ペトロとカタリナの旅を重ねて

あの日、あの時、あの場所で
カタリナと歩いた街、優しい人たちとの折々の出会い・・・
それは、想い出という名の心の糧 

スクロヴェーニ礼拝堂

2013年08月06日 | 大聖年イタリア巡礼

 長靴に似た国イタリア、その最北部ヴェネト州。
 この州と言えば、アドリア海の女王、夢の浮き島とも称えられるヴェネツィア。

 そのヴェネツィアから特急列車インテルシティで僅か30分、世界的に名の知られた水の都の陰で忘れられがちな町がパドヴア。
 余談だが、この巡礼ではヴェネツィアへは半日の自由参加だったのだが、他に行きたいところもあって不参加、この美しい町のことは番外編として後日紹介する。

 A1 A2 A3

 水の都ヴェネツィア、カナル・グランデ・大運河(99/左)を行くゴンドラ
 
サン・マルコ寺院の鐘楼(99/中)からの眺めです
 
 パドヴアのサント広場、後ろの葱坊主がサンタントーニオ聖堂(00/右)

 学術と文化の香り高い町だそうで、かつて、ガリレオ・ガリレイが教授として招聘され、遅れてダンテやペトラルカが講義したと言う、ボローニャ大学に次いでイタリアで2番目に古いパドヴァ大学がある。

 さて、巡礼の一行が最初に向かった先は、スクロヴェーニ礼拝堂。
 駅から目抜き通りを真っ直ぐに南下、大きな運河を渡ると緑に覆われた公園があって、古代ローマの遺物が展示されている市立博物館がある。

 B1 B2

  その公園の一角、ロマネスク・ゴシック様式のスクロヴェーニ礼拝堂(左)
 
 13世紀初頭にエンリコ・スクロヴェーニが建立したのだそうです
 
 博物館への通路(右)

 この市立博物館の絵画館、パドヴア派やヴェネツィア派の作品が数多く展示してあり必見とのことだが、巡礼団は勿論、寄ってくれない。

 礼拝堂へは博物館から入場するようになっていて、一度に入場出来る人数も制限されている。
 99年ミラノのグラツィエ教会のダ・ヴィンチ(1452-1519/イタリア/盛期ルネサンス)の傑作「最後の晩餐」と同じ拝観方法で、湿気などに弱いフレスコ画保存のため仕方がないようだ。
 当時、修復中の堂内には一部足場が組まれていたが全てを見ることができた。

 この礼拝堂、天井から壁面一杯にフレスコ画で彩られている。
 壁画連作群のテーマは、ヨアキム伝、聖母マリア伝、キリストの生涯、善徳の寓意像、悪徳の寓意像、そして、最後の審判。
 絵画の祖とも呼ばれるゴシック絵画期最大の巨匠、ジョット・ディ・ボンドーネ(1267-1337/イタリア/ゴシック)と彼の工房の作である。

 C1 C2  

  まず「ヨアキム伝」から、ヨアキムとは聖母マリアの父、マリアの母アンナの夫
 
 妻アンナが、聖母を授かると宣告する天使の夢をヨアキムが見る場面を描いた「ヨアキムの夢」(左)
 
 ヨアキムとアンナは金門の前で再会、マリアの懐胎を抱擁と接吻によって喜び合う「金門の再会」(右)

 D1 D2 D3

 「キリストの生涯」の「カナの婚礼」(左)の場面
 
 水をワインに、キリストの最初の奇蹟として知られています
 
 「ユダの裏切り」(中)の場面、解説は要りませんね
 
 凛とした主と歪む弟子の表情など、連作壁画の中でも特に優れた作品とされています
 
 全部で38の場面が天井から壁面を覆う礼拝堂(右)です

 アッシジの聖フランチェスコ教会に残る彼の初期作品に比べると、格段に技量が進んだことを窺わせる。
 写真が撮れないので、市立博物館のショップで買ったガイドブックからその一部(部分)を拝借した。
 Peter & Catherine’s Travel. Tour No.680

 ※ 大聖年イタリア巡礼、前号「ルネッサンス都市」へは、<コチラ>から入れます。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 風立ちぬ ‐ カタリナ便り | トップ | サンタントーニオ聖堂 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

大聖年イタリア巡礼」カテゴリの最新記事