人力でGO

経済の最新情勢から、世界の裏側、そして大人の為のアニメ紹介まで、体当たりで挑むエンタテーメント・ブログ。

『風立ちぬ』・・・ナウシカと結婚してー!!という欲望の果て

2013-09-10 03:27:00 | アニメ
 


「風の谷のナウシカ」 スタジオジブリ



「風立ちぬ」 スタジオジブリ


■ 絶対に見に行かないつもりだったけど、観ちゃった・・・・ ■

先日、劇場予告のやり方があまりに映画ファンを冒涜しているので、絶対に劇場へは行かないと宣言した『風立ちぬ』。
http://green.ap.teacup.com/pekepon/1226.html

JINさんが、絶対に劇場で観るべきだと仰るので、前言を撤回して観て着ました。
私の「絶対」ほど軽いものは無いのです。「辞めちゃう詐欺」の宮崎氏を非難など出来ません。

さて、感想は・・・・アニメファンなら正座して観るべし!

■ ナウシカとヤリてー!!という欲望丸出しの映画 ■

ご批判殺到を覚悟して書きます。
この映画、「ナウシカとヤリてー」という宮崎監督の純粋な欲望が炸裂した青春映画です

宮崎監督の描く女性像(主に少女)が似ていることは良く指摘されています。上の画像はナウシカと『風立ちぬ』のヒロインの菜穂子です。あれれ、ソックリです。

結核を患い、サナトリウムで療養している菜穂子は、恋しさのあまり療養所を抜け出して名古屋の主人公の下へ訪れます。死を覚悟した菜穂子は、最期の時間を主人公と過ごす事を望んだのです。

その場で上司を仲人にして結婚した二人。上司の家の離れでの結婚初夜。
床に横になる菜穂子を「疲れただろう」と気遣う主人公。
「・・来て」と布団の片側をまくる菜穂子・・・・。

キタァァァーーーー。
今時、AVでもあるまいし、「来て・・・」はネーだろう!!超ハズイんですけど!!

そう心の中で突っ込みを入れつつも、そんなヒロインにドキドキしてしまう自分が居ます。ナウシカの顔をしたヒロインが、「来て・・・」ですから、往年のアニメファンは鼻血噴出で死亡確実です。


「風立ちぬ」 スタジオジブリ

・・・直前のシーンまでは、髪の毛はボブだった様な・・・・。
結婚式のシーンでいきなり髪型チェンジ!!
そしてその姿は・・・ナウシカそのもの。
ビックリだぁーーー!!
「結核」=「腐海の毒」と考えれば・・・。


■ 良い意味でも悪い意味でも、素直な映画 ■

まあ、観ているこちらが照れくさくなる程に、『風立ちぬ』はピュアーな恋愛映画でした。宮崎監督は『紅の豚』で、自分を主人公にして飛行機乗りの英雄を描きます。ただ、照れくさいので主人公の姿はブタにしていますが・・・。

この映画を撮り終わった後、宮崎監督はしごく反省します。「あんな映画作るんじゃなかった・・」と。この発言を世間は真に受けて、『ブタは駄作』という評価が定着しています。

しかし、私は『紅の豚』こそが、宮崎駿のピュアーな願望がストレートに現れた作品だと思っています。中年の飛行機乗りが、若い女の子にカッコイイ所を見せたくて、頑張っちゃう。あくまでもハンフリー・ボガードみたいにクールにタフに。

もう、自分の理想を思い切り詰め込んで劇場映画一作を作ってしまった。それを試写室で観た宮崎監督は赤面した事でしょう。これって、超ハズイじゃん・・・・。

ある程度の年齢に達すると、人は欲望を隠す様になります。私は作家やマンガ家の初期の作品が好きですが、それはストレートにその人の欲望が現れているからです。荒削りでも、絵がヘタクソでも、ピュアーな欲望の表出にはドキドキさせられます。

『紅の豚』にはこのドキドキ感があった。主人公の豚にシンクロして、雲を切って、颯爽と飛行機を飛ばす爽快感、可愛い女の子にチヤホヤされるくすぐったさ・・・。

『もののけ姫』以降の宮崎作品には、宮崎監督本人に相当するキャラクターは二度と登場しません。ですから、私は最近の宮崎映画に共感する事が出来ません。少年宮崎であるパズーも、理想の彼女のナウシカも出て来ないからです。

