ペトロとカタリナの旅を重ねて

あの日、あの時、あの場所で
カタリナと歩いた街、優しい人たちとの折々の出会い・・・
それは、想い出という名の心の糧 

ブランカッチ礼拝堂 ‐ フィレンツェ

2011年05月04日 | イタリア

 サンタ・マリア・デル・カルミネ教会。
 大聖堂などから少し離れているせいか人の姿は少ない。

 カルメル修道会によって13世紀中頃に建てられたというこの教会(写真上)、石と煉瓦を積み上げたままの未完のファサードが、長い歳月に晒されて痛々しい。

 059当時は、有料だが開館時間内であれば、何時でも、何時間?でもOKだったが、今は予約が要るうえに、30人単位で僅か15分間の入替制になっていると聞く。

 話がそれた、教会右手から入ると中庭を囲む回廊(写真下)、その中ほどから上階へと続く古びた素朴な造りの階段を数段昇り、突き当たりのこれまた古びた扉を押すと内陣、主祭壇の右手が目指すブランカッチ礼拝堂だ。

 この礼拝堂、14世紀中頃にフィレンツェの商人ピエロ・ディ・ブランカッチによって建てられ、後に甥のフェリーチェ・ブランカッチが所有するようになったという。

 15世紀の初め、フェリーチェは礼拝堂をフレスコ画で飾ることを望み、その制作がマゾリーノと彼の友人で気心の知れた<マザッチョ>に託される。

 062マザッチョが若くして帰天、マゾリーノはひとりで描き続ける。
 描き始めて14年ほど経った頃、ライバルのメディチ家によってブランカッチはフィレンツェから追放されてしまう。

 スポンサーがいなくなったが、フレスコ画は未完成のまま。
 壁画制作はその後、<フィリッポ・リッピ>の息子フィリッピーノ・リッピの手へと移り、やがて完成する。

 1771年の火災により、礼拝堂は焼却を免れたものの煙によってフレスコ画は黒く煤けてしまう。
 長い間そのまま置かれていたが、1990年にようやく修復を終え、当時の美しさが蘇った。

 マザッチョ、マゾリーノ、そして、フィリッピーノへと受け継がれ、“ ルネッサンス絵画のアトリエ ” とも称されるブランカッチ礼拝堂、そのテーマは、「聖ペトロの生涯」。

 フィレンツェ、この先、訪れる機会もまずないことを思えば、「この旅でどうしても」「見とかなあかん」絵だったのである。
 Peter & Catherine’s Travel Tour No.321

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする