アジア・オセアニアNews blog ~お日様とお月様の光と影~

アジア・オセアニア地域の通信社が配信する記事から『中国の領土紛争問題』を伝え日本の安全保障などのニュースブログ。

中国監視船が南シナ海でフィリピン船妨害、領有権めぐり綱引き続く (ロイター)

2014年03月31日 | ASEAN諸国ニュース
中国監視船が南シナ海でフィリピン船妨害、領有権めぐり綱引き続く
 (ロイター 2014年 03月 31日 16:22 JST)

[セカンド・トーマス・ショール(南シナ海) 30日 ロイター] -南シナ海のセカンド・トーマス・ショール(中国名・仁愛礁)の領有権をめぐり対立するフィリピンと中国。同礁を実効支配するフィリピンは座礁した軍艦に兵士を常駐させているが、中国側も監視活動を強化している。
ロイターなどのメディアは29日、この兵士らに食料や水を届けるフィリピン政府の船舶に乗船。航行中、中国の海洋監視船に妨害される場面があった。

 こうした動きは、地域最大の火種の1つとなっている同礁で緊張が続いていることを改めて示し、中国が本土から遠く離れた地で領有権の主張を強めていることを浮き彫りにしている。
フィリピン船の船長はロイターに「われわれが針路を変えなければ、中国船と衝突していた」と説明。フィリピン海軍は1999年、同礁に第二次世界大戦時代の軍艦を故意に座礁させ、領有権を主張している。
フィリピンは、同礁は排他的経済水域(EEZ)内にあるとするが、南シナ海の9割の海域で領有権を主張する中国は、同礁はその海域内にあると譲らない。

 乗船取材の29日、中国の監視船はフィリピン船を発見すると、速度を上げて左舷に近寄り、少なくとも3度警笛を鳴らした。その後、別の大型の監視船が現れ、フィリピン船の航路を妨害しようとした。
 中国側は「すべての違法行為をやめ、ただちに引き返せ」などと、フィリピン船に無線で命令。これに対し、フィリピン船は食料を運搬しているだけだと応じた。結局、フィリピン船は中国側の妨害を切り抜け、同礁に到着した。

中 国外務省は同日、「中国はフィリピンによる仁愛礁の占領行為を容認しない」と非難。一方、フィリピン政府は30日、中国政府の主張は国連海洋法条約に違反するとし、国際的な仲裁裁判所に意見陳述書を提出した。
中国は仲裁手続きを拒否しており、領有権問題は2国間の直接交渉によってのみ解決するとの立場を示している。

日朝協議終了へ 拉致解決へ行動要求 ( 時事通信 )

2014年03月31日 | 第二次朝鮮戦争と韓国の内政問題
日朝協議終了へ 拉致解決へ行動要求
時事通信 2014/03/31-16:10)

 【北京時事】日朝両政府は31日、北京の日本大使館で2日目の外務省局長級協議を行った。焦点の日本人拉致問題で、日本側は被害者の再調査や全員帰国を改めて求め、北朝鮮側に明確な回答を迫ったとみられる。

 協議には伊原純一外務省アジア大洋州局長と、北朝鮮の宋日昊・日朝国交正常化交渉担当大使が出席。2日間の話し合いで日本側は、拉致問題に加え、核・ミサイル開発でも解決に向けた北朝鮮の具体的行動を要求。先の弾道ミサイル発射を取り上げ、日朝平壌宣言や国連安保理決議に反するとして抗議の意思を伝えたもようだ。

 拉致問題に関し、北朝鮮側はこれまで「解決済み」との立場を崩してこなかった。最近は経済支援を得る狙いから対話に柔軟な姿勢を見せており、日本側には歩み寄りへの期待がある。一方、国際社会は北朝鮮の一連の挑発行為を強く非難しているが、北朝鮮側は「正当防衛の権利がある」などと反発している。


日欧EPA交渉 双方の歩み寄り焦点に (NHK NEWSWEB)