『ものけ姫』に惚れられるか・・・無理です。殺されちゃうし・・・。
『千と千尋の神隠し』の千尋に惚れられるか?無理です。顔、カワイク無いし・・・。
『ポニョ』に惚れられるか?無理です。魚だし・・・。(お母さんはイケテますが)

そんな、自分のピュアーな欲望を封印して来た宮崎監督が、齢70にして青年の様に自分の欲望を表現したのが、『風立ちぬ』なのだと思います。理想の女性は、凜として芯が強く、そしてちょっと儚い美人。そんな彼女を守るのは、勿論宮崎氏本人。

引退宣言も納得できます。
映画の出来栄えに満足したのでは無く、自分の欲望を他人に告白した脱力感と不思議な満足感に浸っているのでは無いでしょか。(全く勝手な解釈ですが)

■ リアルな人物描写がヘタクソな宮崎監督 ■

ところで、この作品、あえて批判するならば、リアルな人物描写がヘタクソ。
尤も、これは宮崎監督の特質とも言えるもので、高畑勲との決定的な差でもあります。

宮崎作品のキャラクタは良く動きます。画面狭しと動き回りながら、短いセリフを印象的に吐いて行きます。会話はぶっきら棒で、前後の文脈も無視したりしていますが、そこは絵の雄弁さが補っています。これ、ディズニーアニメも似た感じです。(現実の会話は実はそれに近いのですが・・・)

一方、『風立ちぬ』は、実話を元にしているので、キャラクターの動きや表情の変化は限定的です。ですから、登場人物は普通に会話します。ところが、そのセリフの繫がりが悪いのです。ダイジェストの映像を見ている感じと言えば伝わるかと思うのですが、セリフで説明するには舌足らずで、映像に語らせるには間が足りない。余韻や含みを持たせる間も無く、次のシーンになってしまいます。だから、人物にどうしても厚みが出てきません。セリフの裏にある複雑な感情を暗示する事もありません。結果として、どの人物も表面的でツルンとしているので、感情移入が難しい。

現代の一流作家達は、セリフ回しが非常に上手いので、たとえキャラクターが単なる△という記号であろうが、視聴者を感動させ涙させる技量を持っています。そういう脚本に慣れた私達にとって、宮崎監督の脚本は、少々物足りなさを感じるのかも知れません。

宮崎監督が、そういう演出が出来ないのかと言えば、従来のナウシカやジータと言った無口なヒロインキャラでは出来ていたので、『風立ちぬ』では、宮崎監督が完全にキャラクターを掌握しきれていないだけなのかも知れません。

■ ピュアー過ぎる世界 ■

もう一つ、欲を言うならば、ピュアー過ぎる世界観にも不満が残ります。人物に厚みが出ないのは、雑多な欲を捨て去って、上澄みの様な描かれ方をしている事が原因かと思われます。苦悩が無いのです。

これ、白樺派に通じるものがあります。徹底した「美化」がされている世界。
そう言った意味においては、堀辰雄の世界観を見事に再現しているとも言えます。高原の小川のほとり、アカシアの木の茂る小路を歩いて行くとそこには・・・・。(学生時代に読んだので、うっすらとしか思い出せませんが・・・)

軍人とか、特高警察などという社会通念的な悪意外に、悪意を持った人が登場しません。みんな襟を正して生きています。確かにそういう時代だったのかも知れません。善行を施しても、それは自己欺瞞では無いかと自問する程に純粋だった当時の人の真面目さは、現在の人からすればウソ臭く見えるのかも知れません。

・・・欲を言うならば、今は亡き今敏監督の演出で、この作品の別バージョンを見てみたい。

■ 私は全力でこの作品を褒めたい ■

「何だか、批判ばかりしているじゃないか」と皆さん腹立たしくお思いかと思います。

でも、私はこの作品を全力で褒めているのです。

70歳の老人がこんなにストレートに自分の欲望を表現出来るなんて素晴しい!!
襟を正して生きていた時代を現代人に問う事は素晴しい!!
ナウシカに「来て・・・」って言わしちゃうなんて、夢の様では無いか!!

