ペトロとカタリナの旅を重ねて

あの日、あの時、あの場所で
カタリナと歩いた街、優しい人たちとの折々の出会い・・・
それは、想い出という名の心の糧 

王の画家にして画家の王が独りで描いた絵

2017年12月27日 |  ∟ベネルクスの美術館

 ※ オランダ ‐ デン・ハーグ/マウリッツハイス美術館編(5)‐ ベネルクス美術館絵画名作選(5)

 ブリュッセルから電車でオランダとの国境の街アントワープに、王立美術館と聖母マリア大聖堂を訪ねたことがあった。

 そのノートルダム大聖堂、王の画家にして画家の王と呼ばれたピーテル・パウル・ルーベンス(1577-1640の「聖母被昇天」(上/1626年/490×325cm)が主祭壇を飾る。

 その原画「聖母被昇天」(下/1622-25年/88×59cm)が、ここマウリッツハイス美術館に架かる。

 彼は、連作 「<マリー・ド・メディシスの生涯>」(1621-1625年/ルーブル美術館蔵)に代表される、見上げるような大作を含め実に多くの作品を描いている。
 その多くは、ルーベンス工房で弟子たちと描いたものだとされている。

 だが、大聖堂の祭壇画もこの原画も、弟子を使わずにひとりで描いたとされ、今まさに天にあげられようとする聖母マリアが、彼独特の柔らかい線使いと彩色でふくよかに描かれている。

 この原画は、注文主であるアントワープ大司教に、完成品のイメージを伝えるために描かれたもので、この祭壇画にかける彼の意気込みが伝わってくる。

 彼は、当時アントワープを統治していたハプスブルク家に宮廷画家として仕え、フランス王妃マリー・ド・メディシスなどの権力者とも交友関係を築くなど、画業以上?に外交能力に長けていたという。

 早い話が身過ぎ世過ぎが巧みで、アントワープの目抜き通りにある彼の工房兼住居は、裕福さを窺わせるに十分なものだった。

 とは言え<大聖堂>の主祭壇を飾る「聖母被昇天」は、彼の傑作「キリストの昇架」「キリストの降架」を左右の礼拝堂に従え、紛れもなくルーベンス昇華の傑作であることを示している。

 ルーベンスを「余り好きじゃない」と言って憚らないカタリナ も、一連の祭壇画を前にしてさすがに声もなかった。
 Peter & Catherine’s Travel. Tour No.1471

 ※ 小編は、2010-03 に投稿した記事をリライト、再投稿したものです。


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