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映画・演劇のレビュー

くじら企画『サラサーテの盤』

2022-06-05 14:02:41 | 演劇

なんと初演から30年近くの歳月が経つらしい(と、ここは他人事のように書く)。94年「当時の主宰である大竹野正典(1960ー2009)によって発表されました」とチラシにはある。そうなのか、そんなにもあれから歳月は過ぎていったのか、と改めて感慨に耽る。もちろん、初演を見ているし、すべての大竹野作品を見ているのだから、それくらい覚えておけよ、と言われそうだ。でも、僕はもうすぐにいろんなことを忘れてしまうようになった。この芝居を初めて見たときが、ついこの間のことのように思える。だから、30年と言われると驚くのだ。再演の芸術創造館公演は素晴らしかった。闇の中に吸い込まれていくようなラストが鮮烈だ。と、思った。昨日この芝居を見る前、開演前雑談をしていて、「あのアイホールでの公演は素晴らしかった」とか知り合いに喋っていた。でも、後で考えると、あれはアイホールではなく創造館だ。なんという勘違い。ハズかしい。でも、「闇の中に吸い込まれる」という感じは、間違いない。闇の深さというと、アイホールを連想したのだろう。だいたいアイホールでの公演は『怪しい来客簿』だったはずだ、とか。大竹野とは彼が高校1年生で僕のいる学校に入学してきたころからの付き合いだ。高校生の時からずっと彼の作ってきた芝居を最後まで見てきた。そんな彼が亡くなって10年で(没ジュウ企画)でブレイクしたのは、彼の仲間の力だろう。そしてその活動は今も続く。それはもう前代未聞、稀有のことだろう。

さて、今回3度目の再演となるサラサーテである。なんと「内田百閒没後50年記念公演」と銘打たれた。今回の芝居に内田百閒先生まで巻き込んだのだ。あきれる、というか、もうとんでもないことだ。しかも、実は今年は51年目らしい。なんともいいかげんだ。でも、そういうアバウトさがいい。50年も51年も変わらない。それはこの作品が描くところと同じ。生きているものも死んでいるものも同じ。どちらも今ここにいる。(だから、大竹野もここにいる。)

舞台中央にいるウチダという男のところに弟子たちがやってくる。4人が彼を囲むのだが、4人はひとりで、ひとりは4人。ウチダのもとを訪れるのは懐かしい死者たちであり、愛おしい生者たちだ。ウチダはそこにいて、彼らと言葉を交わす。空から石が降ってきて、屋根に当たる。カランコロ、カラカラカラと。不思議なことではない。不思議なんてどこにでもある。サラリとしたタッチで綴られていく記憶の中の旅。ここにいるけど、ここにはいない。どこにもいないわけではなく、どこにでもいる。一人の老人がいる。自然にそこにいる。でも、誰も彼を知らない、ということに後になって気づく。そのテリーさんと呼ばれる老人(彼は外国人ではない! 照り焼きのテリ)を今回はオットー高岡が演じる。座敷童の老人版のような存在で、実は彼はずっと以前に死んでしまったウチダの父親だ。

お話は明確なストーリーラインを持たないし、一貫性もない。自由きままな連想で綴られていくばかりだ。帰着点もない。なぜナカサゴの妻が毎夜訪ねてくるのか、ということの理由は描かれる。だが、そこに意味はない。すべてがそんな感じで、わけがわからないと思う人だっているだろう。でも、それでいいし、それがいいのだ。これはそんな作品なのだから。内田百閒の世界を幻想的に描いた作品だ、ということで納得するといい。

これまでの3度の公演と較べて今回はとても力が抜けている気がした。こんな芝居だったのか、と驚く。軽やかさは作り手の進化ではない。歳月の力だ。30年は大きい。くじら企画のすごいところは、大竹野が死んでしまっても、まるで動じることなく、それどころかそれすら自然のこととして受け入れて、劇団ではないのに、劇団のように10年以上公演を続けているところだ。それどころか、なんと今回は初めての東京公演だ。彼が生前できなかった(しなかった)ことを彼の仲間はこのコロナ禍で、軽やかにこなす。なんてことだろう。「苦節うん十年、ついに東京進出」なんていうのではない。「まぁ、東京でもやろうかね、」という感じ。

冒頭の下手からゆっくりと舞台中央へやってくる戎屋海老の姿を見ていて「なんだよ、これって転形劇場のパロディか、」なんて思った。ユーモラスなのだ。これから始まる芝居への余裕が感じられた。初演からずっと同じ役を演じている彼だから、可能なパフォーマンス。それはラストの若い日の(父親が死んだときの)ウチダが、一気に現在のウチダになるシーンも同じ。老いも若きも同じ自分だ。だからその落差を落差ではなく、同等のものとして演じる。彼の芝居を受ける妻役の小栗一紅も無理がない。

この芝居のことを書きながら、どんどん自由に好きなことを書き綴れる。この芝居のどこのことをどのタイミングで書いてもいい。そんな気になる。だから、今回のこの文章はいつもにも増して、とりとめもない。でも、気にしない。まだまだ書きたいことはあるけど、とりあえず今はここで止めておく。(合掌。)


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