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自転車で行く八犬伝の里・・・自転車は担ぐもの?

2014-05-04 08:03:00 | 自転車/マラソン
 



■ ディレーラーを調整していたら完徹になってしまった ■

連休なので300Kmにチャレンジしようと思い立ちました。登り坂で少しでも楽をしようと、カーボンのレモン1号君で走る事に。ところがレモン1号君を見ると、バーテープがボロボロ。さらに、先日シフターを交換した時にシフトケーブルにグリースを塗ったら、シフト操作が重くなってしまい、気持ち良く乗れる状態ではありません。調子の悪い自転車で長距離走るのは精神的に苦痛なので、前の晩に整備開始。

娘と「平成ガメラ」をDVDで見ていたので、整備を始めたのが夜中の1時。ちゃちゃと終わらせて明日に備えてしっかり寝ようなどと考えながらディレーラーのワイヤーを交換したら・・・変速のポイントが全然決まらなくなってしまった。そこで、始めから前後の変速機の調整をしていたら、朝4時に。今寝たら6時に出発は無理です。結局、そのまま起きたままで6時半に出発しました。所謂「完徹」ってヤツですね。

そういう訳で300Kmは断念。そこで鹿野山にに登ってから、房総を走るサイクリストに人気のBingo Bargerに「巨大ハンバーガー」を食べに行く事にしました。

■ ディレーラーの不調で心が折れる・・・ ■



とりあえず鹿野山ヒルクライムで眠気醒し。君津まで70Kmを、メーター読み平均速度28.3Km/h。ほぼ向かい風だったので、脚を使い切りました。ダメ押しの鹿野山は、何とギアーの調整が完璧では無くインナー・ローで負荷を掛けるとギアーが1段落ちてしまいます。ただでさえフロント53-39T、リアー8速12-23Tという男前なギアーのレモン1号君。おまけにホイールは頑丈だけど重いという定評のマヴィックCXP30。いくらカーボンバイクとは言え、39-20Tというギア^-では辛すぎました。T字路の後の坂で心が折れて足つき。ロスタイム含め、鹿野山バス停までは22分25秒。あれれ、先日のクロモリ・チャレンジとあまり変わりませんね。やはり山登りは軽量ホイールが軽量フレームよりも効果絶大ですね。



本日はマザー牧場を経由して上総湊に下ります。途中、イタチが道を横切ってビックリ。イタチって好奇心が強いですね。草むらの中からじっとこちらを見ていましたが、5mくらいまで近づいても逃げません。



田植えを終えた田んぼではカエルの合唱。

■ 「光藻」って知っていますか? ■



上総湊からは内房の海岸線を走ります。竹岡で「黄金井戸」の看板に脚が止まります。「光藻」の発生地だそうです。



光藻は水の綺麗な洞窟や山影の池に生息する2本の鞭毛をもつ単細胞藻類ですが、光を反射して輝いて見える事から「光藻」と呼ばれています。4月から6月に池の表面に浮遊して、黄金の層を作ります。ここ竹岡のヒカリゴケは全国で初めて発見され、又、毎年発生する事から天然記念物に指定されています。





岩をくり抜いた祠の池の表面には黄色の藻が・・・ちょっと工場排水で汚れた川の水の様に見えます・・・。



斜めから見ると輝いていますが、真上から見下ろすと光りません。自分で発光しているのでは無く、光を反射しているのです。反射層が「お椀状」の形をしているので、入射光を再帰反射(光を光源の方向に反射する現象)している様です。これは、微細な透明の球状ビーズが入っている道路標識などに使われる再帰反射塗料に似た原理です。塗料がレンズの応用であるのに対して、ヒカリゴケは凹面鏡の原理で再帰反射を実現しています。海の夜光虫の様に神秘的でオオオーー!!って感動する様なものではありませんが、地味に面白い。



洞穴の入り口には仏像が。







洞穴の横の階段を上って行くと、崖の上に「皇(すめら)神社」があります。振り返ると竹岡港と東京湾が一望出来ます。

岩室の雰囲気と合わせて、なんとなくパワースポット的な神社です。

■ 八犬伝の地 ■

本日は南風なので海岸沿いはほぼ逆風。特にトンネルを風が吹き抜けるので、風洞実験の様です。

このまま海沿いを走ると岩井から先はトンネルが連続するので、岩井で左折して陸側のルートでビンゴバーガーのある三芳村道の駅「鄙の里」を目指します。ちょっとお腹が空いてフラフラして来ましたが、あと12Kmなので頑張ります。

途中、「伏姫籠穴」という案内に心惹かれましたが、これは今度のお楽しみにします。

山間の道は緩やかな登りが連続しますが、脚は完全に売り切れ状態で太腿が痙攣します。早くビンゴバーガーを食べなければハンガーノックで動けなくなりそうです。必死でペダルを漕ぎます。

途中県道が合流するT字路の地名を見てピンと来てしまいました。「犬掛(いぬかけ)」って、南総里見八犬伝に所縁の地名では無いのか?