2014年03月31日 | 日本経済とイノベーション
日欧EPA交渉 双方の歩み寄り焦点に
NHK NEWSWEB 3月31日 12時22分


日本とEUが貿易や投資の自由化を進めるEPAの締結に向けた5回目の交渉が31日から東京都内で始まりました。
今回の会合では、品目ごとに関税の撤廃や引き下げの割合を記したリストを交換することを目指しています。
交渉では、EUが求めているワインの関税撤廃について、日本側は協定の発効後7年間かけて撤廃することを軸に検討を進めています。
一方、日本が求めている自動車やテレビなどの関税の撤廃では、EU側が自動車部品の一部などについて撤廃する姿勢を見せています。
また、関税の分野以外では、EU側が求めている日本の鉄道車両や運行システムなどへの参入についても議論されます。
EU側は、交渉を始めてから1年となる来月にもこれまでの成果を検証し、日本との交渉を続けるのか判断することにしていて、
今回の会合で双方がどこまで歩み寄れるかが焦点となります。


これまでの交渉は
日本とEU=ヨーロッパ連合のEPA=経済連携協定は、1年余りにわたる事前協議を経て、去年4月から交渉が開始されました。
これまで4回にわたる交渉で、日本側が求める自動車の関税の撤廃など、双方にとって関心が高い品目ごとの関税の撤廃や引き下げのほか、EU側が求める日本のさまざまな安全基準や規制といった「非関税障壁」の撤廃に向けた取り組みなどについて協議が行われました。
しかし当初は、前回の交渉で品目ごとの関税の撤廃や引き下げをどこまで進めるかや時期を示したリストの提出を目指していましたが、正式に交換するまでには至っていません。

また、EU側は交渉開始から1年に当たる4月には、鉄道や都市交通といった公共部門の市場を中心に、ヨーロッパの企業が参入できるようにするなど「非関税障壁」の撤廃に向けた日本側の取り組みを検証することにしています。

この検証で、もしEU側が不十分だと判断すれば交渉を打ち切ることも示唆しており、交渉は大きな山場を迎えています。
今回の交渉は日本が妥結を目指している、TPP=環太平洋パートナーシップ協定やEUがアメリカとの間で進めている自由貿易協定の交渉にも影響を及ぼす可能性が指摘されているだけに、交渉の行方が注目されています。

「中国は条約違反」の意見陳述書 米が支持 (NHK NEWSWEB)

2014年03月31日 | ASEAN諸国ニュース
「中国は条約違反」の意見陳述書 米が支持
NHK NEWSWEB 3月31日 7時28分

フィリピン政府は、南シナ海の島々の領有権を巡る中国の主張は国際法に違反しているとして、国際的な司法制度に基づいて、紛争の仲裁を求める裁判を起こしていて、30日、中国の主張は国連海洋法条約に違反すると訴える意見陳述書を提出しました。

これについて、アメリカ国務省のハーフ副報道官は30日、声明を発表し、「アメリカは、海洋を巡る紛争を脅迫や威圧といった報復ではなく、平和的に解決しようという行為を支持する」として、フィリピン政府を支持する立場を示しました。

そのうえで、「フィリピンをはじめとするすべての当事国は、国連海洋法条約の下で定められた紛争解決の仕組みを尊重すべきだ」とし、「審理の結果にかかわらず、状況を悪化させたり不安定にしたりする一方的な行動を控えるよう訴える」として、国際法に基づいて解決に取り組むよう促しています。
これについて、中国はフィリピンの訴えは裁判の対象にはならないとして仲裁裁判所での審理を拒んでいます

19世紀清と李氏朝鮮そして江戸幕府は国家の近代化に失敗した 第一章 (18)

2014年03月31日 | お日様とお月様の光と影
 18世紀8代将軍徳川吉宗はオランダ学を解禁し日本において西洋近代科学普及が始まりました。19世紀半ば、西洋列強諸国の東アジア進出によって江戸幕府は鎖国政策から亡国感をたっぷり味わって開国し「西洋学を学び国家の近代化を推進しよう!」という危機感から近代化思考が芽吹き始めていたのです。
 19世紀半ば、東アジアにおいて知的好奇心と危機感によって 国産蒸気機関の試作や洋式帆走軍艦の製造を開始した国は日本だけでした。

