どこの美術館にも、専門家にして「意味が判らない」という、難儀な絵はあるようだ。
ここウフィツィのその絵は、初期ルネサンス、ヴェネツィア派の始祖であるヤコボ・ベッリーニの庶子、ジョヴァンニ・ベッリーニの「宗教的寓意」(写真上)だ。
父が起こした画派を確立したジョヴァンニ、異母兄のジェンティーレとともに開いた工房からは、ジョルジョーネやティツィアーノなど、ヴェツィア派の巨匠となる画家を輩出、ヴェネツィアへ留学中の生意気<デューラー>とも交友があり、その影響は広く及んだという。
「聖なる寓意」とも呼ばれるこの絵、彼の絵の中で最も謎に包まれ、「宗教的寓意」という画題も便宜上そう呼ばれているだけらしく、長い間、弟子のジョルジョーネの作とされていたんだとか。
主題は、聖会話をはじめ、慈悲、正義、平和、慈愛の複合的寓意表現など、様々な解釈が論じられてきたらしい。
しかし、絵の意味するところは今もって謎らしく、完全には解明されていないのだそうだ。
美術書によれば、前景の柵に囲まれた所は、命の木と善悪の知識の生えた楽園で、後景は、その木の果実を食べた人間が宿命づけられた現世なのだそうだ。
ペトロ、疑り深い性格?ゆえにその辺りから、「えっ、ほんまかいな?」と、眉に唾をつけ始める?
柵内の玉座に座るのは聖母マリアで、柵の外で神の言葉を象徴する剣を手にしているのが<聖パウロ>(写真下左)。
右手には半裸の男がふたり(写真下右)。
ひとりが矢に射られ殉教、最も古いゲイ・アイコンとされる聖セバスティアヌス。
もう一方の髭の爺さんが、ラテン語訳の聖書を編纂、アフリカでライオンの棘を抜いてやり仲良しになった聖ヒエロニムスと、いちいち丁寧に教えて貰えば、「なるほど」と思えなくもない。
が、そんな諸聖人が一堂に会して一体何をなさっておられるのか? 美術界の重鎮の学説とやらのどれも論破され、今もその議論が、「お暇なこと」に続いているのだそうだ。
カタリナ 曰く、こういう絵は深く考えず、「ふ~ん、そうなんだ?」と、聞き流すのが一番と。
さもありなん、さっさと次の絵に進んだ方がよろしいようで、はい。
Peter & Catherine’s Travel Tour No.330