すると道端にこんな標識が。「八房 出生地」
「おいおい、八犬伝ってフィクションだよ!!」と心の中で思わず突っ込みを入れますが、房総のこの一帯においては「八犬伝」は伝説に近い存在です。フィクションがもう一つの歴史として現実世界を侵食しているのです。

■ 里見義実が居城、「滝田城」を発見 ■

少し進むと「和田城跡」という標識を発見!!
「和田城」と言えば、里見義実の居城ではないですか!!(フィクションですが)

長禄元年(1457年)、里見領の飢饉に乗じて隣領館山の安西景連が攻めてきます。里見勢は滝田城に籠城しますが、兵站も尽き落城は目前。そんな折、城主の義実は飼い犬の八房にこうつぶやきます。「影連が首を取って来たら伏姫を嫁にやろう・・・」。どこぞに消えていた八房が戻って来た時、その口には敵将の景連の首が咥えられていました。将を失った安西軍は敗走し、義実は領地を守る事が出来ます。

平和が戻った後、八房は城で大事にされますが、八房は人を寄せ付けず、ただ伏姫に寄り添います。「畜生相手の約束とはいえ、それを違えれば畜生にも劣ります」という伏姫に説得され、義実はとうとう、伏姫を八房の嫁にする事を決意します。伏姫を背中に乗せた八房は、一目散に遠くの山へと消えていったのでした。


少しうる覚えですが、八犬伝ファンの私の記憶ではこんな感じでは無かったかと。その八犬伝の始まりの「滝田城」が目の前にあるとあっては、このまま通り過ぎる訳には行きません。田んぼの中の坂道を登った先にあるであろう「滝田城跡」をめざします。



こんな案内板がポツリとあるだけで、それらしき場所も、山城に登る階段も見当たりません。



近くに「滝田城跡」という看板はあれど、金網の向こう側で、その先は樹林の下の下草に覆われて道の様な物はありません。金網を良く見ると、雨で滲んだ案内が見つかりました。「イノシシ除けの簡易策の入り口を開けて入って下さい」。良く見るの穴網が紐で止められています。何と和風な仕掛けでしょう。確かにイノシシに紐の結び目は解けません。


■ 自転車を担いで山登り ■

自転車を置いてゆくべきか迷いましたが、道は山の反対側に抜けて行くようなので、城跡をくまなく探索したら、又戻って来るのが厄介です。カーボンバイクは軽いので、片に担いで山を登る事にします。マウンテンバイクの方達が良くこうやって山を登っています。

うっそうと暗い山の北側斜面には良く見ると草に埋もれた道が付いています。もうしばらく誰も歩いていない様です。その道はほとんど階段と言っても良く、落ち葉で滑るのを慎重に登ります。こういう時、MTB用のビンディングシューズの威力が発揮されます。ロード用のシューズでは普通に歩くのにも不便しますから.





道がつづら折れの曲がり角になる所に小さな空地が点在しています。「二の郭」「武者溜り」「見晴し」「虎口」などの標識があり、ここがかつての山城であった事が分かります。相当な急斜面に築城されていた様です。



「見晴し」から眼下に見えるのは「犬掛」の古戦場跡でしょうか。実際の歴史での「滝田城」は里見義豊の義弟とされる一色九郎が城主を務め、義豊側の拠点の1つであったとされています。

天文2年、里見義豊は伯父である里見実堯を誅殺します。それに端を発する里見氏の内紛「天文の内乱」で義豊は実堯の子である義堯に敗れ敗走します。その一年後の天文年(1534)年四月、上総に逃れた里見義豊が真里谷武田氏の援軍を得て安房に向けて南下中、この滝田城下の犬掛付近で迎え撃つ里見義堯軍と遭遇、激戦になり(犬掛合戦)、義豊勢は数百人が討ち取られて敗走し、義豊も戦死して前期里見氏の嫡流は滅亡したとされています
。まさに戦国時代を象徴する様な、一族同士での争いが繰り広げられていたのです。

里見氏はその後、関東副将軍を名乗るなど房総を中心に勢力を伸ばし、里見義堯・義弘の親子は、永禄6年(1563年)および永禄7年(1564年)の第二次国府台合戦で後北条氏に敗北を喫するが、永禄10年(1567年)の三船山合戦で北条氏を破り、上総での勢力圏を確固たるものとしました。

その後、豊臣、徳川と時代を渡り歩きますが、だんだんと勢力は衰退し江戸時代は安房の国を治めるだけとなり、嫡子が居なかった事もあり元和8年(1622年)に改易となり里見氏の歴史は閉じます。

房州の戦国史を駆け抜けた里見氏の任期は館山では現在も非常に根強く、「里見氏を大河ドラマに」という昇りが館山駅の前に立てられています。

当時、里見氏の領地にはいくつかの山城があった様ですが、どれもシンプルな造りを特長にしていた様です。「和田城」も例外では無く、南北を急斜面で守られた天然の要塞は、守備に適していた為に「空堀」などを用いなくても防衛に適していたのでしょう。

今は木立の下にわずかに当時をしのばせるだけですが、耳を澄ますと梢を渡る風に、当時の武者達の息遣いが感じられるようです。



自転車が肩にずっしりと食い込み、息がハアハアと上がる頃、本丸跡の広場に到着します。本丸から少し登ると東西に繋がる稜線に出ます。ここは標高が180m程です。稜線には物見櫓があった様です。



