ロンドン・ナショナル・ギャラリーの旅を続ける。
前回のホルバインでルネッサンス芸術と別れ、その後16世紀後半にイタリアで展開、洗練された手法に由来するマニエリスム・スタイルへ進むのが順序なのだろう。
が、次に予定している画家の難解な絵を判りやすくするため、バロック美術の画家の絵を先に投稿する。
で、今回は、王の画家にして画家の王と呼ばれたバロック期を代表する画家ピーテル・パウル・ルーベンス(1577-1640/フランドル)。
余談だが、ルーブル美術館に架かる連作「マリー・ド・メディシスの生涯」、一枚が縦4m、横3mの大作24枚で構成されているが、彼と彼の工房が手がけた絵の中には鑑賞者を圧倒するでかさのものがあって、一度ならず驚かされたことがある。
05年にベルギーのアントウェルペン、英名アントワープに彼の邸宅を訪ねたが、画家の王と呼ばれるに相応しい工房・アトリエだった。
この町を訪ねたのは、ここアントウェルペン大聖堂に置かれた彼の祭壇画の傑作、「キリスト昇架」と「キリスト降架」との出会いを求めてだったが、そのことは<秋色のアルザス>(12/09/07)などで投稿した。
話はそれたが、そのルーベンスの、「麦わら帽子 ‐ シュザンヌ・フールマンの肖像」(上)が今回の絵。
最初の妻イザベラ・ブラントと死別した数十年後に再婚した二番目の妻エレーヌ・フールマンの姉であるシュザンヌ・フールマンを描いたもの。
彼女の右手の人差し指の指輪が目立つことから、婚約を記念した肖像画であるとされている。
ルーベンスは、美しく魅力的で、活気と知性を備えた女性を描くことができた画家とされ、何時も目を大きく、瞳の中央の暗い色を誇張して描くのだそうだ。
この絵でも、目に輝きと豊かな表情を与えながらも、その視線は直接こちら側と交わることを避けている。
それが、控え目ながらも溌剌とした印象が全体の均衡を保ち、表情をより真の迫ったものにしているのだとも。
女性はフェルト帽を被っているが、18世紀末頃より、何故か “ 麦わら帽子 ” の愛称で呼ばれてきたのだそうだ。
ちなみに、愛称と言えば、“ 毛皮さん・小さな毛皮 ” とも呼ばれる、「エレーヌ・フールマン」(下/ウィーン美術史美術館蔵)。
シュザンヌ・フールマンの妹で二番目の妻のエレーヌ・フールマンをモデルに描いたこの絵、08年ウィーンを再訪した折に出会ったが、ルーベンスの裸婦像の大きな特徴である輝く肌の質感、柔らかく膨よかな肉体表現に目を瞠(みは)らされたことを覚えている。
ところでモデルのふたり、衣装やポーズは違うものの、並べてみると表情、雰囲気がなんとなく似ていて、「姉妹だよ」と教えられれば、「ふ~ん、そうなんだ」と思う。(この稿、続く)
Peter & Catherine’s Travel. Tour No.792
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