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外房最大の難所「おせんころがし」・・・絶景かな!!

2014-09-16 01:05:00 | 自転車/マラソン
■ 旧道を行く ■




房総半島を自転車で走っていると、入り江の集落と集落の間に必ず小さな峠道があり、トンネルで峠を抜けて行きます。地図で見れば、その様な場所は海に山が突き出した小さな岬です。

外房の鴨川から勝浦の間は、現在は広い国道が山を長いトンネルで貫通して通っていますが、旧国道は狭い道幅で海岸線を通り集落を繋いでいました。

天津小湊から行川の間は、現在は2本の長いトンネルと入り江の大沢集落の上空を通過する高架橋で直線的に繫がっていますが、かつては外房最大の難所と言われた「おせんころがし」を国道が通っていました。

上の地図で赤線が国道の旧道です。大沢という集落の所で陸側に入り込んで2本の短いトンネルが掘られています。道幅は狭く、昭和40年代は一方通行だったそうです。

この旧国道の以前、明治時代の道はさらに海側を通っていました。大沢集落から先は「おせんころがし」と呼ばれた断崖絶壁の交通の難所でした。この旧道は大沢集落で途切れて、現在は立ち入る事は出来ません。

本日の自転車の旅は、現在の国道を離れて、旧道巡りをお送りします。


■ 初秋の房総の海は穏やかだった ■



晴れた連休中日だというのに二度寝してしまい起きたら9時前。あわてて準備をして、9時30分にクロモリのレモン2号君で出動です。風も穏やかなので、鴨川を目指します。養老渓谷から麻綿原高原を一気に抜け、内浦山を駆け下ると、そこは外房、天津小湊の砂浜です。ここでコンビニランチを済ませ、本日のメインイベントの「おせんころがし」を目指します。

■ トンネルを抜けると・・・ ■



勝浦方面にしばらく進み、現在の国道を日蓮交差点で右に曲がり、誕生寺の前を通るのが国道128号線の旧道です。誕生寺の裏から道は山の中をゆるやかに上って行きます。そして、昼も暗い杉林に突如表れるのが上のトンネルの入り口。落石防止ネットに守られた入り口を入ると、トンネルの中は照明も無く真っ暗。

トンネルは緩やかな下り坂なっており、出口がやけに明るく感じます。
トンネルを抜けると・・・・・。



いきなり太平洋の大海原が眼前に広がります。この光景には息を呑みます。



旧道は海岸の急斜面にへばり付く様に走っています。道幅は狭く、対向は無理なので、幅の広い場所が設けられています。

斜面はコンクリートでガチガチに固められていますが、それでも落石があるのでしょう。「落石注意」の看板が並んでいます。海側の路肩も弱くなっているらしく、路面には亀裂補修の跡がたくさんあります。



標高は30m程。道から下は海までほぼ垂直に切り立っています。眼下の岩場を波が穏やかに洗っています。



天津小湊方面を振り返ってみました。このカーブはコンクリート製の堅牢なガードが設置されています。国道だった折には、事故が多かった場所かも知れません。・・・事故を起こしたら、海へ真っ逆さまですが・・・。

■ 大沢集落 ■



海沿いの断崖の道はしばらくすると現在の国道のトンネルの出口に行き当たります。旧道は現在の国道を横切って、この先山側へと入り江をなぞるように進みます。



山側に入った旧道から現在の国道側を振り返ります。左に現在の国道の高架部分が見えます。



谷の奥には、車が一台やっと通れる幅のトンネルが2本現れます。これ、昭和40年代まで、現役の国道でした。



トンネルを潜ると小さな集落が表れます。大沢集落です。ほとんど入り江の傾斜地にへばり付く様に民家が密集しています。港に下る道は・・・歩いて下りても転びそうな急斜面。斜度20%を軽々と超えていそうです。外房線の線路を潜ると、国道の巨大な橋脚が現れます。集落のはるか上空を国道が通っているのです。(帰りは気合で自転車を漕いで上り切りました)



漁港まで下って振り返ると、入り江の集落の上空を国道が跨いでいるのが良く分かります。
港の近くでは、漁師の老人達が7人程、日陰でくつろいでいました。聞いたらイセエビ漁の出漁を待っているところだとか。夕方に船を出して刺し網を仕掛け、朝に網を上げるそうです。

