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ペトロとカタリナの旅を重ねて

あの日、あの時、あの場所で
カタリナと歩いた街、優しい人たちとの折々の出会い・・・
それは、想い出という名の心の糧 

フェルメール(4)「恋文」

2018年02月17日 |  ∟ベネルクスの美術館

 ※ オランダ ‐ アムステルダム/ライクスミュージアム編(10)‐ ベネルクス美術館絵画名作選(18)

 オランダ絵画黄金期を築いたヨハネス・フェルメール(1632-1675)、かつてNY-フリック・コレクション編で「<婦人と召使>」(1667-68年頃)を投稿した。

 それと登場人物が似ている、いわば続編ともされるのが「恋文」(1669-70年/44×39cm)である。

 他にも「<手紙を書く女性>」(1665年頃/ワシントン・ナショナル・ギャラリー蔵)や「<手紙を書く夫人と召使>」(1670年頃/アイルランド国立美術館蔵)など、しばしば関連作品を描いている。

 シターンを弾いている女性が、手紙を差し出す召使いによって稽古を中断された場面を描いた本作、ふたりが居る部屋とは別の部屋から覗いているかのような、彼の他作品には見られない構図が用いられているのが大きな特徴である。

 また、本作には多くのアレゴリー・寓意が隠されているという。
 足下には洗濯物籠と裁縫道具、影に隠れた左の壁には大きな地図が、戸口右手には装飾のある椅子の背に布が掛けられ、座席は楽譜が置かれている。

 床のサンダルや立てかけられた箒、後ろの壁の帆船が行き交う海景図は恋愛情事を示しているとされている。

 本作と「婦人と召使」、両作品とも手紙という当時の唯一の連絡の手段をとおして、女性の複雑な表情がこの場にいない恋人との事情を暗示している。

 ところで観る者は、手紙の裏に封印が付いていることから未だ開けられていないことを知らされる。
 が、女主人は、そのやや当惑した表情から誰からのものか明らかに知っており、召使いもまたその目つきや口元から事情が分っているらしきことを、窺わさせられるのである。
 Peter & Catherine’s Travel. Tour No.1510

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レンブラント(5)「トビトとアンナ」

2018年02月16日 |  ∟ベネルクスの美術館

 ※ オランダ ‐ アムステルダム/ライクスミュージアム編(9)‐ ベネルクス美術館絵画名作選(17)

 オランダ絵画黄金期を築いたレンブラント・ファン・レイン(1606-1669)、カラバッジョ(1573-1610)やルーベンス(1577-1640)に代表されるバロック美術の全盛期に、若き画家としての大いなる野望があった。

 1624年、アムステルダムのピーテル・ラストマンのもとで、半年間の修行を終えた彼はライデンに戻り、同郷の画家ヤン・リーフェンスと共同でアトリエを構えたのが20歳の時。
 31年、25歳でアムステルダムに出るまでの間、ライデンで野心的な作品を数多く描いている。

 その独立した頃に描かれた最初期の作品のひとつとされる「トビトとアンナ」(1626年/39.5×30cm)が今回の作品。

 第二正典とも呼ばれる旧約聖書外典の「トビト記」に画想を得た本作、主題は “ 猜疑心と悔悛 ”

 裕福で信仰の厚かったトビトの目に燕の糞が入り、盲目となってしまったところから物語は始まる。

 失明によって財産も失い、猜疑心に捉われるようになったトビト、仕事から帰宅した妻アンナが、手間賃の変わりに受け取った山羊の子を盗んだもののではないか、と疑いをかけてしまう。

 誰しも多かれ少なかれ抱いた覚えがある人の心の弱さを描いた本作、アンナはそれを否定、「盲目になってからの貴方は、独善的で猜疑心に苛まれている」と咎められたトビト、祈りを捧げ悔悛する姿を切り取っている。

 貧しくも妻アンナの言葉によって信仰心を取り戻したトビト、彼の心の動きを的確に表現した若きレンブラントの並外れた技量が存分に示されている。
 Peter & Catherine’s Travel. Tour No.1509

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レンブラント(4)「自画像」

2018年02月13日 |  ∟ベネルクスの美術館

 ※ オランダ ‐ アムステルダム/ライクスミュージアム編(8)‐ ベネルクス美術館絵画名作選(16)

 レンブラント・ファン・レイン(1606-1669)ほど自画像の多い画家はいないとされている。
 単独画としては、油彩だけで56点、サスキアと二人で描いたもの、聖書物語に自身をなぞらえたもの、さらにエッチング、素描を加えると100点近く現存するという。

 1624年、アムステルダムのピーテル・ラストマンのもとで半年間の修行を終えた彼はライデンに戻り、同郷の画家ヤン・リーフェンスと共同でアトリエを構えた。

 その頃に知ったとされるバロックの奇才カラヴァッジョ(1573-1610)の影響が強いこれらの作品、鏡を睨みながら自分の顔を描いたのだろう。

     

   §「1627年の自画像」(左/24×17cm/カッセル国立美術館蔵)
   §1628年の自画像」(/23×19cm/アムステルダム国立美術館蔵
   §「1629年の自画像」(右/16×13cm/ミュンヘン/アルテ・ピナコテーク蔵)

 乱れた髪の影を顔の半分に落とした明暗対比によって紡ぎ出された彼の表情には、二十歳過ぎの若き画家のたぎる野望を持て余すかのような、心の動き、葛藤も見て取れる。

 私的(習作)に描かれたこれら作品では、巻き毛にあたる光を表現するために、木製の筆の柄の先端でキャンバスをひっかくなど、独創的なテクニックを使った自由な表現がなされたという。

 習作と言うこともあってか原題は全作品「Self - portrait」といたって素っ気ないが、勝手にタイトルに制作年を冠した。
 Peter & Catherine’s Travel. Tour No.1506

 ※ 小編は、2017-11 に投稿した記事をリライト、再投稿したものです。

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レンブラント(3)「聖ペトロの否認」

2018年02月12日 |  ∟ベネルクスの美術館

 ※ オランダ ‐ アムステルダム/ライクスミュージアム編(7)‐ ベネルクス美術館絵画名作選(15)

 オランダ絵画黄金期を築いたレンブラント・ファン・レイン(1606-1669)、1650年以降、すべてを失って行くなかにあっても、旺盛な制作活動を続けている。

 取り分け聖書に題材を得て、「<ヨセフの息子を祝福するヤコブ>」1656年/カッセル美術館蔵)、先の「<ユダヤの花嫁>」(1667年)、「<放蕩息子の帰還>」(1668年/エルミタージュ美術館蔵)などの秀作を遺している。

 で、今回は「聖ペテロの否認」(1660年/154×169cm)、好きな作品のひとつだ。

 主題は、主イエスが裁かれた大祭司の屋敷の中庭で、巻き添えになるのを恐れたペトロ、主の言葉どおり鶏が鳴く前に三度 “ その人のことは何も知らない ”(マタイ福音書第26章74節)と嘘をつく場面。

 ところで、新約聖書の四福音書の全てが、十二使徒の頭目ペトロの恥ずかしい行為を詳らかにしたのはどうしてだろう?

 一番弟子という驕り、主の教えに背いてしまった後悔、そして赦された喜び、それらは多くの信徒がいやでも通る道、聖人にして然り、いわんや凡人の・・・と、今更ながらに思う。

 キリスト者からは両雄ともライバルとも称される<聖ペトロと聖パウロ>。
 才人パウロに比べて極めて人間臭く、何時も小さな布を懐に入れ溢れる涙を拭っていたという泣き虫のペトロ、そんな彼の名を霊名に頂く信徒も多い。
 Peter & Catherine’s Travel. Tour No.1505

