コルマールのウンターリンデン美術館の「イーデンハイムの祭壇画」。
描かれた背景などを知って「なるほど」と納得、午後も早くストラスブールに戻った。
一旦、ホテルに戻り小休憩の後、旧市街へと出かけた。
好天に誘われて街に人が溢れ出し、イル川の本流が四つに分かれるプティット・フランス(上/左・右)の辺りは観光客が一杯、ランチを摂ろうとレストランを覗いても座る席がない。
ぶらぶら歩きで、大聖堂やロアン邸舘のある広場に向かった。
繰り返しになるが、この街、覇権争いに巻き込まれフランスとドイツを行ったり来たり、歴史に翻弄されつつもふたつの文化が融合、独特の文化が育ま」れた中世の美しい街(下/左・中)で世界遺産に登録されている。
10分ほどで、大聖堂(上/右)に着いた。
12世紀の後半、北フランスではこれまでと異なる様式の聖堂建築が始まったとされている。
それは、パリ郊外のサン・ドニ大聖堂の改築に始まるゴシック様式。
高い天井と広い窓から外光を取り入れる設計思想は、“ 神は光なり ” という聖書の言葉を具現化するものだったという。
ノートル・ダム大聖堂は、13世紀の初めストラスブール大司教に就いたベルトルトが改築を命じ、50年の歳月をかけ今のゴシック様式の身廊が完成したとされている。
なるほど、空を圧するかのように尖塔が聳えている(上/左)。
西側正面中央門扉(上/中)、閉じられていた。には、「キリストの受難」や「最後の審判」などの場面がおびただしい数の彫刻で表されてい、彼の文豪ゲーテは「荘厳な神の木」と讃えたらしい。
祭壇(上/右)に向かって足を運ぶと、16花弁のバラを模したステンドグラス(下/左)が秋の光を浴びて、パリのノートル・ダム大聖堂に優るとも劣らない輝きを見せている。
説教壇やパイプオルガン(上/中)は精緻な彫刻が施され、そして、万年の暦と時を刻む天文時計(上/右)など、その時代の科学、技術などの粋が集められたもので見応えがあり、ここに限らず、往時のキリスト教の権力と財力をまざまざと見せつける。
話は前後するが、午も大分過ぎお腹がへって仕方がない。
大聖堂の前のカフェ(下/左)で、陽気にたまらず生ビール(下/右)、コップに目盛りがあるのはドイツ風?。を、二杯も空けた。
酒気を帯びて聖堂に入っちゃいけないが、ノートル・ダム、花のマリア様に「ごめんなさい」と謝ってお赦しを得た。「不謹慎なやつ!」「ご尤も」。
Peter & Catherine’s Travel. Tour No.522
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