皆さん暇を持て余していたようで、自転車を珍しそうに眺めて「それ、ギアーは何枚あるんだぁ?」とか「どこから来たんだぁ?」なんて質問してきます。途中から電車に乗るつもりだと話したら、老人同士で「おめぇ、電車の乗り方わかっぺか?」なんて冗談を言い合ってました。もう少し話していたかったのですが、日没が心配なので別れを告げます。

■ おせんころがし ■



漁港から海沿いの崖を見上げると、中腹に僅かに段差があるのが分かります。ここが、明治に作られた旧道の跡です。現在は大沢集落から先は通行止めで、斜面と一緒に漁港を落石から守る為にコンクリートで塗り固められ、ガードレールも有りません。

ここを当時は乗り合い馬車が通っていたというから驚きです。

ところで、全国の交通の難所には危険な臭いがプンプンする名前が付けられています。「親不知海岸」が有名ですが、静岡と焼津の間の「大崩」などもデンジャラスな名前です。

「おせんころがし」もこの場所の危険を知らせる名前です。その由来には諸説ありまが、これが一番有名です。

その昔、強欲な豪族が村人を重税で苦しめていました。村人達は豪族殺害を企てますが、それを知った豪族の娘「おせん」が、父の身代わりになって海沿いの崖から投げ落とされてしまいます。きっと、父の振りをして寝てる振りをしたのでしょう。人違いを知った村人達は豪族に詫び、豪族もそれ以降は税を軽くしたとさ。チャンちゃん。

この他には漁師の娘のおせんが、家畜のえさの草を取りに行き、足を滑らせて死んだという言い伝えもあります。

いずれにしても、過去の滑落事故の教訓を残す為に「おせんころがし」と名付けられたのでしょう。

断崖にへばり付くような旧道跡は、上の写真の鞍部(ちょっと谷になった所)から陸側に入り込み、現在の国道に行き当たるそうです。(コンクリートの法面が終わる辺り)

■ おせんころがし殺人事件 ■

実は「おせんころがし」は戦後犯罪史上稀に見る凶悪殺人事件の現場でもあります。1951年10月10日、勝浦に行商に行ったまま戻らない夫を探す母子4人を栗田源蔵が誘い出します。おせんころがしで子供達を次々に崖から投げ落とした栗田は、母親を強姦して、彼女も崖下に投げ落します。さらに彼は、崖の途中で引っ掛かっていた母子を石で撲殺します。長女だけが軽症で生還するという、極悪非道の殺人事件です。実は犯人はこの他にも強姦殺人を繰り返しており、合計8人を殺害しています。

火曜サスペンス劇場も真っ青な事件ですが、犯人の栗田は、裁判史上で始めて、二つの裁判で死刑判決を受け、1959年10月14日に死刑が執行されたそうです。死刑の廃止が議論される時、死刑存続を主張する人が引き合いに出す稀に見る凶悪犯罪です。

現在はそんな事件があったとは夢にも思えない、静かな入り江の集落がひっそりと佇んでいます。

■ 旧道、廃道、廃トンネルマニア ■

世の中には様々な趣味の方がいらっしゃる様で、この様な旧道や廃道を求めて全国を行脚している人達も少なからず存在します。

http://yamaiga.com/road/r128_osen/main.html

上のブログの方などは、通行止めの区間の断崖の道を、何とMTBを抱えて通りぬけたという猛者です。(勝手にリンクしで申し訳ありません)

道の他にも、廃トンネルを求めて徘徊している方もいらっしゃいます。

こういった旧道や廃道の多くは、整備されて無個性な新道には無い、歴史の重みを秘めています。トンネル一つ取っても、重機が無い時代に、峠越えを回避する為に人力で苦労して掘られた執念を感じずには居られません。

私も旧道は好きで、地元で旧街道筋を辿ったりする事もあります。浦安近辺では、行徳街道の旧道が、川沿いを曲がりくねって通っており、江戸時代の名残を色濃く残しています。

■ 一応センチュリーライド? ■

本日は出発が遅かったので、勝浦から大多喜街道を八幡宿まで走り、日暮れとなったので、千葉みなと駅から輪行で帰りました。

172Kmの旅でした。
結構寄り道をしながらでしたが、160Km時点で8時間ちょっとだったので、センチュリーライドをほぼ達成しました。山越えのコースなので、まあまあでした。

実は先週も鹿野山を越えて鴨川から勝浦、曽我まで200Km走っていますが、曇天で「おせんころがし」は今一つでした。本日は晴れて良かった。