  安政の大地震の津波によって大破したロシア艦「ディアナ号」は伊豆戸田港で修理する事になりましたがしかしディアナ号は不運が重なり暴風雨によって沈没してしまったのです。幕閣安部正弘と徳川斉昭はロシア艦の造船を許可を決定しました。その際に安部は日露交渉を担当した川路聖謨に対して洋式帆船の量産を命じたのです。
 帝政ロシアの技術者指導の下で日本の船大工が造船した『“洋式帆船ヘダ号”は二本マストで全長24.6m、甲板の長さ21.8m、幅7m、深さ3mの帆船でした。』
 洋式帆船技術を取得した戸田村の船大工に対して川路聖謨は洋式帆船ヘダ号量産仕様6隻の建造を命じました。“洋式帆船ヘダ号量産仕様”は“君沢型(きみさわがた)”と呼ばれ幕府の洋式帆船の型式となりました。ちなみに君沢型とは戸田村が属していた伊豆の国 君沢郡(現静岡県 伊豆市)が名前の由来となっています。』①

  水戸藩の徳川斉昭は安部正弘の許可を得て造船技術取得のために戸田 忠太夫と安島 信立を戸田村に派遣させました。『そして幕府は石川島造船所で洋式帆船ヘダ号量産仕様 君沢型を4隻建造させました。幕府は洋式帆船ヘダ号量産仕様 君沢型を国産洋式船として10隻建造しました。』①

 九州の佐賀藩(さがはん 現 佐賀県と長崎県の一部)の外様大名 藩主 鍋島直正(なおしまなおまさ)は藩政近代化に熱心な人で藩内では蒸気機関、近代兵器、製鉄など西洋近代科学の研究と実験を行っていました。また洋式帆船技術を取得のために直正は藩士を戸田村に派遣させいました。
 また藩独自設計として伊予宇和島藩主伊達宗城の依頼で医学者二宮 敬作と大村益次郎が蒸気機関搭載の軍艦が19世紀半ば設計段階にありました。

 
 1855年6月初旬、一時帰国した薩摩藩主島津斉彬は桜島瀬戸村造船所を視察していました。薩摩藩おける集成館事業の財源となっていたのが海外貿易と砂糖専売でした。薩摩藩の支配地域は薩摩・大隅・奄美五島(現鹿児島県)・琉球王国(現沖縄県)の広大な地域を支配していました。『薩摩藩は奄美五島・琉球王国でさとうきびを栽培させ砂糖に加工し年貢として藩に収めさせました。そして薩摩藩は大坂で砂糖を売り莫大な収益を上げていました。また薩摩藩は清、ベトナム、フィリピン、カンボジアなどの海外での密貿易を藩主導で積極的に行い藩財政を支えていたのです。』③

 この様に薩摩藩は海外貿易と砂糖専売によって潤沢な財源を有し製鉄業・造船業・武器製造業などの洋式関連事業「集成館事業」を興すことができたのです。集成館事業の桜島瀬戸村造船所で「洋式帆船 軍艦 昇平丸」が竣工していました。『洋式帆船 軍艦 昇平丸は3本マストで全長31m、大砲16門を装備していました。』②
 
 また島津斉彬は蒸気機関に興味を持ちオランダの蒸気機関の書物を翻訳し国産蒸気機関開発の実験を行っていました。そして桜島瀬戸村造船所で日本国産初の蒸気機関搭載の「外輪蒸気船 雲行丸」建造に着手していました。さらに斉彬は薩摩藩專用船として軍艦2隻の建造を造船所に命じましたこうして政治的、財政的そして軍事的にも薩摩藩は幕府を凌駕しようとしていました。しかし薩摩藩の藩論は保守的で佐幕派の顔を表向き見せていましたそれは1866年まで変わる事はありませんでした

 さて薩摩藩内には独自の教育制度「郷中教育(ごうちゅうきょういく)」という制度がありました。『薩摩藩の郷中教育は地域の結社で教育機関として機能していまいた。薩摩藩内には36の郷中がありました。』③ 
 『郷中内の青少年は稚児組(ちごぐみ 6歳から13歳まで)二才組(にせぐみ14歳から20歳位まで)長老組(おせんしぐみ20歳以上)に年齢別に組織されていました 。二才組の青年が稚児組の子どもを武道や学習また生活全般にわたり指導教育を行いました。郷中教育は年齢で縦割りされた自治的な相互教育を行い共同活動を行っていたのです。 』③

 西郷吉之助の実家である鍛冶屋町郷中は藩内で最も盛んな郷中教育を行っていました。西郷吉之助は鍛冶屋町郷中のリーダー二才頭でした。江戸薩摩藩邸詰めの有村俊斎また西郷吉之助の幼なじみの大久保 一蔵(おおくぼいちぞう 後 利通 としみち)などが鍛冶屋町郷中に所属し西郷吉之助と共に学び育っていきました。

