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19世紀清と李氏朝鮮そして江戸幕府は国家の近代化に失敗した 第一章 (10)

2014年02月04日 | お日様とお月様の光と影
 『1855年1月中頃、津波によって大破したロシア艦「ディアナ号」は帝政ロシアの技術者の指導の下で日本の船大工によって伊豆戸田港(へだこう 現静岡県沼津市戸田)で修理する事になりました。がしかしディアナ号は暴風雨によって沈没してしまったのです。』『この結果プチャーチン一行は戸田港で滞在せざるおけなかったので日露交渉は一時中断しました。』①

 1855年1月下旬、江戸城本丸御殿の御用部屋では安部正弘、徳川斉昭、藤田東湖がロシア艦ディアナ号沈没の報告を受けた。徳川斉昭は病気療養から海防参与の役職に復帰していました。そしてそこには樺太を偵察していた幕府の密使が居たのです。

 ロシア艦を我が国が造船してやる代わりに樺太を譲ってもらおうではないか!
  「にやり…」と不敵にほくそ笑む斉昭。帝政ロシアとの国境策定交渉に強気な徳川斉昭だった。
  (大殿!ご無体な領土を船一隻で交換できませぬ!藤田東湖の忠告も空しい…) 

 『同じ頃、安部正弘と徳川斉昭の密使が下田交渉団の川路 聖謨と筒井 政憲にこう伝えました。「樺太南部のアニワ湾の軍事基地はクリミヤ戦争の影響でイギリス・フランス連合海軍の備えるため極東大陸側沿岸部に撤退した。エトロフと樺太(サハリン)全土を日本領とせよ」幕府の密使が樺太まで偵察に赴き確認したと言う。』①

 『日露交渉は1月末に下田で再開されました。川路聖謨とプチャーチンとは1年半も交渉していました。プチャーチンは他国で遭難しても胆がすわっていて冷静沈着でした。それにプチャーチンはどこから手に入れたのか日米和親条約文を手に入れる強かさもある。川路聖謨は再会したプチャーチンの豪胆さに敬意を感じました。』①
 日露交渉団は日米和親条約を踏襲する「日露和親条約」を双方で確認しました。日本と帝政ロシアの国境策定は択捉島(えとろふとう)と得撫島(うるっぷとう)の間とする事。そして 樺太(サハリン)の領土問題は日露交渉団双方譲歩せず激論が続きました。大いにもめた結果「樺太は両国これまで通りの雑居地とする」曖昧で妥協してしまいました。この日本と帝政ロシアの国境策定「北方領土問題」は後のソビエト連邦そして現在のロシア共和国に引き継がれていきます。
  1855年2月7日、「日露和親条約」が締結されました。そして1858年8月8日「日露修好通商条約」締結後、初代ロシア総領事ゴシケーヴィチが来日し函館に領事館を建設することになります


 『さて長州藩指月城(しづきじょう 現山口県萩市堀内)は日本海にそそぐ阿武川支流の橋本川と松本川に挟まれた三角州の海側に築かれていました。』『松本川と橋本川に囲まれた萩城下の堀内には碁盤目状に整備され上士の高級家臣の屋敷が整然と並んでいました。また萩城下の堀内の東側に中士の中級家臣の家が並びそして南端の川島には下士の下級武士の家並がありました。』②

 『萩城下の郊外にある松本村(現山口県阿武郡 椿東村松本)に長州藩士杉百合之助 (すぎゆりのすけ)吉田寅二郎の実父が住んでいました。杉百合之助が子どもの頃に下級武士が居住する川島一体が火事が起き焼き出されてこの松本村に引っ越して来ました。』②
 『杉百合之助は下級武士で貧しく農業で生計を立ていました。そして百合之助が23歳の時に上士の娘の滝(たき)と結婚しました。松本村椿の小高い丘に四部屋と台所それに厩の別棟がある小さな家を百合之助は購入しました。やがて百合之助と滝の間に民治、寅二郎、敏三郎(としさぶろう)文が生まれ3男4女をもうけたました。』『それに杉家には叔父の吉田大之助(よしだだいのすけ)と玉木文之進(たまき ぶんのしん)も同居していました。杉家の小さな家は貧しくても大所帯でにぎやがであったようです。』②

