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ペトロとカタリナの旅を重ねて

あの日、あの時、あの場所で
カタリナと歩いた街、優しい人たちとの折々の出会い・・・
それは、想い出という名の心の糧 

ルーベンス+ブリューゲル 「楽園のアダムとイブ」

2018年01月13日 |  ∟ベネルクスの美術館

※ オランダ ‐ デン・ハーグ/マウリッツハイス美術館編(8)‐ ベネルクス美術館絵画名作選(8)

 バロック期を代表するフランドルの画家ピーテル・パウル・ルーベンス(1577-1640)、ヨーロッパ狭しと活躍したこの多能多芸な画家、外交官でもあったようだ。

 その彼が、ヤン・ブリューゲル(父)( 1568-1625)との共同作品を遺している。
 ちなみに、ヤンは<ピーテル・ブリューゲル(大)>(1525-1569)の次男で、息子もヤン(1601-1678)なので(父)と区別している。

その作品とは、共作の中で最も傑出した作品「楽園のアダムとイブ」(1615年頃/74×114cm)。

 創世記にモチーフを得た本作、ルーベンスが、彼独特のふくよかな線でアダムとイブを、花や動物などに秀作を描き花のブリューゲルとも称されるブリューゲルが動物と風景を、それぞれ得意とする対象を描いたもので、とても二人の画家が描いたとは思えない。

 この牧歌的な風景は、神より口にすることを禁じられていた善悪の知識の木の実、リンゴともされているようだ。を、蛇に “ 神のようになれる ” と唆されたイブ、あろうことかアダムにもすすめ、挙句、<楽園から追放>される場面へと転換するのである。

 本作で、ベネルクス美術館名作選、マウリッツハイス美術館編を終え、時計の針を少し進め、デン・ハーグの前に訪ねたアムステルダム国立美術館編へと旅は続く。
Peter & Catherine’s Travel. Tour No.1485

 ※ 小編は、2010-03 に投稿した記事をリライト、再投稿したものです。

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フェルメール(3)「デルフトの眺望」

2018年01月09日 |  ∟ベネルクスの美術館

 ※ オランダ ‐ デン・ハーグ/マウリッツハイス美術館編(7)‐ ベネルクス美術館絵画名作選(7)

 いわゆる風俗画を多く、と言っても僅か三十点足らずだが。描いたフェルメール(1632-1675)。

 そ中で二点、故郷デルフトの風景を描いてい、そのひとつが今回の作品「デルフトの眺望」(1659-60年/98.5×117.5cm)である。

 もう一点の「<デルフトの小道>」(1558-59年頃/アムステルダム国立美術館蔵)の翌年に描かれた本作、同じ町の風景を切り取っているが、その画趣はかなり異なり別の表情を見せる。

 町を遠望した本作、子を抱く母と三人の男女らがいる岸辺、鰊舟が舫っているスヒー川、街を囲う壁とその向こうに続く家並み、そして、厚い雲に覆われた空、画面をこの四つの帯で構成している。

 中央やや右手、水門の両端に建物があって、左の建物の時計が七時を指し、未明まで降った雨も上って青空が覗いている。

 その雲の切れ間から差し込む光が右手、教会の尖塔とその奥の甍を明るく輝かせ、水門の辺りの建物や高い樹木の影の部分とを対比、それが景色に奥行きを与えている。

 さらに、川面に写る建物などの影と多くを占める空が、本作を伸びやかで開放的なものにしている。

 ところでフェルメールは、本作を完璧に表現するため、ある技法を用いたのだとか。
 それは、左手の赤い壁の奥の細長い建物、その窓枠の黄土色に砂が混ぜられているのだといい、本作への彼の並々ならぬ意欲が見て取れるのである。
 Peter & Catherine’s Travel. Tour No.1481

 ※ 小編は、2010-03 に投稿した記事をリライト、再投稿したものです。

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近代医学の夜明け

2018年01月05日 |  ∟ベネルクスの美術館

 ※ オランダ ‐ デン・ハーグ/マウリッツハイス美術館編(6)‐ ベネルクス美術館絵画名作選(6)

