ペトロとカタリナの旅を重ねて

あの日、あの時、あの場所で
カタリナと歩いた街、優しい人たちとの折々の出会い・・・
それは、想い出という名の心の糧 

異端の画家 ‐ ウフィツィ美術館

2011年07月04日 |  ∟イタリアの美術館

 ウフィツィ美術館、そろそろ終わりに近づいた。

 徹底した写実性と劇的な明暗対比や感情表現で、バロック期のみならず後世の画家に大きな影響を与えた<カラヴァッジョ>。
 ここウフィツィに架かるのは、「若きバッカス」 「メドゥーサの首」そして 「イサクの犠牲」。

 Photo_7彼には、<バロックの旗手を訪ねる旅>で、彫刻家ベルニーニと共に、ローマなどに作品を訪ねたが、その旅、「ちょっとだけ」と言いつつも少し長目?の休憩中にある。

 話がそれたが 「若きバッカス」(写真上)は、ローマの<ボルゲーゼ美術館>が所蔵する 「<病める少年バッコス>」と 「<果物籠を持つ少年>」に繋がる絵である。

 バッカスは酒と陶酔の神だが、彼はひと目でバッカスと判る装いの青年に、臍の辺りに手を宛てがわさせ “ 天の花嫁 = 教会 ” を、左手にはワインの杯を持たせ “ 犠牲と贖罪 ” を象徴したという。

 と、なれば青年は必然的に “ イエスを示唆 ” しているとする解釈もある。

 では、青年バッカスの前の虫の食った林檎や熟れ過ぎて割れた石榴は、何を暗示するのか?
 林檎は旧約聖書の創世記に書かれた禁断の実、石榴はキリストの受難を象徴、そこから導かれる解は “ はかなさ ” と解説書は穿って見立てる。

 Photo_8その旧約聖書に登場する神、疑い深く、怒りっぽく、そして、尊大、ある種無慈悲な仕打ちに?しばしば呆然とさせられる。

 そのひとつが 「イサクの犠牲」(写真下)だ。

 イスラエルの民の祖アブラハム百歳、その妻サラ九十歳、ふたりの間に生まれた待望の息子イサクを神の意志に従い、激しい葛藤の末に生贄に捧げる(創世記21章・22章)場面を描いている。

 アブラハムの忠誠心を試す神、余り感心しないその一瞬を、登場人物を画面に大きく配置することで迫真に描き、腰に巻かれた赤い衣装が鮮烈なイメージを与える。

 カタリナ は、カラヴァッジョの絵が三点も揃い喜ぶ。
 が、「<メドゥーサの首>」の前では、リアルで異様なまでの迫力に 「たじろいだ」と言い、気の弱い?誰かなど 「うっ!と言ったきり顔を背けてしまった。
 Peter & Catherine’s Travel Tour No.347

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