ペトロとカタリナの旅を重ねて

あの日、あの時、あの場所で
カタリナと歩いた街、優しい人たちとの折々の出会い・・・
それは、想い出という名の心の糧 

エル・グレコ 「聖ヒエロニムス」

2017年03月15日 |  ∟アメリカの美術館

 ※ NY/フリック・コレクション編 (4) ‐ DC&NYの美術館にみる泰西名画選 (17

 ギリシャのクレタ島で生まれ、イタリアやスペインで活躍したマニエリスムの巨匠エル・グレコ(1541-1614 )の 「聖ヒエロニムス」が今回の作品。

 この<グレコ>も、この<聖人>も何度か投稿したので重複を避ける。
 が、付け加えれば、ローマ滞在時は、報酬などでの金銭トラブルが絶えず、生活ができないほど貧しい暮らしを強いられていた。

 しかしプライドは高く、当時神の如き存在とされていたミケランジェロ(1475-1564)の 「最後の審判」(ヴァチカン・システィーナ礼拝堂)のある部分の修正を依頼された折、“ すべて削り取り新しく描かせてくれるなら引き受ける ” と豪語、それがスペインに向かわせた原因のひとつになったともされている。

 その彼、作品の八割強が聖人画を含む宗教画とされている。

 そのひとり聖ヒエロニムス、ダ・ヴィンチ(1452-1519)の 「<聖ヒエロニムス>」(ヴァチカン絵画館蔵)やカラヴァッジョ(1573-1610)の 「執筆する聖ヒエロニムス」(ボルゲーゼ美術館蔵)など多くの画家は、聖人ともにアトリビュートの髑髏やライオンを描いている。

 ちなみにライオンとは、中世イタリアの年代記作者ウォラギネ(1230-1298)の 「<黄金伝説>」の、“ 聖ヒエロニムスが弟子の修道士に聖書を説いているとライオンが現れ、その傷ついた足を聖人が治してやった ” という逸話によるとか。

 グレコは、傑作「<聖衣剥奪>」(トレド大聖堂/アルテ・ピナコテーク蔵)などに用いた色使いの着衣の聖人のみを、さも頑固で気難しい神学者として、<マニエリスム様式>の大家らしく縦長?に描いている。
 Peter & Catherine’s Travel. Tour No.1278


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