 2018年 “ 絵画名作選 ”、昨年に続きデン・ハーグのマウリッツハイス美術館で再開。

 元旦の夜NHKで、三谷幸喜さんの「風雲児たち ‐ 蘭学革命篇」というドラマをやっていた。
 残念ながら視逃してしまったが、それでもタイトルからおおよその主題は想像がつくというもの。

 蘭学医前野良沢(1723-1803)と杉田玄白(1733-1817)が、安永三年というから1974年に出版した解体新書のことは知られている。

 その新書発刊に遡ること140年ほど、オランダ絵画黄金期を築いたレンブラント・ファン・レイン(1606-1669)が、名声を確立したある作品を描いていた。

 その作品とは、彼にとって最初の集団肖像画「テュルプ博士の解剖学講義」(1632年/169×216cm)である。

 アムステルダム外科組合の主任科長ニコラス・テュルプ博士は、週に二回、解剖講義をしていたが、外科会館に架ける記念図にその講義の場面を選び、ライデンから出てきたばかりの若き画家にその制作を依頼した。

 若きレンブラントは、博士を始めとした八名の登場人物が、実際に講義を行っているかのような臨場感に溢れる作品を仕上げた。

 取り分け、解剖される処刑された犯罪者の体には輝くばかりの光が当てられ、神の創造物である人体を解剖するというある種の冒涜的行為を神聖な行為にまで昇華させてい、博士と七名の弟子をひとつの意思に見事に統一した作品といえる。
 Peter & Catherine’s Travel. Tour No.1477

コメント (3)
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王の画家にして画家の王が独りで描いた絵

2017年12月27日 |  ∟ベネルクスの美術館

 ※ オランダ ‐ デン・ハーグ/マウリッツハイス美術館編(5)‐ ベネルクス美術館絵画名作選(5)

 ブリュッセルから電車でオランダとの国境の街アントワープに、王立美術館と聖母マリア大聖堂を訪ねたことがあった。

 そのノートルダム大聖堂、王の画家にして画家の王と呼ばれたピーテル・パウル・ルーベンス(1577-1640の「聖母被昇天」(上/1626年/490×325cm)が主祭壇を飾る。

 その原画「聖母被昇天」(下/1622-25年/88×59cm)が、ここマウリッツハイス美術館に架かる。

 彼は、連作 「<マリー・ド・メディシスの生涯>」(1621-1625年/ルーブル美術館蔵)に代表される、見上げるような大作を含め実に多くの作品を描いている。
 その多くは、ルーベンス工房で弟子たちと描いたものだとされている。

 だが、大聖堂の祭壇画もこの原画も、弟子を使わずにひとりで描いたとされ、今まさに天にあげられようとする聖母マリアが、彼独特の柔らかい線使いと彩色でふくよかに描かれている。

 この原画は、注文主であるアントワープ大司教に、完成品のイメージを伝えるために描かれたもので、この祭壇画にかける彼の意気込みが伝わってくる。

 彼は、当時アントワープを統治していたハプスブルク家に宮廷画家として仕え、フランス王妃マリー・ド・メディシスなどの権力者とも交友関係を築くなど、画業以上?に外交能力に長けていたという。

 早い話が身過ぎ世過ぎが巧みで、アントワープの目抜き通りにある彼の工房兼住居は、裕福さを窺わせるに十分なものだった。

 とは言え<大聖堂>の主祭壇を飾る「聖母被昇天」は、彼の傑作「キリストの昇架」「キリストの降架」を左右の礼拝堂に従え、紛れもなくルーベンス昇華の傑作であることを示している。

 ルーベンスを「余り好きじゃない」と言って憚らないカタリナ も、一連の祭壇画を前にしてさすがに声もなかった。
 Peter & Catherine’s Travel. Tour No.1471

 ※ 小編は、2010-03 に投稿した記事をリライト、再投稿したものです。

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神聖な場所へと誘う小さな絵

2017年12月26日 |  ∟ベネルクスの美術館

※ オランダ ‐ デン・ハーグ/マウリッツハイス美術館編(4)‐ ベネルクス美術館絵画名作選(4)