まあ、ここら辺は半分冗談として・・・・。

実はあまり期待していなかった私は、ビールとポップコーンを手に劇場に入ったのですが、これ失敗でした。

高畑監督の『かぐや姫』の予告で、先ず背筋を正さずには居られません。・・・あの手書きのタッチで長編映画を全編作るのでしょうか?鬼気迫るものを感じます。

そして、『風立ちぬ』本編。

大空に優雅に飛翔する飛行機。雲、空。風。
ここら辺の映像は、宮崎作品の真骨頂ですが、今回は地震のシーンが素晴しい。

アニメで地震を表現する場合、普通は映像を揺らします。これは実写映像でもお馴染みの手法ですが、主観的に地震を表現しようとすれば当然そうなります。

ところが、宮崎監督は地面を波打たせます。重なりあう甍のズレとしても地震を表現します。とにかく大地が波打っている事を表現します。一方で、余震や地震が収まる様は、小石の振動で表現します。

確かに、昔のTVアニメの地震の表現は、地面が波打っていたと思います。これは漫画の表現手法なのですが、それを動画で表現するのは、アニメーションかCGで無ければ不可能です。アメリカのパニック映画はCGで表現しますが、宮崎監督の表現の方が数段上手です。

さらに、定評のある雲の表現もさらに磨きが掛かっています。今回は雲の上の雷光の表現や、突然の夕立のシーンに鳥肌が立ちました。

細田守監督は『おおかみこどもの雨と雪』で、アニメによる自然表現のリアリズムを追及しましたが、宮崎監督は、アニメの表現はリアリズムのはるか彼方まで到達できる事を見事に証明して見せます。

地震のシーンで逃げ惑う大勢の人々を動き回らせるという演出にも頭が下がります。低予算を追及する今のアニメ界に挑戦状を叩き付ける様な映像です。どうだ、お前ら、手作業でこれだけ出来るんだぜ!!という監督の高笑いが聞こえて来そうです。(スタッフには地獄の作業だと思いますが、ジブリはポニョでも序盤、これをやってましたね)

そんなこんなで、衝撃的な映像の連続で、ポップコーンをシャブって柔らかくして音を立てずに食べ、ビールをチビチビと啜るはめになりました。


JINさんのお薦めの通り、劇場に行って良かったと思います。ありがとうございます。

照れくさいので、褒めているのか貶しているのか分からない記事になってしまいましたが、基本的に宮崎監督が現在のアニメ界に与えた影響は多大であり、アニメの地位向上に努めた功績は偉大です。紛れも無い現代を代表する映像作家であると同時に、若い作家達には超える事の出来ない存在である事に、何ら疑いはありません。


<追記>

最期に苦言を一言。

ラストでユーミンの『ひこうき雲』はやり過ぎでしょう。
映像が積み上げて来たリズムや世界観を全部持っていかれてしまいます。
作品自体が「昇天」してしまいます・・・・。



<追記>

日本アニメの凄い所は、『風立ちぬ』の劇場作品一本よりも、TV放送のアニメの30分の一話の方がクオリティーが高い事にあります。

今期放送中の『有頂天家族』の第6話『紅葉狩り』は、完全に現在の宮崎アニメを凌駕しています。

こういう作品が、一般紙の夕刊などで紹介されれば、若い作家達の励みにもなるのですが。日経の夕刊に期待します!!

最新の画像もっと見る

6 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (muff)
2013-09-10 10:19:51
人力様、

お久し振りでございます。

人力様の 「紅豚」 に対する思ひ、理解致しました。 先日は、「○○」 とかの略称を使った上で今イチのようなコメントをしまして、失礼致しました。すみませんです。

で、そうですか、作者の思いが込められたキャラクターに傾注するのがお楽しみなのですか。

私の方は、作品の何故か懐かしい雰囲気とその景色描写に魅せられます。 そして、その世界観を評価します。 ラピュタの古いイギリスの街角や丘が続く野原とか。 でも、昭和初期の日本の家並みとかはそれ程でもなく、コクリコ坂なんかはパスです。

「紅豚」 のニヒルな設定がお好きであれば、たぶん ハーロック、いや トチロー のキャラクターもお好きなのではないかと想像してしまいます。 

宇宙戦艦トマト?は願い下げですが、ハーロックとか(マゾーンが出て来るヤツ)とか 9×3 のスケールの大きさは大好きです。...ですから、スタートレックはディープスペース9シリーズとかボイジャー・シリーズが好きです。

さて、「風立ちぬ」は劇場へ足を運ぶ余裕が無いので、残念ですが、来年? 家で観てみようかと思ってます。
返信する
Unknown (人力)
2013-09-10 11:10:06
nuffさん

豚はブタが格好付けている所が好いんですよね。格好付けた所でカッコツカナイというか、でもそれが格好良く見えちゃうから惚れるというか。その格好悪さを自覚していても、思わずあの作品を撮ってしまう宮崎監督がカワイイと言うか・・・。

やはり男はロマンチストであるべきなのです!!

