大辞林には、「手に手に」の転とも「手々」の転とも。
ひとつにそれぞれとか各自、ふたつにその人自身、自分自身という意で、“ てんでんに私の欠点をあげつらい ” とか “ 俺のことを古狸というが、てんでんは狼だ ” などと使うとある。
俳優で大道芸や放浪芸の発掘や研究で知られる小沢昭一さん。
40年近く続くラジオ番組、「小沢昭一の小沢昭一的こころ」で、軽妙洒脱にしてアイロニーの効いた、少し艶めいた語り口を楽しまれている方も多いと思う。
その小沢さん、4月最後の日曜の朝日新聞で、“ 東北の皆さんは我慢強く粘り強い。大変でしょうが、持ち前の逞しさでシブトク立ち直って ” と語りかけていた。
戦中派の小沢さんには被災地の光景が、広島の焦土や戦後の焼け跡の風景と重なり、そして、あの悲惨な状況から立ち上がって復興を遂げた日本だから、今回も必ず立ち直れると信じる一方で、「ちょっと待てよ?」とも思うとも。
敗戦後は日本中が茫然自失の状態、昨日までの価値観が根底からひっくり返って、ただ呆然とするだけじゃなく、自分の存在の根拠さえ失った自失だったと。
当時は、『みんなで頑張ろう』なんて掛け声もなかった
みんな焼け跡で、今日を生きることで精一杯、てんでんバラバラに頑張るしかなかった
この、“ てんでん ” というのは、個人一人ひとりの “ 自立 ” なんです
戦後の貧しい中で、その貧乏をバネに俺の好きな生き方をしよう、大変だろうけどやってみようじゃないか
だから、今回の「一致協力」とか「絆」なんてことが強調されるのが、実はちょっと心配なんだと続ける。
いつかまた、あの忌まわしい『一億一心』への逆戻りの道になりゃしないかと
だから、私たちの世代には『絆』ってのは一寸怖い言葉なんです
これまた朝日(5/21)の「耕論」で、歌手の友川さんという方が語っていた。
原発は誰かの我欲を満たす『金のなる木』、それだけに彼らは枯らすまいとする
事故から2月、原発難民を余所目に、枯らしてはならじとする連中、政官業に加えて御用の冠がつく学者や労組、果ては首長までが、てんでんならば未だしも卑しくも群れて蠢く。
21日から二十四節気のひとつ、草木枝葉繁る候とされる “ 小満 ”(しょうまん)。
梅雨に先駆けて雨が続くはしり梅雨の晴れ間、夙川河川敷緑地の池には菖蒲が群れ咲き、水面を初夏の爽やかな風が渡る。
Peter & Catherine’s Travel Tour No.328