもうないか . . . 本文を読む
劇場で見た映画しか映画と思わないから、基本的にはここにはDVDで見たものは書かないのだが、今回は掟破り。やっと『好きだ、』を見た。これが実は、かなり微妙で。
とてもきれいな映像で、それだけ見てる分にはいい。でも、これでは映画とはいえない。17歳と34歳。ふたつの時間。ふたりの気持ち。ほんの短い時間の中でそれが描かれていく。宮崎あおいと瑛太。永作博美と西島秀俊。まるでドユメンタリーのようなさり . . . 本文を読む
鈴江俊郎さんがAIホールのファクトリーで出会った若い人たちと別ユニットを組んで作ったこの芝居は、とてもシンプルで分かりやすく面白い。8時半の時とは全く違うテイストを示しつつも、でもとても鈴江さんらしい作品に仕上がっている。
4人の女たちが同じ男にひっかかる。しかも彼女たちは同じ学校の同僚である。4人は自分から進んでお金をたっぷり貢いでしまう。素朴で真面目そうに見えるその男は、口がとてもうま . . . 本文を読む
岐阜の大垣で行われた野外バージョンのお話を制作の仁木さんから伺い、とても心惹かれた。筒井くんが音楽隊の2名を引き連れて町の中を移動してゆき、その後ろをお客さんたちがゾロゾロと追いかけていく姿が目に浮かぶ。様々な場所でパフォーマンスを繰り広げる。とても天気のいい1日になんかわからない奴らが街頭を移動しながら不思議なやり取りをするのを、子供たちや、近所のおじさん、おばさんが、暇そうに見てる。そんなの . . . 本文を読む
『クラッシュ』のポール・ハギス監督によるシナリオが見事だ。あの映画と同じように複雑に絡みあった事実や人物が一つになるまでを1本の映画として見せていく手法は彼ならではのやり方だろう。それをイーストウッドが手堅く演出していく。
最初は何を描こうとするのか、なかなかわからない。だだ巻き込まれていくだけ。しかし、そのうちその渦の中で何人もの兵士が死んでいったり、生き残ったりしていく中から、3人のドラ . . . 本文を読む
ふたりの少女が偶然出会う。一人は施設にいる自閉症気味の少女ニナ。もう1人は窃盗をしながらフラフラ生きるトニ。ベルリンの町を浮遊する2人の2日間のスケッチが淡々と描かれる。特別な思い入れもなく、ドキュメンタリーのような距離感がある。
そこに10年以上前に当時3歳だった娘連れ去られた女性が絡んでくる。この女は心を病んでしまい、今もずっと失った娘を探し続けている。フランスからここにやって来た彼女 . . . 本文を読む
この思いきり、へなちょこなこの映画をどう受け止めたらいいのか。見終わってかなり困った。本気で作っているくせに、、すごくふざけている。これに感動してたなんて言うときっとへんな奴と思われるはずだ。しかし、作り手はきっと大真面目である。よくある勘違いとは違う。これは確信犯である。ハリウッドがメキシコくんだりまで行きこんな脱力系の映画を作るなんて。驚きである。
この映画、実はあの隠れた名作『バス男』 . . . 本文を読む
長い長いまわり道をして、ようやく魔人ハンターミツルギは自分の芝居のスタイルを見つけ出した。
最初からこういう芝居が出来ていたなら、今頃はすごいことになっていたかもしれないが、それが出来なかったことに意味がある。彼にとってこのまわり道は人生の無駄ではなく、どうしても必要な試練だったのかもしれない。
遊気舎で後藤ひろひとのもと、やってきたことや、その後遊気舎を率いて自分の芝居との落差に苦しみ . . . 本文を読む
昨日『ベンチのある風景』について書いてから、いくつか気になることがあり、ずっと買っただけで読んでなかった『魂のシネアスト・高林陽一の宇宙』という本を開いてみた。
『あの遠い日の映画への旅』の増補版とも知らず買い、そのままにしていた本だ。高林さんの新作のタイトルは『愛あればこそ』ではなく『愛なくして』だった。まずそれに気付いて笑った。
『往生安楽国』は76年作品で、僕が彼の作品で好きなもの . . . 本文を読む
途中休憩なしの3時間15分。とんでもない大作である。そして前2作と同じように基本的にはモノローグ劇で、主人公の打上花火が全編出ずっぱりになるのは、彼女の内面の物語として作られてあるからだ。極端な言い方をすれば曼珠沙華も含めて全員がコロスのようになっているのだ。
「マクベス」を劇中劇も含めてベースとして使ったり、ゴトーが出てきたりと様々なテキストの引用、濫用もあるが、それらはひとりの女性の魂の . . . 本文を読む
第一夜の『明月記』が、ひとりの女の内奥を描いたように、この作品は、同じようにひとりの男の内なる孤独を、思いきり、みみっちく情けない姿のまま、さらして見せてくれる作品になっている。
この2本の芝居は、まるで合わせ鏡のようになっており、2本がそれぞれ、男と女を通して人間というものの姿を見せようとする。別々の2本の芝居がひとつになることで、人の営みの全容を示してみせるということだ。全体の構成も作り . . . 本文を読む
分かっていたことだけど、とてつもなくバカバカしく、無意味でナンセンス。青木さんは東京に行っても少しも変わりなく、おバカをしておられて、うれしい。思いっきりの筋金入りバカだと思う。こういうネタを使いながら、ここまでどうでもいい芝居にしてるのに、面白いというのはどういうことだろう?才能というのは恐ろしい。
ストーリーを追いかけていくタイプの芝居ではない。もちろんコントのようなものでもない。ただ笑 . . . 本文を読む
僕にとって高林陽一監督は、映画というものの本当の面白さを教えてくださった神さまのような存在だ。
『本陣殺人事件』からスタートする彼の商業映画のキァリアと同時に、彼の映画を見始めた。その後、全ての映画をリアルタイムで見続け、同時に初期の個人映画もすべて追いかけた。70年代から80年代にかけて彼と、彼の盟友でもある大林宣彦は僕にとって、まさに映画そのものであったのだ。
これは16年振りの高林 . . . 本文を読む
細部のリアルさがなくて、大雑把、見ていて突っ込みどころ満載のホクテンザらしい映画なのだが、三池崇史はそんな細かいことはまるで気にしない。低予算であろうが、大作であろうが、いつも同じ。ハンディーなんか屁でもない。いつものように勢いだけで見せきってしまうのだ。
社会派のように見えて、そうではなく、単純な復讐ものになるわけでもない。ジャンルに収まらない不思議な映画である。暴力は少年達の不気味な . . . 本文を読む
芝居を見ながら、何度も苦笑してしまった。こんなにも熱く芝居を夢見ることって、彼らの若さのなせる業だなと思う。正直言って今の僕には不可能だし、したいとも思わない。でも、彼らのこの眩しさは嫌いではない。傲慢なくらいに輝いている。
特撮ヒーローものに憧れる5人の中年男たち。(その中には1人女性もいるが)彼らは自分たちが生まれた頃に廃刊になった(昭和30年代後半くらいか)少年倶楽部というマンガ雑誌の . . . 本文を読む