 ※ 小編は、2016-07 に投稿した記事をリライト、再投稿したものです。

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レンブラント(2) 「ユダヤの花嫁」

2018年02月07日 |  ∟ベネルクスの美術館

 ※ オランダ ‐ アムステルダム/ライクスミュージアム編(6)‐ ベネルクス美術館絵画名作選(14)

 巨匠レンブラント・ファン・レイン(1606-1669)、浪費と放蕩によってすべてを失っていく中でも制作意欲を持ち続け、愛情と優しさに溢れた秀作を遺している。

 その作品のひとつが「ユダヤの花嫁」(1665年頃/121.5×166.5cm)である。

 長年この名によって賞賛されてきた本作、1658年に結婚した<愛息ティトゥス>とマクダレーナ・ファン・ローを祝って描いたものとされてきた。

 が、今日では、旧約聖書・創世記を典拠とするイスラエルの始祖アブラハムの息子イサクと、下僕エリエゼルによって連れてこられた妻リベカが愛し合い抱擁する場面を描いたものとされているとか。
 ちなみに、イサクとカナンの女リベラは、エサウとヤコブの双子の兄弟をもうけている。

 余談だが、同時代の画家カラヴァッジョ(1573-1610)、アブラハムが、愛する一人息子のイサクを生贄として捧げよと神から直々に試される場面を描いた「<イサクの犠牲>」(1603年頃/ウフィツィ美術館蔵)を描いている。

 話がそれた、女性を労わるような抱擁に、女性は左手を男性の右手に重ね右手は腹部を抑えている。
 それは、ふたりの間に生まれてくる双子を暗示している、ともされている。

 ただ、この殆ど形容し難いほどの光と色彩の微妙鮮烈な組み合わせ、ふたりの若い男女の心の通じ合った表情から、神秘に満ちた「ユダヤの花嫁」という主題に郷愁を抱く者も多いようだ。

 レンブラントを崇拝していたゴッホ(1853-1890)が、“ この絵を1週間見続けることができるなら、10年寿命が縮んでも惜しくない ” と言ったという逸話も残されている。
 Peter & Catherine’s Travel. Tour No.1502

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フェルメール(3) 「青衣の女」

2018年02月06日 |  ∟ベネルクスの美術館

 ※ オランダ ‐ アムステルダム/ライクスミュージアム編(5)‐ ベネルクス美術館絵画名作選(13)

 関連性をもった作品が多いことでも知られているヨハネス・フェルメール(1632-1675)、そのキーワードに “ 真珠 ” と “ 手紙 ” があげられる。

 今回の作品「青衣の女」(1662-64年/47×39cm)もその “ 手紙 ” がモチーフとなってい、本作の六年ほど前に描かれた「<窓辺で手紙を読む女>」(1657年頃/83×65cm/ドレスデン国立美術館蔵)にその関連性を見ることができる。

 ただ、本作には彼の作品の大きな特徴である<>は描かれず、壁に掛けられた世界地図、二脚の椅子、机には宝石箱、真珠の首飾りと手紙がもう一枚、極めて簡素な静かな雰囲気に満ちている。

 幾分か年を重ねたように見える青衣の女性は手紙に没頭、物思いに耽っているかに見える。
 机の手紙は、今読んでいる手紙の前のページなのか、それとも以前に届いた手紙なのか判らないが、本作もまたその表情から彼女が望むべき内容ではないのかも知れないことを窺わせている。

 壁に掛かった南東ホラントの地図が、手紙の送り主が海外にいることを暗示、妊娠しているのかも知れないと観る者に思わせる女性に複雑な印象を与えている。
 さらに「窓辺で手紙を読む女」が、恋文を読む女性がテーマであったとすれば、ふたつの作品に連続性を重ねても不自然さは残らない。

 ところで本作、“ 地図 ” も重要な位置を占めているとされている。
 それは「<兵士と笑う女>」(1658年頃/フリック・コレクション蔵)に描かれたのと同じ地図で、画家が自宅に同じものを掛けてい、女性が<妻カタリナ>だと示唆しているのというのだが、はて?
 Peter & Catherine’s Travel. Tour No.1501

