ペトロとカタリナの旅を重ねて

あの日、あの時、あの場所で
カタリナと歩いた街、優しい人たちとの折々の出会い・・・
それは、想い出という名の心の糧 

わがままな旅行者

2013年07月15日 | 大聖年イタリア巡礼

 少なくとも本人、つまり、ペトロ は決して思っていない。
 なにをだって?そう、自分が変人であること、ましてや奇人なんぞでは断じてないと。

 大聖年の巡礼、九日目のこの日の午後、ヴェローナの町を見学する組、少し遠いがヴェネチアまでエクスカーション、遠足をする組の二手に分かれることになっていた。

 で、ペトロとカタリナ、どちらを選んだのか?
 十二日間の巡礼中、四度、正確には五度だけ?団を離れて行動した。
 最初はローマ、大聖年巡礼の目的のひとつが、ローマ四大バシリカの聖なる扉・ポルタ・サンタ、25年に一度の聖年のみ開かれる。をくぐること。

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 最初は、サン・ジョバンニ・イン・ラテラノ教会と聖なる扉(左二枚)です
 ヴァチカンに教皇庁が移る14世紀までの約1000年間、カトリックの中心だったそうです
 
聖パウロ殉教の地に建てられたとされるサン・パオロ・フォーリ・レ・ムーラ教会(右二枚)です

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 そして、聖母マリアに捧げられた最初の大聖堂サンタ・マリア・マッジョーレ教会(左二枚)です
 
四大バシリカの最後は、いわずと知れたサン・ピエトロ寺院と聖なる扉(右二枚)です

 その後、土産物店に寄ってホテルへと言うので、「そんな詰まらんことを」と団を離れ、初めてのローマで登ることが叶わなかったミケランジェロ設計のクーポラ、予ねてから一度は登ってみたいと思っていた。
 これは、決してわがままではないと思うのだが、多分?

 中階までエレベータで昇りクーポラに入ると回廊がある。
 そこからが大変、当然のこととして階段が延々と続くのだが、初めのうち真直ぐで幅もあった階段、登るにつれ円蓋に沿うため次第に狭くなり斜めに傾いでくる。
 最後の胸突き八町を越え、径の狭い廻り階段を気息奄々登り切ると急に目の前の視界が開けた。

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 回廊からは、聖ペテロの司教座のある中央祭壇(左)を俯瞰することができます
 
そこから聖堂の屋上(中・右)、売店があって結構広い。に出ますが、ここからいよいよクーポラに入ります

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 晴れ渡ったローマの街を俯瞰するこの気持ちの良さ、右も左も、表(左)も裏(右)も?堪能
 
頬をなでる風が頗る爽快、360度、ローマのパノラマを心ゆくまで楽しみました

 寄り道がひどいようだ、話を戻す。
 二度目はヴァチカン、数万人の信徒と一緒に教皇の謁見に与ったことは以前書いた。
 その後、どうしてもサン・ピエトロ・イン・ヴィンコリ教会の聖ペトロが繋がれた鎖、そして、ミケランジェロの「モーゼ像」が見たかった。

 ちなみにこの教会、到着したのがシエスタ?の真っ最中、門前で1時間以上も待たされた。
 ミラノのサンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会で3時間待った「最後の晩餐」、ヴァチカン博物館の城壁に沿ってうんざりする程長い間並ばされた「システィーナ礼拝堂」、わがまま旅行、個人旅行の代償でもある。

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  随分と待たされました(左)
 ♪ 何を差し置いても「聖ペトロが繋がれた鎖」(中・右)、これを見ずして・・・、です
 
サン・ピエトロ・イン・ヴィンコリとは、鎖に繋がれた聖ペトロという意だそうです

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 主祭壇の傍らにある「モーゼ像」、想像を超える大作でした
 
法王ユリウス2世の霊廟のため作られたものとか、カタリナ、ペトロのため献灯です

 前後するが、四度目がフィレンツェ、ウフィッツィ美術館が予定されていてもう一度とも思ったが、それよりも行きたいところがあった。
 まず、ドゥオモの隣にある貴金属店の「トリーニ」、中央駅からすぐの「サンタ・マリア・ノベッラ教会薬房」、再びドゥオモ広場裏手の「ドゥオモ美術館」である。

 五度目の離団がミラノ、大方の人はミラノの北、湖水地方はコモ湖の見学に向かったが、スフォルツァ城のこれまたミケランジェロが死の数日前まで大理石に刻んだとされる「ロンダニーニのピエタ」がどうしても見たかった。
 彼が、生涯に四体の<「ピエタ」>(下線をクリックして下さい)を刻んだことはこれまでに書いた。

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 フィレンツェのドゥオモ博物館の「フィレンツェのピエタ」(左)です
 
サン・ジョヴァンニ洗礼堂の東の扉、別名「天国の門」のオリジナル・レリーフ(中)です
 
ミラノのスフォルツァ城内の市立博物館の「ロンダニーニのピエタ」(右)です

 そして、三度目が今回の舞台のヴェローナ。
 このときは別に見たいもの行きたい所が格別にあった訳ではない。
 朝飯から夕飯まで顔突き合わす団から少し離れ、出来ればローカル電車の旅がしたかっただけ。
 えっ、それだけでもうわがままそのものだって、そうかなあ?

 話がそれたよう、マントヴァに向かう電車に戻そうと思ったが、ローマだけで少し?紙面を食っちゃったので、とりあえずここで一旦置く。
 文章が長いのは下手な証拠だって、お許しあれ。
 Peter & Catherine’s Travel. Tour No.662

 ※ 大聖年イタリア巡礼、前号「イタリアの小さな町で」へは、<コチラ>から入れます。

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