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映画・演劇のレビュー

井坂幸太郎『死神の浮力』

2013-11-30 23:34:41 | その他
 初めて井坂幸太郎を読んだのは『死神の精度』だった。でも、たまたま読んだあの作品はあまり面白いと思えなかった。彼らしさがそれほど出ていないからだ。そのあと、映画化された『アヒルと鴨のコインロッカーを』を見て衝撃を受けたのが、彼の小説をちゃんと読み始めたきっかけだ。今考えたなら、出会いが悪かったのだ。死神はあまりによくわかる仕掛けがなされすぎている。だから、彼の得意のとんでもない人と人との関わり合いが、突出しないのだ。だって、死神だから、である。その結果、何でもアリになった。

 でも、他の小説は違う。一見ふつうの人たちがどこでどうなり、こんなふうにこんがらがっていくのか、わからないほどに錯綜し、それはものの見事に一つに収まっていく。彼の手品のような小説の虜になっている人はたくさんいるはずだ。もちろん、僕もそのひとりだ。中村義洋監督はそんな彼の小説を見事に映画化してくれる。ぜひ、また彼の手で井坂作品を映画化してもらいたい。でも、その時はこの『死神の浮力』はご勘弁願いたい。(『死神の精度』は金城武主演で既に映画化されている。)

 さて、よくやく、この小説のお話だ。今回は短編連作だった『精度』と違って、長編である。だが、なんだか水増しした長編、という感じでキレがない。前作以上に違和感がある。400ページ以上の長さにする必要性がまるで感じられないのだ。特に、絶対的な悪である犯人の本城にまるで魅力がない。しかも、主人公である山野辺のほうにも。これでは、死神がどれだけ頑張っても(というか、彼はがんばらないけど)浮かばれない。せっかく再び死神を登場させたのに、どうしてこんなことになったのか。さすがの井坂でもスランプなのか。犯人側の狂気に説得力がない。だから怖くない。ただ嘘くさいだけ。世の中の25人に1人はこういう人間がいて、彼らは悪に対してまるで抵抗がないということらしい。でも、それにしても少しは動機が欲しい。それを描かないのならそのことの怖さが欲しい。これでは嘘くさいだけで納得できない。この本城という男には悪の魅力すらない。次回作に期待しよう。

 終盤で死神が自転車で車を追いかけるシーンがあるが、バカバカしいにもほどがある。あんな展開をしてしまったら、もうなんでもありになる。小説ではない。だいたい松田優作ではなののだから、そういうことをしてはいけない。

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