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フェルメール(2)「デルフトの小道」

2018年01月22日 |  ∟ベネルクスの美術館

 ※ オランダ ‐ アムステルダム/ライクスミュージアム編(4)‐ ベネルクス美術館絵画名作選(12)

 バロック美術は、光と影の対比や劇的な感情表現、そして、激しい運動性など、カラバジョ(1573-1610)に始まりレンブラント(1606-1669)によって完成したとされる。

 そんな時代に、対象を静かに見つめ、柔らかい光と優しい色彩を用いたひとりの画家がいた。

 その彼、ヨハネス・フェルメール(1632-1675)の「デルフトの小道(小路)」(1558-59年頃/53.5×43.5cm)が今回の作品。

 あたかも窓から見た光景のように、気紛れに構図を選んだような本作、破風の頂部の上に広がる雲の多い空が解放感を、煉瓦と汚れた漆喰の壁、隣家の壁を伝う蔦が生活感を与えている。

 開け放たれた扉の向こうで針仕事にいそしむ女性、その奥、食卓のようなものが見えるもののそれ以上は暗くてよく見えない。

 中庭では、洗濯桶らしきものの前で屈む女性と傍らに立てかけられた帚、タイル張りの歩道で遊びに夢中の少年と少女。

 この小さな絵には、屈み込んで表情が見えない人物が粗く描かれているが、主役は、この町で生涯のほとんどを過ごした彼が、愛情をそそいで描いたそこ此処にある市井の光景である。

 彼の風景画は本作と「<デルフトの眺望>」だけだが、どちらも優しい静けさに包まれている。
 Peter & Catherine’s Travel. Tour No.1493

 ※ 小編は、2010-02 に投稿した記事をリライト、再投稿したものです。

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レンブラント「聖パウロに扮した自画像」

2018年01月19日 |  ∟ベネルクスの美術館

 ※ オランダ ‐ アムステルダム/ライクスミュージアム編(3)‐ ベネルクス美術館絵画名作選(11)

 栄光からの転落が始まった晩年期、巨匠レンブラント・ファン・レイン(1606-1669)は、「聖パウロに扮した自画像」(1661年/91×77cm )を描いた。

 浪費と放蕩の末、60年の暮、一家はそれまで住んでいた市庁舎近くブレーストラートの豪邸、現在はレンブラントの家。を引き払い、貧しいユダヤ人区ローゼンフラット街の小さな借家に移った。

 その翌年に描かれたという本作、顔の部分に集中する光に目を捉われるが、神の言葉を象徴する書物、目を凝らせば懐に差された<短刀>が見て取れ、それらのアトリビュート・表徴によって聖パウロに扮していることが理解(わか)る。

 ちなみに<聖パウロ>とは、キリスト教弾圧のためにダマスコへ向かう道中、突然、天からの目も眩む光に照らされ落馬、主イエスの声を聞き、熱心なキリスト教徒へと回心した聖人のこと。

 この時期、レンブラントは、「<放蕩息子の帰還>」(1666-68年頃/エルミタージュ美術館蔵)や「ユダヤの花嫁」(1665年/アムステルダム国立美術館蔵)などの聖書物語を描いている。

 が、それらは単なる物語ではなく、彼自身の告白、回想であり、描かれた主人公の内なる声に対する彼の共感だともされているようだ。

 本作もまた、悟りとも諦めとも解釈できる複雑な感情、内向的で憂鬱な雰囲気に満ちたその表情は、四十数年に及ぶ画業に対する矜持、あるいは郷愁とも受け止めたのだが、はて?
 Peter & Catherine’s Travel. Tour No.1491

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フェルメール 「牛乳を注ぐ女」

2018年01月16日 |  ∟ベネルクスの美術館

 ※ オランダ ‐ アムステルダム/ライクスミュージアム編(2)‐ ベネルクス美術館絵画名作選(10)

