巻すし、ペトロ の生家、慶弔事には必ずこれが並んだらしく、今になっても大好物で度々リクエストされる。
子供がともに暮らしていた頃は、食べてくれる笑顔が嬉しくてせっせと作ったものだ。
が、老夫婦ふたりになり量も要らなくなると、たとえ数は少なくとも、高野豆腐、干し椎茸、干瓢などの乾物類を湯戻ししたり煮含めたりする手間は同じ。
食卓に並ぶものを食べるだけの人は、料理の下拵えなど諸々のことが理解できないようだがこの料理、思いの外時間がかかり、一寸大変なメニューでもあるのだ。
ペトロは、毎食続いても構わないほど好きらしく、ある日のこと、「手伝うから」と言うので一緒に作り出した。
海苔にチョコチョコと具を入れて巻いたらお仕舞と思っていたらしく、余りに手間ひまがかかるので驚いていた。
それ以来、言い出しかけては、「大変だからなあ、買ったほうが早いか」と呟くようになったので少し気にしていた。
そんな矢先のこと、奈良のMさんから嬉しくも、「お口に合えばよろしいのですが」と手作りの巻すしを頂いた。
その日の夕食、早速頂こうと切り分けていたが、なんともはや食欲をそそる。
お行儀が悪いが思わず端の一切れ、お先に失礼と頬張ったところ、美味しくて思わず、「味見、味見」とペトロを呼びそうになった。
しかも、頂いた三本の巻きすし、それぞれ具材が違い驚かされる。
私のように同じ具材ばかりの単調なものではなく、「すごいね、見て、見て」と、まるで自分が巻いたような興奮振り。
何時もは、多くて四切れほどでご馳走様になるのだが、今日はペトロも驚くほどパクパクと食が進み、現金なものだと我ながら呆れる。
彼女のご主人、毎日30品目の食材を摂れる料理をと言われると聞き、「うわ~っ、それは大変!」と言ったら、楽しそうに、「スープにするといいのよ。それほどむつかしいことではないのよ」と、笑って話しておられた。
予てからお料理上手とは伺っていたが、まさに脱帽! 残り少なくなったお皿を前に、彼女のご家族の会話が弾む食卓を思い浮かべながら、「美味しかったなあ」「ご馳走様でした」と手を合せた。
初釜の折の土佐みずき、嬉しくも蕾がようやく開いた。()
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます