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映画・演劇のレビュー

『ジ、エクストリーム、スキヤキ』

2013-11-30 23:35:04 | 映画
 心配ばかりしているけど、この映画も見事なまでにガラガラだった。公開8日目の土曜日なのに、10人ほどしかいなかった。大丈夫か?
今、映画館に行くと、いつもこんな感じ。どんどん封切られてすぐに消えていく。見たいものはさっさと見に行かなくては見ることができない。

 前田司郎監督作品である。ついに、あの前田司郎も映画監督に進出。でも、いかにも彼らしい映画で、監督デビューの華々しさはない。というか、彼にはそういう気負いのようなものは皆無だ。この脱力ぶりが彼の芝居や小説と同じ。映画館でこれが見れる日がくるなんて、なんだか、微妙。だって、これを映画でされると、なんか、こういうのって映画じゃない気がする。貧乏くさいし、まるで活力がわかない。もちろん、何にも起きない。というか、いきなり冒頭で主人公(井浦新)が死んでるし。

 そこから始まる再会の物語。でも、死んでるから、再会は嘘。再会しないから、というか、もう出来ないから。でも、彼はやってくる。幽霊ではない。これって、もう現実じゃないけど、でも、まるで説明とかなく、来る。(自殺したのに、最後には立ちあがり、車のところに行くけど、あれは何?)

 井浦新が突然来るらしい、という連絡があった、らしい。もう15年も音沙汰なかったのだ。そんな縁を切ったはずの人(大学時代の友だち)と会う。なんかわからないけど、突然やってくる、って電話あって、仕方ないから。

 窪塚洋介の部屋の散らかり方がとてもリアルでもうそれだけで、力抜ける。凄すぎる。冬なのに扇風機が出たまま。生活臭があるとか、そういう次元ではなく、もうドキュメンタリー? いやいや、ただの覗き見している。会話も、まるでただのスケッチ。

 そんなふたりが、カメラを買うために秋葉原に行く。窪塚は映画を撮るつもりだ。だから、ビデオカメラを購入するために来た。なのに、まるで電器屋がない。なんか違うところを歩いている。2人が歩くシーンを延々と撮る。仏壇屋に入る。このシーンが凄い。まるで無意味に長い。意味はないのに面白い。そこでなぜか如来を購入するというオチがつく。別に深い意味はない。というか、このシーンには意味がない。でも、そういういい方をすると、この映画には意味なんか最初からない。

 でも、そのだらだらした無意味が前田司郎の魅力なのだからどうしようもない。30過ぎてフラフラしていて、ちゃんとした仕事もないくせに、カメラも持たないで映画撮るとほざいている。この会話劇はホン・サンスの映画を見ているよう。市川実日子の登場シーンで流れるムーンライダーズの『いとこ同士』とか、ありえない。えっ、て感じ。

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