何も知らずに見たから、この展開には驚いた。あっ、でもそれは嘘かも。もちろん予告編を見ていたからこれが衝撃作であることは、想像はついた。しかも、キネマ旬報の批評もさらっと流し読みで、読んでいたから、これが凄いことは充分に予備知識として仕入れていたのかも知れないが、それでもまるで先が読めないし、一体何が起こっているのかも、わからないまま、どんどん話の中に引き込まれていく。凄い。この有無を言わさない展開。大体メインタイトルも出ないまま、いきなり本題に入るのだ。ラストシーンの後でようやくメインタイトルが出る。時々こういうパターンの映画はあるにはあるが、この映画のこのやりかたは的を射ている。
どこが舞台となるのか、わからないまま、この作品世界に放り込まれる。そういう事前知識がなかった。だが、日本語タイトルにあるように、灼熱の大地が舞台。でも、母を失った双子の姉弟が住む場所は、北の文明国で、フランス語を話からカナダだな、というのはすぐにわかる。だが、2人の母親が生まれて、生きてきた場所はどこなのか。わからない。中東の紛争地であることはわかる。場所の指定は終盤までなされない。敢えて、そういうふうにしたのだろう。宗教の紛争が、殺し合いになるなんて、悲しいことだが、世界中のどこででも起きていることだ。先日見た『アレキサンドリア』がそういう話だった。これもキリスト教とイスラム教の争いから生じる内乱がドラマの根幹となる。35年前と現代を結び、でも、なんら変わらないまま今も、憎み合い、本質的にはなんら変わらないまま、そこで生きている。今も一触即発の危機感が漂う。
母の秘密を明らかにするため彼女の記憶をたどり、旅する現在の時間と、母親のたどった35年前のドラマを並行して見せていく。そうすることで母と娘のそれぞれの旅が描かれていく。さらには、姉を追いかけて、不本意ながらこの地にやってきた弟も巻き込んで、2人は母の真実を目撃する。その事実に唖然とさせられる。
もう何が起きても驚かない。そんな気分にさせられる。先日『ヒミズ』を見たときも、同じようなことを思ったが、今回はあれ以上の衝撃だった。もう感覚が麻痺しそうだ。だが、これが事実なのだからそこから目を背けることは出来ない。これは映画として扇情的でセンセーショナルな作り方をしようというのではない。この事実を適切に伝えるための正しい方法なのだと思う。この重いものを、主人公の2人(それは、母と娘、姉と弟、母と息子、というふうに様々な組み合わせになる!)だけでなく、僕たち観客もまた抱え込むべきなのだ。だから説明なしの問答無用の展開が必要だったのだろう。凄い傑作である。
どこが舞台となるのか、わからないまま、この作品世界に放り込まれる。そういう事前知識がなかった。だが、日本語タイトルにあるように、灼熱の大地が舞台。でも、母を失った双子の姉弟が住む場所は、北の文明国で、フランス語を話からカナダだな、というのはすぐにわかる。だが、2人の母親が生まれて、生きてきた場所はどこなのか。わからない。中東の紛争地であることはわかる。場所の指定は終盤までなされない。敢えて、そういうふうにしたのだろう。宗教の紛争が、殺し合いになるなんて、悲しいことだが、世界中のどこででも起きていることだ。先日見た『アレキサンドリア』がそういう話だった。これもキリスト教とイスラム教の争いから生じる内乱がドラマの根幹となる。35年前と現代を結び、でも、なんら変わらないまま今も、憎み合い、本質的にはなんら変わらないまま、そこで生きている。今も一触即発の危機感が漂う。
母の秘密を明らかにするため彼女の記憶をたどり、旅する現在の時間と、母親のたどった35年前のドラマを並行して見せていく。そうすることで母と娘のそれぞれの旅が描かれていく。さらには、姉を追いかけて、不本意ながらこの地にやってきた弟も巻き込んで、2人は母の真実を目撃する。その事実に唖然とさせられる。
もう何が起きても驚かない。そんな気分にさせられる。先日『ヒミズ』を見たときも、同じようなことを思ったが、今回はあれ以上の衝撃だった。もう感覚が麻痺しそうだ。だが、これが事実なのだからそこから目を背けることは出来ない。これは映画として扇情的でセンセーショナルな作り方をしようというのではない。この事実を適切に伝えるための正しい方法なのだと思う。この重いものを、主人公の2人(それは、母と娘、姉と弟、母と息子、というふうに様々な組み合わせになる!)だけでなく、僕たち観客もまた抱え込むべきなのだ。だから説明なしの問答無用の展開が必要だったのだろう。凄い傑作である。