 実家に久しぶりに帰宅した西郷吉之助、両親は既に亡くなっており次男の吉二郎(きちじろう)三男の信吾(しんご のち従道つぐみち)長女琴(こと)次女鷹(たか)が一緒に生活していました。また西郷吉之助は最初の妻である須賀(すが)と結婚していたが吉之助が江戸詰めですれ違いが多く不仲でした。

 「江戸はすごい!イモではなくみんな白い米を食っている!」
 「すごい~っ!食べた~いっ!」
 


 西郷家の人々は吉之助の江戸みやげ話で盛り上がり再会を楽しみました。吉之助が帰って来たのを聞き近所の幼なじみの大久保一蔵が西郷家を訪ねて来ました。

 1855年6月初旬、オランダ領 東インド パタブィア(現インドネシア ジャカルタ)に蒸気軍艦スムービング号(のち観光丸)艦長オランダ海軍ペルス・ラケイン中佐が到着し長崎に向けて出港準備をしていました。


  つづく


 『』① Wikipedia 君沢型 より要約
 『』② Wikipedia 昇平丸 より要約
 『』③ 1990年放送 NHK大河ドラマストーリー 翔が如く 前半 より要約


 
 
 お日様とお月様の光と影
  ~東アジア近代化クロニクル(年代記)~ 
 
   第一部 19世紀清と李氏朝鮮そして江戸幕府は国家の近代化に失敗した

         プロローグ ペリー来航と黒船カルチャーショック!
         第一章   西洋列強諸国との外交攻防と内政攻防 (1)~(18)


   
   ≪参考文献≫ 
   
 知れば知るほど徳川十五代 実業之日本社 より
 オールコックの江戸 初代英国公使が見た幕末日本 中公新書 より 
 幕末バトルロワイヤル 井伊直弼の首 新潮新書 より
 講談社社学術文庫 吉田薫 吉田松陰 留魂録  より


 1990年放送 NHK大河ドラマストーリー 翔が如く 前半 より
 1998年放送 NHK大河ドラマストーリー 徳川慶喜 前半 より
 2010年放送 NHK大河ドラマストーリー 龍馬伝  前半 より
 2013年放送 NHK大河ドラマストーリー 八重の桜 前半 より

  
 文春文庫 司馬遼太郎著 世に棲む日日(1)~(2)より
 新潮文庫 司馬遼太郎著 花神 (上) より
 文春文庫 司馬遼太郎著 酔って候 より
 文春文庫 司馬遼太郎著 最後の将軍 より


  突っ込みどころ満載!
   筆者は司馬遼太郎の作品とNHK大河ドラマにかなりの影響を受けているようです。
 また筆者はこのコラムの様なNHK大河ドラマを観たいそうです。
      

日朝政府間協議を続行 北朝鮮の「拉致」対応焦点 ( 時事通信 )

2014年03月31日 | 第二次朝鮮戦争と韓国の内政問題
日朝政府間協議を続行 北朝鮮の「拉致」対応焦点
時事通信 2014/03/31-05:45)

【北京時事】日本と北朝鮮は31日午前、北京で外務省局長級協議を続行する。日朝政府間協議は同日まで2日間の予定。日本人拉致問題について「解決済み」と主張してきた北朝鮮が歩み寄るかが焦点だ。
 協議には、日本から伊原純一外務省アジア大洋州局長、北朝鮮から宋日昊・日朝国交正常化交渉担当大使が出席。30日は北京の北朝鮮大使館で行い、31日は日本大使館に場所を移す。
 初日の協議後、伊原氏は「真摯(しんし)で率直なやりとりができた」と説明した。内容は明らかになっていないが、拉致、核、ミサイルの問題の「包括的解決」が国交正常化の前提というのが日本政府の基本姿勢。拉致に関しては、被害者の再調査や全員帰国を求めているとみられる。
 日朝政府間協議は2012年11月以来、1年4カ月ぶり。


習主席の南京大虐殺発言に抗議 政府が中国側に ( 共同通信 )