頂上には送電用の鉄塔が建っているだけです。



頂上から南に下る遊歩道は、いきなり階段です。その斜度は45°は優に超えています。ほとんど梯子と言って良い角度。これ、お年寄りには無理。そこを自転車を肩に担いで、慎重に下ります。



少し進むと物見櫓の様な展望台が現れますが、立ち入り禁止になっていて上には登れません。その近くに伏姫と八房の象が有ります。





伏姫を背に、嬉々として天駆ける八房をモチーフにした「昇天」という像ですが、八房に嫁ぐ事になった伏姫の心中はいかがなものでしょうか?像の足元には「仁義礼智忠信考貞」の八つの珠が転がっています。

滝田城を出た伏姫と八房ですが、岩井にある富山の中腹の洞穴で共に生活します。伏姫は八つの大きな水晶玉がある数珠を身に付けていますが、八房が伏姫に近付くとその数珠をかざします。八房はおとなしく伏姫の近くに坐したとされています。

義実の家臣、金碗大輔孝徳(かなまり だいすけ)は伏姫の許嫁でした。彼は伏姫が城を出た後、その後を追い、ついには富山の洞穴に辿り着きます。遠くから八房を狙った大輔の鉄砲弾は、八房もろとも伏姫の命をも断ってしまいます。伏姫の手元の数珠の珠も飛び散ります。四方の空に飛び去る八つの珠は、因果によって後に八犬士の手渡ります。

玉の行方を追う大輔は、八犬士たちと出会い、そして北条との戦いで八犬士達は大活躍します。真田の八人の姫をそれぞれ嫁に迎え、八犬士達は里見氏中興の礎を築いたのです。メデタシ、メデタシ。

江戸時代の庶民向けのベストセラー、滝沢馬琴の『南総里見八犬伝』は近代のエンターテーメント小説の大傑作です。八犬伝は今でもマンガやアニメでは人気のジャンルです。冒険・ボーイ・ミーツ・ガール、戦い、裏切り、復讐・・・まさにライトノベルが得意とする展開を、江戸時代に馬琴は完成させているのです。



ここからなだらかな尾根筋の道が続きますが、その両側は崖の様な急傾斜です。尾根を防衛されたら、攻める事は容易では無かったでしょう。城は北壁に面して構築されていますが、南側は天然の要塞だった様です。

マウンテンバイクなら、駆け下りてスリルを味わう所ですが、本日の自転車では無理。そろそろ肩にトップチューブが食い込んで来ました。これがクロモリのレモン2号だったら、棄てたくなります・・・。カーボンで良かった・・・。



山を下りると、こちらにはきちんとした案内板と公衆便所が有ります。ただ、こちらから登っても結構急な斜面を登るので、八犬伝フリークの人しか訪れる事は無いでしょう。

そうそう、山を下りて来て思い出しましたが、房総の山はヤマビルが生息しています。(特に清澄山系)。本日は遭遇しなかったので、この辺りには未だヤマビルは居ないのかも知れません。



「犬掛の戦い」で両軍が平久里川を挟んで対峙したと言われています。平久里川は藤が見頃を迎えていました。


■ ビンゴバーガー ■

ハンガーノック状態なのに、自転車を担いで山登りまでしてしまったので、もう空腹で倒れそうです。3Kmをのろのろ走り、ようやく三芳村の道の駅「鄙の里」に到着します。





行列して、ようやくありついた「ビンゴバーガー」は、一言でいえば「重い」。
食べごたえがとかでは無く、本当にパテが巨大で重たいのです。
当然、胃袋にもずっしりと重い。

味は・・・アメリカーーンでした・・・。

腹ごしらえも済んで、眠気が再び襲ってきます。
後、50Km位い走ろうかと思っていましたが、危険なので館山駅から輪行する事にします。

館山駅までは、強い向かい風。でも、ハンバーガーパワーで乗り切りました。

■ 新兵器投入 ■



今回新規投入した秘密兵器は、パンダーニの輪行バック。
薄手のナイロン生地で出来ているので、サイクルジャージのポケットに収まります。ゴムで口が締まるので、とても簡単に収納可能。外した前輪も専用の袋に入れられます。

後輪を外さないのは楽ですが、電車の中では邪魔なので、先頭車両か最後尾の車両の運転席の後ろが定位置となります。クランクちゃチェーンが完全に密閉されないので、周囲のお客さんに油が付く危険性があるので、混んだ電車には、あまり持ち込めません。チェーン関係をビニール袋で包むなどの工夫が要るかも知れません。

本日はゴールデンウィークなので奮発して特急で帰ります。あっと言う間に家に着きました。


自転車に乗っているのか、マイナーな観光地巡りをしているのか、良く分からない自転車旅行でしたが、私としては「滝田城」に行けただけで大満足でした。

連休中、皆さんは如何お過ごしでしょうか。多分、皆さんの身近にも、歴史が埋もれているかも知れません。そんな所を巡るのも、楽しいかも知れません。