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映画・演劇のレビュー

唐組『ひやりん児』

2011-04-28 22:05:51 | 演劇
 お話自体はいかにも唐十郎という感じで、おもしろい。相変わらず何が何だかわからないまま、どんどん話が進展していくのもいい。「リアカーひいて冷ややっこの王子が今とおる」なんていうコピーには心惹かれるし。劇の構造も人間関係もいつも変わらない。稲荷卓央の青年が藤井由紀のヒロインとともに(まぁ、自分からですが)事件に(というか、これを事件と呼ぶべきか)巻き込まれ、さまざまな敵対する人々に揉まれながら、真相に迫る、とか。もちろん唐十郎はおいしいところに登場し、話は一気に佳境に突入する、というのもいつものパターンだ。安心して見ていられる、と言えばまさにその通りなのだが、これではなんだか物足りないことも事実だろう。

 今回一番驚いたのは、上演時間がとうとう1時間を切ってしまったことだ。近年、どんどん短くなっていく傾向にあった唐十郎の新作だが、今回は1幕30分、2幕25分という、とても2幕もののテント芝居だとは思えないような長さである。芝居の内容自体もいきなり核心からスタートして、すぐにクライマックスを迎えてしまい、終わる。あっけない。作品自体には、余白とか、遊びとか、そういう要素がまるでない。と、いうか、遊びといえば全編が遊びでしかないのかもしれない。ストーリーらしいストーリーはない。人間関係もとても単純で、そこには劇的な展開すらない。と、いうか考えようによっては、全編が劇的で、あれよ、あれよという間にラストに行き着く。ジェットコースターに乗っているみたいだ。でも、それってものの例えではない。だってジェットコースター並みに実際あっという間なのだから。比喩になってない。普通そういうのって2時間くらいの芝居なのに、まるで一瞬の出来事のようだった、という時に言う例えでこの芝居のようにほんまに1時間しかないのでは、しゃれにもならない。これを1本の芝居と呼ぶのは、ちょっと違う気がする。もちろん最初からこれが中編だとか、短編の芝居として作られてあるのならいいのだが、どう考えたってこれは長編の語り口である。これだけの人間が登場するのに、それぞれの人物にあれくらいの役割しか与えないなんて、あんまりではないか。まるでダイジェスト版を見ている気分にさせられる。

 正直言ってこれではもったいない。天下の唐十郎作品なのだから、誰も文句を言わないのだろうけど、これってちょっとした詐欺ではないか。(あっ、言っちゃった!)作品がつまらないのなら、まだあきらめがつくが、芝居自身はいつもの唐十郎の世界で、だから、ここにどっぷり浸かりたい。なのに、1年も待ったのに、たった1時間でテントから追い出されるなんて、なんか不条理だ。体力的にも無理が利かないのかもしれないが、できることならじっくり腰を据えた芝居作りをしてもらいたい。僕なんかまだ30年ちょっとしか、唐さんの芝居を見ていないような若輩ものだが、それでも、昔、天王寺の野外音楽堂に建てられた紅テントで見た数々の作品の感動と興奮は忘れないし、記憶の中に鮮明に今も残っている。だからこそ、これからもずっと唐さんの芝居を見続けていきたいと思っている。それだけに、こんな形骸化した芝居は見るに忍びない。


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