 光と影の魔術師レンブラント・ファン・レイン(1606-1669)、ここマウリッツハイス美術館に小体な宗教画が架る。

 その絵とは、新約聖書に画想を得た「キリストの神殿奉献」(1631年/61×48cm)。

ヨセフとマリアは “ モーセの律法に従い神殿へ奉献するためつがいの山鳩を持ちイエスを連れてエルサレムへ向かった ”(レビ記13章)。

 そこには “ 信仰が篤く聖霊が留まり、主が遣わすメシア・救世主に会うまでは決して死なないとのお告げを聖霊から受けていたシメオンという老人 ” がいた。

 シメオンは神殿で幼子イエスを抱き救い主であることを宣言、後に降りかかるイエスの受難を予言する場面を描いた本作、主題は “ 聖母七つの悲しみ ”(ルカ2章)の第一留。

 ちなみに、七つの悲しみとは、この他に、エジプト逃避、御子の見失い、十字架の道行、昇架と降架、ピエタ・悲嘆、そして埋葬。

 ところでレンブラント、本作から十三年後、関連性を疑うべくもない一枚の絵を描いている。

その絵とは、同じく新約聖書に画想を得た「キリストと姦淫の女」(1644年/84×65.5cm/ロンドン・ナショナル・ギャラリー蔵)。

 守旧派の律法学者やファリサイ派の人々が姦通の現場で捕らえられた女を連れてきて、“ こういう女は石で打ち殺せとモーセは律法の中で命じています、あなたなら・・・ ” とイエスを試す。

 イエスは、“ あなたたちの中で罪を犯したことのない者が、まず、この女に石を投げなさい ” と答え、これを聞いた律法学者たちは一人、また一人と立ち去る ”(ヨハネ8章)という場面。

 彼自身の黄金の時代とされる1632年から42年、その初期と末期に描かれたふたつの絵。
 共通するのは、大きな空間構成の巧みさ、劇的にあてられた光による物語性と豊かな表情である。

 できれば拡大してご覧下さい、長辺が1mにも満たない小さな絵が、あなたを神聖な場所へと誘ってくれることでしょう。
Peter & Catherine’s Travel. Tour No.1470

 ※ 小編は、2014-06 に投稿した記事をリライト、再投稿したものです。

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わざとじゃないのに、酷くない!

2017年12月21日 |  ∟ベネルクスの美術館

 ※ オランダ ‐ デン・ハーグ/マウリッツハイス美術館編(3) ‐ ベネルクス美術館絵画名作選(3)

 生涯で僅か三十数点しか残さなかったヨハネス・フェルメール(1632-1675)、風景画や宗教画も数点確認されているが、その大半がデルフトの町に住む中流階級の日常を描いた風俗画である。

 そんな彼の唯一の神話画、狩猟と月の女神ディアナをモチーフに描いたのが「ディアナとニンフたち」(1655-56年頃/97.8×140.6cm)。

 本作、古代ローマの詩人オウィディウスの「変身物語」にその画想を得たとか。
 ちなみに物語は、登場人物が動物や植物など、様々なものに変身する15のエピソードから構成されているのだそうだ。

 粗く筋を追うと、狩を終え休息する髪に月の飾りをつけた女神ディアナと森の妖精・ニンフたち。

 そこへ狩に出た若き王子アクタイオンが通りかかり、偶然に沐浴をしているディアナを見てしまう。
 ニンフたちがディアナの裸体を隠そうとしたのだが、間に合わなかったのである。

 図らずも覗き見をしてしまった王子、ディアナに水をかけられ牡鹿に変えられてしまい、哀れにも彼自身が連れてきた猟犬に噛みつかれ死んでしまうのである。

 その直前の光景を描いた本作、フェルメールは、ディアナの傍らに男らしさの象徴である「薊の花」を描き、アクタイオンが間もなくここに来るであろうことを示唆している。それにしても酷かない?
 Peter & Catherine’s Travel. Tour No.1465

 ※ 小編は、2010-03 に投稿した記事をリライト、再投稿したものです。

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北欧のモナ・リザ

2017年12月19日 |  ∟ベネルクスの美術館

 ※ オランダ ‐ デン・ハーグ/マウリッツハイス美術館編(2) ‐ ベネルクス美術館絵画名作選(2)

