口に出さずとも、好きになれないなあと思う人が、誰しもひとりやふたりはあるのでは?
僕(やつがれ)には70~90年代に活躍、五年ほど前に鬼籍に入られた戯曲家、小説家のX氏がその人。
あるTV番組でのこと、面と向かってならいざ知らず、隠れたところからゲストに矢継ぎ早に辛辣な質問を繰り返す彼を視て、その小狡さが堪らなく思えたのがその理由。
楽しくもない話を取り上げたのは他でもない、ここ数年それに似た小狡い社会になってきたと思ったからだ。
ブログやSNSなどの発信に対して、コメントやトラックバックでこれでもかと批判を浴びせるのだとか。
名前もなにも明かさず陰に隠れて寄って集(たか)って攻撃をする、そんな性根が薄汚くて堪らない。
先だって、多様な切り口に感心するさるブログに、そのことを窺わせるような、“ これからは当り障りのないことを書く ” との記事があって、それだけ注目されている裏返しだろうけど、釈然としない思いが残った。
そんな手合に一々相手にするのも馬鹿らしく、放っておけばいいのだろうが、道理が引っ込まされるのは何とも口悔しい。
少しそれるが、フランスの思想家ヴォルテール(1694-1778)は、“ 私はあなたの意見には反対だ、だがあなたがそれを主張する権利は命をかけて守る ” と警句を遺したとか。
昨今の内閣の姿勢とも相俟って、公共の福祉に反しない限り守られるべき思想や表現などの自由権的権利の危うさを憂うのは思い過ごしか?
とまれ、“ だから、人にしてもらいたいと思うことは何でも、あなたがたも人にしなさい ” (マタイ7章)とのイエスの教えに尽きるようだ。
Peter & Catherine’s Travel. Tour No.1181
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