 改装中のライクスミュージアム、数少ないマスターピースのトップバッターは、ヨハネス・フェルメール(1632-1675)の「牛乳を注ぐ女」(1658年/45.5×41cm)。

 かつてカタリナ が小編に上げているので、まま再投稿する。
 その絵は、彼に多く見られる、優雅な室内で裕福そうな衣装を身にまとった女性を描いたものとは趣を異にし、当時の素朴な女性を鮮やかに描いたのが特徴とされる。

 バターかチーズを作ろうとするのだろう、一滴もこぼすまいと静かに土鍋に牛乳を注ぐ女性。
 彼女の日常風景が、静かな佇まいのなかで見事にキャンパスに切り取られている。

 とりわけ、女性が被る白い頭巾、黄色の上着、赤いスカートと腰に巻きつけた青いエプロンが、窓から差し込む柔らかい光りを受けて鮮やかに対比されている。

 この絵には何一つとして無駄なものが描かれていないとされ、壁に吊るされた籠、打たれた釘などにさえ、この家庭の暮らし向きなどが示唆されているのだとか。

 生まれ育った町デルフトの陶磁器の色、デルフト・ブルーの影響を大きく受けたとされる彼。
 フェルメールが用いたウルトラ・マリン・ブルーは、当時、かなり高価だったというラピス・ラズリの原石を材料にしているのだそうだ。

 なるほど「<真珠の耳飾りをした少女>」も「牛乳を注ぐ女性」も、黄と青の一際目立つ色を対比させることによって華やかさをもたらしている、そんな風に思うのだが。
 Peter & Catherine’s Travel. Tour No.1488

 ※ 小編は、2010-03 に投稿した記事をリライト、再投稿したものです。

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17世紀のマスターピースたち

2018年01月15日 |  ∟ベネルクスの美術館

※ オランダ ‐ アムステルダム/ライクスミュージアム編(1)‐ ベネルクス美術館絵画名作選(9)

 アムステルダムには正味一日のみ、しかも、午後遅くデン・ハーグに向かうことにしている。

 その日、ゴッホ美術館とレンブラントの家を訊ねる予定もあって、朝食もそこそこに、Rijksmuseum Amsterdam、アムステルダム国立美術館へトラムで向かった。

訪ねた05年当時、美術館自身が史上最大と称する改装工事が行われていて、13年頃まで続くとあった。

 ただ、オランダが誇る17世紀の最高傑作マスターピースは、本館に併設されたフィリップス棟で展示されていた。

 と、いうことでライクスミュージアム編、量的には少し淋しいが、代わりにマスターピース、珠玉の名作をお届けできると思っている。

 運河の街アムステルダム、中央駅を扇の要に道路が放射状に広がり、幾重もの運河が連なる。

 トラムは、ヘーレン、カイゼルなどの運河に架かる橋、海抜ゼロメートルを象徴するゆるやかに反る橋を渡り、清掃が行き届いているとも思えない街路を、車輪を軋ませながら時に警笛、時に鉦を鳴らし走る。

シンゲル運河を渡って暫く、Rijksやゴッホ美術館、コンセルトヘボーなどが集るミュージアム・プレインと呼ばれる大きな広場近くの停留所でトラムを降りた。

 その正面のネオ・ルネサンス様式の美術館、中央駅と設計者が同じとか。赤い煉瓦にグレーの屋根が似合う。

 美術館の左手、およそ美術館とは思えない、細い通路の奥がフィリップス棟の入口、狭いホールでチケットを買って、次の部屋に進むとオランダ共和国時代の部屋。

 カタリナ はと見れば、そこに並ぶ作品には目もくれず、さっさと二階のさる展示室へと行ってしまった。
 あわてて追いかけ階段を上る、と、そこにオランダ絵画黄金期の名作、マスターピースが並んでいて圧倒された。
Peter & Catherine’s Travel. Tour No.1487

 ※ 小編は、2010-02 に投稿した記事をリライト、再投稿したものです。

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