ペトロとカタリナの旅を重ねて

あの日、あの時、あの場所で
カタリナと歩いた街、優しい人たちとの折々の出会い・・・
それは、想い出という名の心の糧 

ゴヤ ‐ 駆け足ルーヴル(18)

2015年11月27日 |  ∟フランスの美術館

 美術の殿堂ルーヴルにおいてもその存在感を示すスペインの画家たち。
 これまでに、<グレコ>(1541-1614/マニエリスム)、<ムリーリョ>(1617-1682/バロック)と投稿した。
 ただ、巨匠<ベラスケス>(1599-1660/バロック)の秀作を所蔵していないのが意外と言えば意外。

 さて、そのしんがりは、ロマン主義期に活躍、印象派の訪れを告げるかのような筆致で後世の画家に大きな影響を及ぼした<フランシスコ・デ・ゴヤ>(1746-1828 )。
 傑作 「<裸のマハ>」(プラド美術館蔵)など多く作品を遺している。

 ベラスケスと画題も同じ 「キリストの磔刑」(プラド美術館蔵)を描いていて、かつてグレコの 「キリストの磔刑と二人の寄進者」を加えて<見比べ>てみたことも。

 そのゴヤの作品は 「デル・カルピオ伯爵夫人、ラ・ソラナ侯爵夫人」。

 モデルは、ラ・ソラナ侯爵夫人のマリア・リタ・バレネチェア。
 教養豊かで戯曲作家でもある彼女は、1775年にラ・ソラナ侯爵のデル・カルピオ伯爵に嫁いだとされている。

 夫人の死去直前(95年)、ゴヤは当時の流行を敏感に取り入れ、バスク地方の伝統的な黒い衣装に刺繍のパンプスを覗かせ、髪には褪せた薔薇色のリボンの大きな花をつけて描いている。

 ルーヴルは、“ 透明感のある青みがかった灰色の背景、並置された軽やかなタッチによるスカーフの軽やかな紗は、印象派の訪れを告げる錯覚を起こすかのような手法で仕上げられている ” と評している。

 そして、“ 画家とモデルの間に存在する互いの同情(脚注:それぞれが抱える病に対する労り)に、その美点の一部が挙げられ、苦痛に慣れ親しんでいた二人の人物はお互いを理解し合っていた ” と読み解く。

 ゴヤは本作において、“ 死を自覚している38歳の若い夫人の勇気を称え、誇りを持って姿勢を正し尊敬の眼差しで画家を見つめている夫人の魅力を湛えた ” とされている。
 Peter & Catherine’s Travel. Tour No.1060

 ※ 「駆け足ルーヴル(17) ‐ ムリーリョ」へは、<コチラ>からも入れます。


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