 1855年2月、野山獄(現萩市今萩町)に投獄された吉田寅二郎は自らの「近代国家構想」を理論化させるため洋学書を貪るように読みあさる日々でした。寅二郎が自宅に所有する洋学書を文に書き取らせて次の日に民治が寅二郎の獄に訪ねて来て本を届けました。兄妹はこれを寅二郎が出獄するまで続けました。また幕府と他国との国交交渉の情報を江戸に居る桂小五郎から得て民治が寅二郎に伝えた。寅二郎は幕政の情報獲得に努めていました。
 「ペリーはなぜ自分を救ったのだろう???」
  寅二郎にはずっとその答えを求めていたのです。  

 ある日、民治や文そして杉家の人々は不思議な感覚に気が付きました。それは「誰かの視線を感じる?? 」という感覚でした。その視線は吉田寅二郎の動向を探るため萩に派遣した幕府の密偵でした。杉家は幕府の密偵に常に監視されていたのです

  『同じ頃、 岩倉獄(現萩市今古萩町)に投獄された金子重之輔は肺炎が悪化し重体に陥ったのです。岩倉獄は武家の身分以下の農民や商人の罪人が投獄されていました。岩倉獄の牢の環境は劣悪だった。吉田寅二郎は毎日の様に野山獄の牢役人に対して金子重之輔を野山獄に移す様に懇願したが聞き入れませんでした。』
  『そして1855年2月27日、金子重之輔は肺炎を悪化させ獄死しました享年24歳でした。吉田寅二郎は牢役人より金子重之輔が亡くなったことを知らされました。吉田寅二郎は金子重之輔を救うことができなった自分の無力さを悲しんだ。』

  『吉田寅二郎は声を上げて振り切れる様に泣きました。』

  『野山獄の囚人たちはこの振り切れた新入りの吉田寅二郎を奇異な目で見つめるのでした。』②
 


  『』① 幕末バトルロワイヤル 井伊直弼の首 新潮新書 より要約
  『』② 文春文庫 司馬遼太郎著 世に棲む日日(1)~(2)より要約


  つづく


 お日様とお月様の光と影
  ~東アジア近代化クロニクル(年代記)~ 
 
   第一部 19世紀清と李氏朝鮮そして江戸幕府は国家の近代化に失敗した

         プロローグ ペリー来航と黒船カルチャーショック!
         第一章   西洋列強諸国との外交攻防と内政攻防 (1)~(10)


   
   ≪参考文献≫ 
   
 知れば知るほど徳川十五代 実業之日本社より
 オールコックの江戸 初代英国公使が見た幕末日本 中公新書 
 幕末バトルロワイヤル 井伊直弼の首 新潮新書 より
 歴史読本 徳川慶喜をめぐる女たち 1998年10号  新人物往来社


 1990年放送 NHK大河ドラマストーリー 翔が如く 前半 より
 1998年放送 NHK大河ドラマストーリー 徳川慶喜 前半 より
 2010年放送 NHK大河ドラマストーリー 龍馬伝  前半 より
 2013年放送 NHK大河ドラマストーリー 八重の桜 前半 より

  
 文春文庫 司馬遼太郎著 世に棲む日日(1)~(2)より
 新潮文庫 司馬遼太郎著 花神 (上) より
 文春文庫 司馬遼太郎著 酔って候 より
 文春文庫 司馬遼太郎著 最後の将軍 より


  突っ込みどころ満載!
   筆者は司馬遼太郎の作品とNHK大河ドラマにかなりの影響を受けているようです。
 また筆者はこのコラムの様なNHK大河ドラマを観たいそうです。