教会からの束縛から解放されたルネッサンス運動。
それは、僅か28歳で天に召された天才画家マザッチョによって、奇跡のように始まったとされる。
彫刻家ドナテッロ、建築家ブルネツレスキと共に、初期ルネサンスの三大芸術家とされるマザッチョ。
ここでは、そのマザッチョと40年ほど後の画家ボッティチェリ、そのふたりの間で、重要な役割を果たしたある画家のことについて触れてみたい。
その画家とは、初期ルネサンスを代表するフィレンツェ派の巨匠フィリッポ・リッピである。
幼くして孤児になった彼、カルミネ派の修道院で育てられ修道士となる。
ただ彼は、ドミニコ会の修道士でリッピと同時期に活躍、サン・マルコ修道院に傑作「受胎告知」を遺したフィレンツェ派の巨匠フラ・アンジェリコとは対照的に、数々のスキャンダルを起こしている。
リッピは、何人もの女性と浮名を流す恋多き男で、修道女と駆け落ちするなど奔放な生活を送ったことで知られる。
修道女ルクレツィア・ブーティとの間に子までなし、還俗するはめに。
そのおかげ?と言えばいいのか、後にボッティチェリの弟弟子として活躍するフィリッピーノ・リッピ画伯が誕生したと言う訳である。
そのリッピ、極めつけの傑作、「聖母子とニ天使」(写真上)がここに架かる。
カタリナ が、「マリアの息遣いが」感じられるというこの作品、背景にだまし絵のような枠を用い立体感を表現している。
幼子イエスを支える天使たちのあどけない表情。
とりわけ、静謐ながらも憂いをたたえた聖母マリア、その甘美で官能的な表情に生身の女性の伸びやかさを見て取り、画家のみならず市民も教会から開放された喜びを、「ほんとに?」 「多分!」感じるのである。
この絵を眺めていると、「好きで女遊びしてたんやないんやで、おいら!」と、リッピの声が聞こえてきそうな気がしないでもない。
ところで、彼と真逆なフラ・アンジェリコ。
同じ町<サン・マルコ修道院>の壁に彼の「受胎告知」を見たが、奔放なリッピもこの「受胎告知」(写真下)を<サン・ロレンツォ教会>に遺していて、見比べてみるのも面白い。
また、リッピから三十年ほど後、巨人ダ・ヴィンチも傑作「受胎告知」を遺し、ここウフィツィ美術館の一室に架かっているが、それは後日に。
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