一昨日、書店でいつものように文庫の棚の間を巡った。
ん~、これもそれもこっちもそっちも読みたい作品ではあるけれど、今じゃないんだよねぇぇ…。
これとそれは読むべきだと分かってるんだけど、今じゃないんだよねぇぇ…。
そんなふうに手にとっては戻し、手にとっては戻ししながら最後の棚のところに来た。
………………あ゛ぁん…
水色のカバーの真ん中にハチワレの白黒ぶち猫が座っている。
ん゛~…、カバーの雰囲気から察するに、翻訳物だな…。
ちょっと覗いてみよ…。
『…………あたしがいなくなったあともその思い出があのひとをなぐさめてくれるようにね…………』
どぉいうことだぁ…
でもみょうに惹かれるなぁぁ…。
よし、買い、だ…
帰宅して読み始めたら、もう一気に引き込まれて最後まで読み通してしまった。
主人公は猫のダルシニア、通称ダルシー、雌。
彼女と彼女の飼い主との関わりを徹底した猫目線で描いている。
私はこれまでに猫を主人公とした作品を読んだことがないので、断言は避けたいが、大抵は猫の目を通して見た人間模様とか、人間社会で起こった事件などを描いてるんじゃないかな。
ところが、この作品は違う。
徹底した猫目線。
それも「あたし」と自称するダルシーと、彼女が「あたしの人間」と呼ぶ筆者との関わりだけで世界は完結している。
十数年の時間の中で、筆者の身に起こったであろう様々な出来事については何も書かれていない。
そんなこと、ダルシーにとっては興味のないこと、関心の外だからだ。
「あたしの人間」が「あたし」を愛しているか、「あたし」といて幸せか。
「あたし」は彼女を愛しているし、彼女は「あたし」のすべて。
それだけがダルシーにとっての最重要事項であり最大の関心事。
誇張も装飾もない、いっそ冷徹なほどに淡々とした語りで物語は進んで行く。
そして「ダルシーの人間」だった筆者の言葉で物語が終わる。
猫=ペット、カワイイもの、可愛がるもの、庇護してやるべきもの、そんな安易な思い込みは見事に覆される。
なんとも表現しようのない読後感、ただ、それは決して不快なものではない。
敢えて、敢えていうならば、そう、淡々とした…そんな印象。
『猫のダルシーの物語 あたしの一生』 ディー・レディー著 江国香織訳 小学館文庫
ん~、これもそれもこっちもそっちも読みたい作品ではあるけれど、今じゃないんだよねぇぇ…。
これとそれは読むべきだと分かってるんだけど、今じゃないんだよねぇぇ…。
そんなふうに手にとっては戻し、手にとっては戻ししながら最後の棚のところに来た。
………………あ゛ぁん…
水色のカバーの真ん中にハチワレの白黒ぶち猫が座っている。
ん゛~…、カバーの雰囲気から察するに、翻訳物だな…。
ちょっと覗いてみよ…。
『…………あたしがいなくなったあともその思い出があのひとをなぐさめてくれるようにね…………』
どぉいうことだぁ…
でもみょうに惹かれるなぁぁ…。
よし、買い、だ…
帰宅して読み始めたら、もう一気に引き込まれて最後まで読み通してしまった。
主人公は猫のダルシニア、通称ダルシー、雌。
彼女と彼女の飼い主との関わりを徹底した猫目線で描いている。
私はこれまでに猫を主人公とした作品を読んだことがないので、断言は避けたいが、大抵は猫の目を通して見た人間模様とか、人間社会で起こった事件などを描いてるんじゃないかな。
ところが、この作品は違う。
徹底した猫目線。
それも「あたし」と自称するダルシーと、彼女が「あたしの人間」と呼ぶ筆者との関わりだけで世界は完結している。
十数年の時間の中で、筆者の身に起こったであろう様々な出来事については何も書かれていない。
そんなこと、ダルシーにとっては興味のないこと、関心の外だからだ。
「あたしの人間」が「あたし」を愛しているか、「あたし」といて幸せか。
「あたし」は彼女を愛しているし、彼女は「あたし」のすべて。
それだけがダルシーにとっての最重要事項であり最大の関心事。
誇張も装飾もない、いっそ冷徹なほどに淡々とした語りで物語は進んで行く。
そして「ダルシーの人間」だった筆者の言葉で物語が終わる。
猫=ペット、カワイイもの、可愛がるもの、庇護してやるべきもの、そんな安易な思い込みは見事に覆される。
なんとも表現しようのない読後感、ただ、それは決して不快なものではない。
敢えて、敢えていうならば、そう、淡々とした…そんな印象。
『猫のダルシーの物語 あたしの一生』 ディー・レディー著 江国香織訳 小学館文庫