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映画・演劇のレビュー

『戦場のナージャ』

2012-01-20 21:27:14 | 映画
久々のニキータ・ミハルコフ監督の新作だ。(あっ、でも数年前に『12人の怒れる男』があったなぁ)しかも今回は戦争大作である。渾身の力作だった。スターリン政権下、不可侵条約を破棄して侵攻してきたドイツとの戦いを描く。だが、作分自体は前作である(でも、あれから16年も経っている!)『太陽に灼かれて』(84)の完全な続編というスタイルを取る。平和な田園風景を背景にした前作の父と娘のたどったその後が描かれていく。実際の親子であるミハルコフと彼の娘が主人公になった前作通り、今回も2人が主人公を演じる。幼かった娘は立派に成長し、美しい女性となる。暖かい黄色を基調にして、静かに描かれた前作とは当然まるで色調も変わる。モノトーンというよりも、暗い灰色というほうがいいだろう。1941年の戦場の描写と、スターリンと、彼に呼び出されたドミートリ(彼も含めて3人が前作の主人公だ。そして今回もこの3人がそのまま主人公となる)の対峙する43年の描写が交錯する。

 中心となるのは、革命の英雄であるにもかかわらず、党から見切られた父親のたどった悲劇のドラマと、娘のたどった悲惨な現実を描くパートだ。彼らの話を両輪にした1941年のドラマと1943年、この2つの時間を行き来しながら綴られていく。映画は1本の道筋をたどるのではなく、いくつもの点景として、断片的にこの親子の別々のドラマを綴っていく。それは、まるでドキュメントのような描写だ。これはお話ではなく、そこで起きたこと、その現実を、淡々と見せていく。そして、その個々のエピソードの圧倒的な迫力に圧倒される。その事実に目は釘付けにされる。

 たとえばこうだ。赤十字の旗を大きく掲げる船へのドイツ軍パイロットの嫌がらせ、それはほんのちょっとした出来事で、一瞬で阿鼻叫喚の地獄になる。恐怖に怯え、静まりかえった村にやってきたドイツ軍による虐殺。このシーンも平和な風景が一瞬の後、凄まじい状況になる。しかも、どちらも私怨がきっかけである。1人のドイツ軍人が殺されたことで、船に乗る全ての子供達や負傷者たちを皆殺しにする。村ごと焼き払う。ナージャがたどるこの2つのエピソードだけではない。すべてのシーンは、まるで、それぞれが独立した短編のような趣がある。だから、これは大河ドラマではない。

 前作の父が幼い娘を抱きかかえるシーンを何度も挟み込みながら、ミハルコフ演じるコトフがドイツ軍医よる空爆により、混乱した強制収容所から脱獄するシーンから始まり、様々な出来事をたどる姿が描かれていく。映画は目を背けたくなるような現実をしっかりと描く。そこには何が正しくて何が間違いなのかという、答えはない。もちろんこの映画の中では一方的に残虐の限りを尽くすドイツ軍ですら、単純な悪ではない。歴史の事実をしっかり見極めるために、この映画は作られる。この映画のラストは終わりではない。瀕死の青年の前で「僕はまだ女の人の裸を見たことがないのです」という彼に、自らの裸の姿を見せるナージャの背中を描くあのラストシーンの切なさが胸にしみる。この映画はきっとここから始まる。

 完成は何年後になるか、わからないが、この作品の続編、そして完結編となるはずの第3作が待ち遠しい。(でも、早く作らなくては同じキャストでは出来なくなるよ!)


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