宍戸譲やチャールス・ブロンソンがカッコよく見える瞬間のトリックみたいなもんでしょうか?

ハーロック。中学の頃は、「カッケーーー!!」って思ったけれど、あれこそが「中二病」ってヤツですかね。今見るときっと痛いんだろうな・・・。松本作品はポエムですから・・・。マゾーンって植物人間でしたっけ。ラフレシアって結構好きだったんです。謎に満ちていて・・・。

実写版が公開されていますが・・・・。・・・・。・・・。
返信する
Unknown (stuff)
2013-09-11 19:43:38
有頂天家族は今期最高アニメ化してます。
家族会議のシーンでの、キャラの仕草・目線の動き・モブの動き、さりげない芝居がいちいちスゴい。

先程、監督インタビュー記事が検索にかかって読んだ所、舞台となる京都、ロケでは足りず監督自ら1ヶ月住みこんで土地勘を磨いたとか・・・本気度が違いすぎました。
返信する
Unknown (人力)
2013-09-12 03:45:03
stuff さん

有頂天家族、毎回、ワクワクして見ています。

監督の吉原氏は、キャリアは長いのですが、監督作品は少なく、気合が入っているのでしょう。こういう、無名の人達の層の厚さが、日本のアニメのクオリティーを支えているのでしょうね。

『風立ちぬ』はドラマ部分が弱いので、日を追うごとに印象が薄くなりますが、『有頂天家族』は、日ごとにタヌキが頭の中で増殖して行きます。

来週が楽しみ。
返信する
Unknown (JIN)
2013-09-15 20:37:11
風立ちぬ、たのしんでいただけたようでよかったです。勧めたものの、賛否の差が本当に激しい作品なので内心びくびくしておりましたので。ただ、賛否はあれど見所は必ずある作品だと確信しておりまして、地震の艶かしいといっていい表現は本当に凄かったです。細田の表現も美しいのですが、あのようなフェティッシュな描写はやはり宮崎が飛び抜けて上手いですね。

宮崎作品の女性像って一貫していて、好みがわかりやすいですよね。お話に関しても、庵野さんも述べられていたように、自分をさらけ出している感じでよかったです。
細田なんかはいい子ぶってる感じが見えてどうにも好きになれない。もっと自分を出してほしいものです。
返信する
Unknown (人力)
2013-09-18 02:04:12
JIN さん

表現の素晴しさに対してドラマが弱いのが、賛否の分かれる原因かと思います。試しに私の母に勧めてみましたが、「全然面白くなかった」と言っていました。ジブリに夢や楽しさを求める人にとって、主人公がボソボソ喋るだけで興ざめだったとか。ラブストーリーもリアリティーが無くてツマラナカッタと・・・。多分にオタクの理想の投影的映画なので、ノーマルな観客は、どこに感動して良いのか分からないのでしょう。地震のシーン凄かったでしょう?と聞くと、「あらそう」でオシマイ。
多分、これが一般人です。そんな母(74歳)でも『アリエッティー』は大好きで、劇場で観た後にDVDを借りて観たりしています。「これ、つまらないよね?」と聞くと「だって、可愛いじゃない」と答えます。


宮崎駿に比べると細田守はどうしてもコジンマリしていますよね。良くも悪くも戦争を経験して「平和と戦争の意味」について明確な信念を持つ宮崎氏の主張は分かり易く共感を呼びやすい。

一方、高度成長期に少年時代を過ごして、その後のバブル崩壊後の世界を生きる世代は、「何か分からない物」から強いストレスを受けています。その対象は「共同体の同調圧力と個人の孤立」であったり、「ネット社会のストレス」であったり「漠然とした将来への不安」であったり、「環境破壊とういう脅迫観念」であったりします。

そこら変の「見えない恐怖」を上手に表現したのが「エヴァンゲリオン」では無かったかと思います。「中身空っぽ」の作品ですが、「何だか分からない抑圧と戦っているボク」というのが若者の心を捉えたのだと思います。

現代の若者は「まどか☆マギカ」に共感しますが、ラストの「全肯定」に救済を見ているのでしょう。不景気しか知らない世代は、「抑圧」こそがデフォルトなので、それ以外の世界があるという希望に共感するのです。これ、一種の宗教ですね。
返信する

コメントを投稿