
まさかの映画だった。期待することもなく、たまたま時間の都合で見れそうだったから見たのだが、ほんの少しの期待を遥かに凌ぐ作品だった。見てよかったし、うれしい。『トップガン マーヴェリック』を見た興奮冷めやらず、の状態で引き続き見たのだが、あの大傑作に勝るとも劣らぬ作品だ。この2本への評価には個人的な感慨もある。どちらも僕と同世代のお話(佐藤浩市は準主役だけど)だ。60歳を迎える彼らが、今、自分の仕事とどういう風に向き合うのかが描かれている(気がした)。
もちろん、この映画の主人公は神尾 楓珠演じる青年だ。彼の15歳から亡くなる20歳までの5年間が描かれる。そこに寄り添うのが佐藤演じる教師である。吹奏楽部の顧問の音楽教師である。彼の年齢設定は映画では一切ないけど、佐藤が演じる以上50代の後半ということになる。5年後のラストでは60歳くらいではないか。定年が視野に入っているはずだ。もちろん、この映画ではそんなことにも触れることはない。自分の話で恐縮だが、僕も40年間高校で教師をしてきた。ずっとクラブばかりやってきて、とんでもない数の生徒たちと共に3年間を過ごした。もちろんこの映画の先生とは違うけど、同じようにクラブを通して生徒たちと貴重な時間を過ごした経験が今の僕を作った。それは自分の人生のすべて(ではないけど)だったかもしれない。そんなことを考えながら、この映画を見ていた。もちろん、これはそんなことを描く映画ではない。
当たり前だろう。これは彼を描く映画ではない。主人公は何度も言うけど神尾 楓珠だ。だが、その主人公に強い影響を与え、彼の人生の指針になる男が佐藤である。将来先生の後を継いで、高校の音楽教師になり、市立船橋高校吹奏楽部に戻ってくる、というのが彼の夢になる。それくらい信頼し、目標とする存在なのだ。今まで佐藤浩市がこんな役を演じることはなかった。高校の教師役なんて今までのキャリアではありえない。なのに、今回彼がこのオファーを受けたのはなぜか。この実話をベースにした(しかも登場人物は実名である。ほんの数年前の出来事だから、主人公以外みんな今も生きている!)実録映画だ。映画向けに脚色はしてあるが、基本は実際にあったことを忠実に再現しているはずだ。いろんな意味でリスクは高い。安易に引き受けたわけではない。この役の重要性をしっかり受け止めてオファーを受けたのであろう。そして彼がこの役を演じなくてはこの映画は成立しなかった。
さて、映画は実在した「 浅野大義」という青年の生きた時間を描く。たった20年の人生で彼が何をしたのか、何を望んだのかが描かれる。これはただの難病映画とは一線を画する。当然お涙頂戴映画ではない。観客に媚びた作りものではなく、彼の心の叫びを、その真実を描くことが目的だ。だけど、それは困難を伴う。ドキュメンタリー映画ではなく劇映画としてこれを作ると、どうしても嘘くさくなる。作り手側が知らぬ間に感傷過多になることも懸念される。だから慎重にドライブすることが求められる。だが、大胆に、いかにも「映画」、という描き方も必要だ。そこで高校生を主人公にした映画の定番になる屋上のシーンも盛んに盛り込んだ。(現実では屋上を開放しているような高校はない。)実話に引きずられて、委縮することなく、実話であることの意味を損なうこともなく、映画だから可能な表現を目指す。秋山純監督はTVで培ってきたノウハウを生かしながら、無理することなく映画を作る。映画だからと気張るのではなく、映画である以前にこれは浅野君の人生の記録なのだという事をまず第一に考えた。TVドラマのよく使うクローズアップの多様も、この場合は悪くはない。結果的に主人公に寄り添う。ベタなシーンも臆することなく描く。尾野真千子演じる母親の過保護な姿もそれは必要なものだと思わせる。息子が大好きだという当たり前を真正面から表現している。だから嘘くさくはない。
葬儀のシーンでの演奏がクライマックスだが、彼の人生を描くこの映画にとってそこが一番大事なところではないから、ちゃんと抑えて描いてあるのも好ましい。声高に叫ぶのではない。密かに、誠実に、彼の生きた時間を(そして、死んだ後の時間も)見守るのだ。そのためには2時間16分という長尺は(無駄がないし、)必要だったのだろう。
神尾 楓珠は素晴らしい演技を見せた。無理なく自然に主人公を演じた。そして彼を囲む仲間たちもよかった。役者と実際の高校生たち(市立船橋高校、同校吹奏楽部が全面協力をしている)との混合チームも自然だ。この映画はドキュメンタリーでは不可能なことに挑戦している。原作者(中井由梨子 )自らが脚本を書いているのもいい。彼女が密着取材して書き上げた作品を映画としてアレンジする上で、原作に捉われることなく、浅野大義の真実に迫ろうとした姿勢がしっかりと伝わってくる。
今ここで生きていることがどれだけ尊いことなのか、そんな当たり前のことを噛み締める。これはそんな映画になっている。