人力でGO

経済の最新情勢から、世界の裏側、そして大人の為のアニメ紹介まで、体当たりで挑むエンタテーメント・ブログ。

三崎亜紀・・・役所言葉のリリシズム

2009-02-07 06:23:48 | 


■「チョコレート戦争」ならぬ「となり町戦争」

私が小学校の時に学級文庫で人気だったのが「チョコレート戦争」。
あまりの人気で、いつも貸し出されていて私は未読でした。
それが未練となってか、「○○○戦争」というタイトルには反応してしまします。
最近話題の有川浩の「図書館戦争」しかり、
そして三崎亜紀の「となり町戦争」しかり。

「チョコレート戦争」みたいな児童文学かと思って読み始めた「となり町戦争」の
あまりに児童文学からかけ離れた内容に、肩透かしを食った記憶があります。
しかし、小学校6年生の娘のクラスの学級文庫には、
しっかり「となり町戦争」があるようです。・・・先生、小学生には難しくないですか?

■少し硬い「となり街戦争」■

「となり町戦争」は子供には、ちょっと理解が難しい小説です。
会社に勤める「私」は、ある日、役所に召集されます。
「となり町」との戦争の情報を集める為に・・・。

公共事業としての戦争が、政策として自治体に採用され、
限定的な戦闘が行なわれているらしいどこかの街での出来事。
役所の広報には戦況が載せられていますが、戦闘を目の当たりにした事も無く、
この町で繰り広げられる戦争は、他人事と感じていた「私」。

そんな「私」が戦争に召集されます。・・・きわめて事務的に・・・。
女性と夫婦を装って、共同生活を送りながら、
「私」の日常生活は、見えない戦争に浸透されていきます。
そして、戦争は次第に限定的な戦闘を交えながら、実体化していきます。

最初読んだ時は、着想の斬新さと、
細かなプロットを積み重ねて、あり得ない戦争を実体化する表現力に魅せられました。
しかし、社会党が国会で頑張っていた20年前なら支持されたかもしれませんが、
現代の時代に、「見えない戦争」というテーマの扱いが少々古く感じられもしました。
戦争という事象が、イメージを限定的にしてしまい、
繊細な文章や、緻密なプロットが、最後にザラザラとした世界に取り込まれてしまう、
そんな印象を受けた事を覚えています。
(そうは言っても傑作ですよ)

■言葉の質感・・「バスジャック」■

三崎亜紀の「バスジャック」がようやく文庫になたので期待とともに読みました。
今回は短編集で、長短合わせて7編から成っています。

表題の「バスジャック」を読むと、「となり町戦争」がようやく理解できます。
三崎亜紀は、「戦争」を描きたかったのはなくて「役所言葉」を書きたかったのだと。
さらにいうならば「役所言葉」の矛盾や欺瞞を暴くのではなく、
「役所言葉」の持つ硬質なリリシズムを楽しみたかったのだと。

世界を構築すルールと言葉の間には切っても切れない相関があります。
小説が言葉により世界を創出するものだとすれば、
私達の生活する世界も又、法律や条文に書かれた言葉によって規定されています。
言うなれば、世界は言葉によって創られ、操られているのです。
そんな、言葉と世界の密やかな関係を、三崎亜紀は楽しんでいるのです。
「となり町戦争」は「見えない戦争」を非難し警告するイッデオロギー的小説では無く、
役所言葉によって支配される「人」と「戦争」を描いた作品だったのです。

三崎亜紀は二つの表現方法を持っているようです。
一つは「しあわせな光」や「送りの夏」のような作品。
2Hの鉛筆で描いたような精緻な描写で、
あるいは「わたせ・せいぞう」の漫画を思わせる筆致で
ちょっとの甘くメランコリックな世界を描きます。

そしてもう一つは「となり町戦争」や「二階扉をつけてください」,
「バスジャック」、「動物園」に見るような、硬質でSFの様な作品。
SFといっても星新一のショートショートの様な世界。
現実をちょってずらしてみたら、世界はこんな姿をしていました・・的な。
そして、ずれた世界へ誘うのは、硬質な言葉の呪文。

一般的な評価は、後者の作品群にあるのかもしれませんが、
「送りの夏」の世界の構築力の巧みさには圧倒されるものがあります。

内容は・・・短編集なのでネタがばれたら面白くありません。
読むしか無い!!