 中欧美術館名作選、オランダ絵画黄金期を築いたヨハネス・フェルメール(1632-1675)の「<地理学者>」(1669年頃/シュテーデル美術館蔵)で、ひとまず終えた。
 で、“ ベネルクス美術館絵画名作選 ” の旅、そのフェルメールの傑作から出発したい。

 その作品とは、彼の最も有名な作品のひとつとされる「真珠の耳飾りの少女」、別名「青いターバンの少女」(1665-66年頃/46.5×40cm)。

 真珠の耳飾りをつけた少女、その僅かに開かれた唇が少し謎めいて見えるせいもあって “ 北欧の<モナ・リザ >” とも呼ばれている。

 漆黒というのだろうか、何の細工も施されていないように見える背景の中で光を浴びて浮かび上がり、肩越しにじっと見つめる少女、その視線の先には、一体、何があるのだろうか?

 画題になった大きな真珠の耳飾り、「<真珠の首飾りの女>」(1664年/ベルリン・ゲマルデ・ギャラリー蔵)をはじめとしてフェルメールの作品に度々現われる。

 本作では、少女の襟首が背景に溶け込む辺りにその真珠の耳飾りがあって、少女の一瞬の視線を和らげているかのようにもとれる。

 彼の作品の多くは、彼が生まれ育った町の陶磁器の色、デルフト・ブルーに彩られている。
 本作にもラピス・ラズリ、ウルトラ・マリンブルーが、少女の青いターバンに使われている。

 黒い背景の中で鮮やかに浮かび上がる真珠の耳飾りを付けた少女、その青と彼が多用する黄、光と闇、際立つ色彩と明暗の対比がこの少女を謎めかせ、見る者を捉えて離さない。
 Peter & Catherine’s Travel. Tour No.1463

 ※ 小編は、2010-03 に投稿した記事をリライト、再投稿したものです。

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小粒だが、珠玉の名品が架る美術館

2017年12月18日 |  ∟ベネルクスの美術館

 ※ オランダ ‐ デン・ハーグ/マウリッツハイス美術館編(1) ‐ ベネルクス美術館絵画名作選(1)

 北海に面するオランダ第三の都市デン・ハーグ、国会議事堂をはじめ政府機関、各国大使館などが並ぶ政治の街である。

 その中心がピネンホフ、その一角、噴水が美しい池に面して建つのが、オランダで最も美しい建物のひとつとされるマウリッツハイス美術館。

 ブラジル総督であったヨハン・マウリッツ(1604-1679)の私邸が、1822年というから200年ほども前、初代オランダ国王ヴィレム1世(1772-1843)の王立美樹館として公開され、今に引き継ぐ。

 収蔵数は多くないが、フランスから返還されたオラニエ家代々の蒐集をもとに、珠玉の作品が展示されている。

 国の機関が入る建物と敷石の小さな広場を挟んだ正面玄関は締まってい、建物の右手、車道に面した歩道から二、三段降りたところ、小さな扉が入口になっていた。

 館の中央階段を上った二階と三階、王の画家にして画家の王と呼ばれたルーベンス(1577-1640)、オランダ絵画黄金期をともに築いたレンブラント(1606-1669)とフェルメール(1632-1675)などの傑作が架っている。

 題して “ ベネルクス美術館絵画名作選 ”、再投稿も含め各編短く廻ってみたい。
 Peter & Catherine’s Travel. Tour No.1462

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真珠の耳飾りの少女

2010年03月26日 |  ∟ベネルクスの美術館

 マウリッツハイス美術館のフェルメール。
 最後の作品は、彼の最も有名な作品のひとつとされる「真珠の耳飾りの少女」(写真上)「青いターバンの少女とも呼ばれている。

 真珠の耳飾りをつけた少女、その僅かに開かれた唇が少し謎めいて見えるせいもあって、北欧のモナ・リサとも呼ばれているのだそうだ。

 Photo_5この絵にも、彼の「<牛乳を注ぐ女>」(アムステルダム国立美術館)と同じように、ラピス・ラズリ、あのウルトラ・マリン・ブルーが、少女の青いターバンに使われている。

 背景は、漆黒というのだろうか何の細工も施されていないように見える。
 黒い背景の中で光を浴びて浮かび上がる少女は、肩越しにじっと見つめる。その視線の先には、一体、何があるのだろうか?