2014年03月30日 | 米中紛争と東アジア
習主席の南京大虐殺発言に抗議 政府が中国側に
共同通信  47news 2014/03/30 10:58】

 菅義偉官房長官は30日、中国の習近平国家主席がドイツでの講演で南京大虐殺をめぐり「日本は30万人以上を虐殺した」と発言したことに対し、外務省が29日、中国側に抗議したと明らかにした。都内で記者団に語った。

 菅氏は南京大虐殺に関し「旧日本軍が南京で殺傷や略奪をしたことは否定しないが、犠牲者の数についてはさまざまな意見があり、日本政府は断定していない」と述べた。

 これに先立つフジテレビ番組では、習氏の発言について「第三国へ行って日本の歴史を取り出し、このような発言をすることは極めて遺憾だ」と批判した



首相 大型連休中の欧州訪問へ調整 (NHK NEWSWEB)

2014年03月30日 | EU離脱と世界経済
首相 大型連休中の欧州訪問へ調整
NHK NEWSWEB 3月30日 4時49分

 安倍総理大臣は、来月末からの大型連休に合わせて、外国訪問を行いたいとしていて、フランス、イギリス、ドイツ、ベルギーなど、ヨーロッパ諸国を訪問する方向で調整に入りました
 このうち、フランスで、安倍総理大臣は、日本がOECD=経済協力開発機構に加盟してことしで50年を迎えるのを機に、パリのOECD本部で、安倍内閣の経済政策や、成長戦略に掲げた「女性の活躍」を推進するための施策などについて、講演することを検討しています。
また、ベルギーのブリュッセルにあるNATO=北大西洋条約機構の本部を訪れ、みずからが掲げる「積極的平和主義」を説明する方向で調整しています。
 さらに、安倍総理大臣は、訪問先の首脳と会談し、ウクライナ情勢などを巡ってことし6月に開催されるG7=先進7か国の首脳会合を前に、ロシアへの対応などを話し合いたい考えです。

日朝政府間協議、きょう始まる 「拉致」で北朝鮮出方探る  (時事通信)

2014年03月30日 | 第二次朝鮮戦争と韓国の内政問題
日朝政府間協議、きょう始まる 「拉致」で北朝鮮出方探る  
(時事通信 2014/03/30-06:01)


 【北京時事】日本と北朝鮮の局長級協議が30日午前、北京の北朝鮮大使館で開かれる。政府間協議は1年4カ月ぶりで、31日までの2日間行われる予定。初日は国交正常化に向けた双方の基本姿勢を確認するとみられ、日本側は拉致、核、ミサイル問題の「包括的解決」が前提との方針を改めて主張する。
 日本から伊原純一外務省アジア大洋州局長、北朝鮮からは宋日昊・日朝国交正常化交渉担当大使が出席。日本側は拉致被害者の再調査と全員帰国を改めて要求するとともに、「拉致問題は解決済み」と主張してきた北朝鮮側の出方を探る。
 ミサイル問題では、北朝鮮が26日に日本海へ弾道ミサイルを発射したことに対し、「国連安保理決議や日朝平壌宣言に反する」と抗議する。31日は北京の日本大使館に場所を移して協議を継続する

習主席 ドイツ巻き込み日本批判か (NHK NEWSWEB)

2014年03月29日 | 米中紛争と東アジア
習主席 ドイツ巻き込み日本批判か
NHK NEWSWEB 3月29日 9時26分

ヨーロッパを歴訪中の中国の習近平国家主席は28日、ドイツのベルリンで政治家や外交官らを前に講演しました。
この中で習主席は、「日本の軍国主義が引き起こした侵略戦争で3500万人以上の中国人が死傷した。この悲惨な歴史を中国人は忘れることはない」と述べました。
また、「1937年に起きた南京事件ではドイツ人の駐在員が日本軍から中国人を保護した」と指摘するなど、繰り返し過去の歴史を取り上げました。
さらに、習主席は「ドイツのブラント元首相はかつて『歴史を忘れた者は同じわだちを踏む』と述べたが、中国にも『過去の事を忘れず後の戒めにする』ということばがある」と述べ、ドイツの戦後処理を評価して暗に日本の取り組みと比較させる形で安倍政権の歴史認識を非難しました。
習主席は、今回のドイツ訪問で、第2次世界大戦中に虐殺されたユダヤ人の犠牲者の追悼施設への訪問を申し入れたもののドイツ側に断られたことから、講演の場を利用して、ドイツを巻き込んで日本に対する批判を強めるねらいがあったとみられます