ドイツ絵画史上最も重要な作品のひとつとされる「イーゼンハイムの祭壇画」。
作者は、ドイツ・ルネッサンスの巨匠デューラー(1471-1528)と一歳違いのグリューネヴァルト(1470-1528)、系譜的にはゴシック期の末期の範疇に納まるべき画家とされているようだ。
その彼の代表作であるこの祭壇画、今はウンターリンデン美術館(下/左・右)に収蔵されているが、元はコルマールの南20kmほど、イーゼンハイムの聖アントニウス会修道院付属の施療院の礼拝堂にあったという。
3世紀にエジプトで生まれた聖大アントニウス、敬虔なキリスト教徒である両親から教えを受けたが二十歳の頃に死別、多くの遺産を貧者に与え自らは砂漠で修道の生活に身を投じたとされる。
話はそれるが、2000年・大聖年にイタリアのパドヴァ(下/左)のサンタントーニオ・ダ・パードヴァ聖堂(下/中・右)を巡礼をしたが、迂闊にもそのパドヴァの守護聖人アントニウスと混同していた。
区別するため大アントニウスと呼ばれているが、当時、世俗を離れて信仰を深める形の修道生活が始まったばかりで、最初は彼も隠遁という程度だったらしい。
禁欲的な修道の生活で彼は悪魔の幻覚に苛まれる。
財産・金銭欲、名誉欲、食欲、色欲といった、断ち切った現世での諸々のことに惑わされ、また、悪魔の一群による暴力、麦角菌による足の壊死のこと。などによって耐え難い苦痛も受ける。
悪魔の執拗な誘惑に打ち勝った彼は、六十歳を超えてなお過酷な修道生活を送る。
修道中、数々の奇跡、主に病気の治療だったという。を起こし、その修道生活から学ぼうとする若き修道士とともに初めての修道院を作る。
このため施薬の守護聖人として崇拝され、修道院の父とも称されるようになる。
ところで、砂漠で修道中に受けた数々の悪魔の誘惑、奇怪で生々しい幻想に襲われる様は、“ 聖アントニウスの誘惑 ” として格好の画題とされたようで、古くは若き頃のミケランジェロ(上/左=1475-1564/イタリア・ルネサンス/テキサス・キンベル美術館蔵)、01年にブタペスト国立美術館で見たマルティン・ショーンガウアー(1450-1491)の版画(上/中)を模したものらしい。から、新しくは05年にブリュッセルの王立美術館で出会ったサルバドール・ダリ(上/右=1904-1989/スペイン・シュルレアリスム)まで、多くの画家が挑んでいる。
奇画の元祖と呼ぶに相応しいヒエロニムス・ボス(1450-1516/初期ネーデルランド絵画)も然り、07年にコンポステーラへの巡礼の途中、リスボン国立古美術館(上/左)で彼の「聖アントニウスの誘惑」を見たが、珍獣が空を飛び地を蠢く、何時もながらのボス・ワールド(上/右)に呆れ驚いたことを覚えている。
ちなみにこの悪魔の誘惑の場面、「イーゼンハイム祭壇画」の右翼の内側にも描かれているが、当然と言えば当然か。話が大きく逸れた、もとに戻す。
Peter & Catherine’s Travel. Tour No.517
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