 画題になった大きな真珠の耳飾り、彼の「手紙を書く女と召使」(写真中/ニューヨーク、フリック・コレクション)、ちなみにこの作品は東京での<フェルメール展>に出品された。を、はじめとして彼の作品に度々現われる。

 Photo_2本作では、少女の襟首が漆黒の背景に溶け込む辺りに、その真珠の耳飾りがあって、少女の一瞬の視線を和らげているかのようにもとれる。

 彼の作品の多くは、彼が生まれ育った町の陶磁器の色、デルフト・ブルーに彩られている。

 窓から差し込む光りを受けて、白と黄と赤と青が柔らかな「牛乳を注ぐ女」。
 黒い背景の中で、青と黄が鮮やかに浮かび上がる「真珠の耳飾りの少女」、光と闇、その手法は異なるが、色彩対比は同じように際立つ。

 マウリッツハイス美術館、「オランダ絵画黄金期という一時代を築いた画家たち、とりわけレンブラントに魅せられ、立ち去り難いものがあった。

 何時か「レンブラントの旅を綴りたい、そんなことを考えながら美術館を後にした。

 1_22_2ビネンホフから旧市庁舎の付近を散策、ホテルへ向った。
 朝のうちは霧がかかっていたせいか、街は閑散としていたが、午後になって人が出てきたようで、デパートが並ぶ辺りも賑わっていた。

 これで、美しい街デン・ハーグ(写真下)と別れ、ベルギーブリュッセルに向かう。とまれ天気に恵まれたオランダだった。

 昨秋、ロッテルダムを訪れた時、ライデンとハーグへ足を延ばした。
 その折、
4年振りにこの美術館を訪れたが、レンブラントもフェルメールも、少しも変らずそこに在ったのはいうまでもない

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デルフトの眺望

2010年03月24日 |  ∟ベネルクスの美術館

 フェルメールを訪ねる旅の続き。

 オランダ第三の街、デン・ハーグのマウリッツハイス美術館にいる。
 回の、現存する彼の絵のなかで、唯一、神話をモチーフにした「<ディアナとニンフたち>」に続き、「デルフトの眺望」のことを書く。

 ェルメPhotoールは、そのほとんど、といっても僅か30数点だが、日常の生活のなかの人物を、いわゆる風俗画として描いている。

 その数少ない絵のなかで、二点だけ風景を描いているが、何れも、故郷デルフトの風景を描いたもので、ひとつが「<デルフトの小道>」(アムステルダム国立博物館所蔵)、もう一点が「デルフトの眺望」(写真上)だ。

 上がりのデルフトの町を描いた「眺望」。 
 「小道」から3年ほど後に描かれたこの絵、「小道」の三倍ほどのキャンバスに、同じ町の風景を切り取っているが、その画趣はかなり異なり、別の表情を見せる。

 Photo_2の「眺望」、子を抱く母と三人の男女、そして、少し離れたところに女性がいる岸辺と舟が舫っているスヒー川。(写真中:部分)

 厚い雲に覆われた空、そして、町を囲う壁の向こうの町、画面を大きく、この四つの帯で構成している。

 中央やや右手、水門の両端に建物があって、左の建物の時計が七時を指している。未明まで降った雨が上って、今は青空が覗いている。

 Photoの切れ間から差し込む光が、教会の尖塔とその奥の赤い甍を明るく輝かせ、水門の辺りの建物や高い樹木の影の部分とを対比、その明暗 効果が景色に奥行きを与えている。(写真下:部分)

 さらに、川面に写る建物や舟の影と画面の半分以上を占める空が、この絵を伸びやかで開放的なものにしている。

 ウリッツハイス美術館のフェルメール。
 次回の「真珠の耳飾りの少女」との出会いを最後にこの街と別れ、ベルギーのブリュッセルへ列車で向かう。

 その道中、思いもよらぬ出来事に出会う羽目になるのだが、それはまた、別の機会に。

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