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映画・演劇のレビュー

『20世紀少年 最終章 ぼくらの旗』

2009-08-30 15:37:07 | 映画
 とてもよく出来た映画に仕上がっていた。世紀の大イベントでもある『20世紀少年』の完結編である。3部作として構想され2年かけて上映させる。60億とかいう日本映画史上最高最大のスケールで作られて、しかも大ヒットした。日本テレビが総力をあげて作り、最高の形で公開する。現状の興行形態だからこそ成立した映画であろう。投資に見合うだけの、というかそれ以上の利益をしっかり生む。すごいことだ。ハイリスク、ハイリターンの見本のような映画になった。きっと今後もこれをモデルケースにした映画作りは行われるだろうが、ここまで上手くいくことはもう2度とあるまい。最初で最後、と断言してもいいだろう。

 この映画が僕たちの琴線に触れてきたのは、あまりにミニマムな設定と、それがありえないスケールとなり、再生されるところにある。20世紀という時代、その後半から21世紀にかけて。僕たちが現実に見てきた歴史が根底にある。『未来』が現実になっていく瞬間に立ち会うはずだったのに、未来はただの現実でしかなかった、という当たり前に気付く。この映画が注目したのはその一点だ。

 万博に行けなかった。その事実がすべての原因だと知らされた時、あまりのことに笑ってしまうのではなく、凍りついた。だが、当時の子供たちにとってエキスポ70、万国博覧会は世紀の大イベントで、そこには世界の未来がある、と信じた。日本人がまだ無邪気で夢を信じていた高度成長期のお話だ。これは、あの頃小学生だったすべての子供たちへのオマージュである。

 ひと夏中、大阪の親戚の所に行き、毎日万博に行くはずだったのに、家の都合で行けなくなった。1969年夏。映画のスタート地点だ。これまでずっと伏せられていた「ともだち」の秘密が明らかにされていく。ただ、ともだちが欲しかった。なのに、それが言えなかった。それだけのことが、少年の人格すら破壊していく。それだけのことが、人類を滅ぼしていくきっかけとなる。なんと大胆な設定だろう。それを上映時間7時間以上の超大作にしてしまった。これはわかっていたことだが、それにしても壮大すぎる。

 今回の映画は「完結編は面白くない」という従来の定説を覆す。それは、もちろん偶然ではない。必然だ。最初からこの結末にむけてドラマは作られてきたのだ。第1作にすべてをつぎ込んでしまうことで、徐々に尻つぼみになってしまう計画性のない3部作とは違う。最初から3本撮りを前提にして、長い期間かけて1本ずつ作っていくというTV的なスタイル(一気に3本撮ってから、順次公開するのではなく、1本目の公開中に2本目を撮影していくというスケジュール)が、この場合いい方向に作用した。不必要に長すぎることも、むやみにはしょることもない。(その点が『レッドクリフ』とは違う)ちょうど適正な上映時間を用意してあるのもいい。

 さらには1本ずつがちゃんとしたテーマを持ち、独立しても成立する。そのくせ当然のことだが、1本の作品なので、各エピソード間の整合性はしっかりある。こういうあたりまえのことすらおざなりにされる映画も多い中、この作品は誠実である。第1作は60年代末という時代と、20世紀末という時代をつないで、『何かが、起こる』予感を描いた。ここではサインだけで何も起きない。なのにあんなにもドキドキさせられた。9歳の子供が40歳を迎えることのリアリティーがそこにはしっかり描かれていたのだ。だから、あの映画はあんなにも面白かったのだ。続く第2作は今からほんの少し先の近未来が舞台だ。だからこれはふつうのSF映画になってしまった。主人公も高校生の女の子になり、ありきたりの映画となった。だが、そんなことは最初からわかっていたことだ。シリーズ中唯一つまらない話となる、という前提のもと、あの映画はよく頑張った。あの映画があったから、だから、この第3作は成功したのだ。

 この映画が凄いのは、「過去をやり直すことで未来を変える」という今までありえなかったパターンの話を平気で作ったところにある。しかも、それを単なるタイムトラベルものとしてやるのではなく、あくまでも現在をベースにして描く。こういうことだ。封印された(なんとこの映画の試写はラスト10分を上映しなかったらしい。でも、それでも映画は完結するように作られてある。だいたいあの10分は蛇足だ。だが、あの蛇足の中に作者のこの映画に込めたメッセージがあることも事実だ。)あのラストに込めた想いは、よりよい未来へと人をつないでいく、というメッセージだ。『ターミネーター』シリーズが過去に拘るちまちました話に終始するのに対して、この映画はしっかりと自分たちの未来は自分たちの今の力で守ろうとする姿を描く。「ともだち」を倒して世界を滅亡の危機から救うというヒーローものの定石をきちんと踏まえているのもいい。

 とても個人的な記憶と、小さな世界での出来事、そこをきっかけにして普遍的なドラマを展開し、最後にはまたあまりに個人的な後悔をやり直していくことで、ハッピーエンドにつなぐ。ケンヂがともだちと出会うラストは素晴らしい蛇足だ。壮大なスケールのドラマにふさわしくないささやかすぎるエンディングである。そこに作者の心意気すら感じた。

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