現役時代、深夜だろうが明け方だろうが、構わずメールで仕事を送信できる上司がTさんだった。
聊か向きになって稟議案や報告書を送り、喧々諤々やり合うようなこともあったが、お互いの気持ちを忖度し合える仲だった、と勝手に思っている。
その彼を中心に、気の置けない仲間がいる。
サラリーマン世界、利にならない人付き合いなど余りないと思うのだが、温厚な彼の下で働いた連中、そんなことに関わりなく何時の間にか機会を作っては集まるようになった。
世話をしてくれるのが現役組。
何を好き好んで、何時までも上司風を吹かす老害連中に付き合ってくれるのか?感謝の他ない。
その Tさん、以前、小ブログ<朝のドラマ‐8月がゆく>で紹介した某部長の後任である。
前任者とスタイルは違って、仕事の手が早く、それに、じっとしていることが何より嫌いな彼、デスクで絶えずキーボードを叩いていたような。
そんな彼、朝が早い代わりに夜は遅く? 部下にしてみれば、「おおきに迷惑」なところも正直あったよう。
上司たるもの、仕事に関して部下に厳しいのは当たり前のこと。
ただ、彼の場合、往々にして、「自分でやったほうが早い」とばかり、何から何まで、実に見事に手際よくやり遂げてしまうのである。
最初こそ、面倒な仕事から解放されたことを喜んだ部下も、それが度重なると疎ましく思うのが凡人の常。
放任主義の前部長を懐かしむ声も、陰では囁かれたりもしたようだ。
そのTさん、リタイヤ後も、行政の相談員やらボランティア、OB会の世話人からゴルフや水彩画教室、その合間を縫って奥様と海外へと、公に私に、座布団を暖める間もあらばこその日々を過ごされていると聞き、やはり、性分なるものは何時まで経っても変わらないものだと感じ入るのである。
つい先日も、その連中と久方振りに聞こし召した。
その場で、Tさんが描くところの水彩画のコピーを無理やり借り、こうして迷惑も構わず小編を書いた次第、お許しあれ。
現役の一時期、体調を崩されたこともあったが、医者の指示を守り克服、元気で頑張っておられる。
水彩画の「京都・美山」と「self-portrait」、描き手の人柄が滲み出ていかにも優しい。
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