1854年12月24日23日2日連続で発災した未曾有の安政の大地震、
この地震で江戸には被害がありませんでした。被災した徳川譜代の主な藩は尾張藩(尾張徳川家)、紀伊藩(紀伊徳川家)、越前福井藩、津藩、彦根藩、会津藩、桑名藩などが被災しました。しかしほとんどの藩は自力で復旧対策をおこなければなりませんでした。
『被害が最も深刻だったのが紀伊藩(紀伊徳川家)でした。紀伊半島を領地とする紀伊藩は12月24日23日2日連続で津波が襲来し推定4mから7mの津波が押し寄せました。津波で9000棟の家屋が海に流失し死者600人と記録にあります。また津波が内陸部の耕作地まで入り込み海水による田畑の塩害被害も深刻であったようです。』①
江戸時代において幕藩体制は幕府が日本全体を支配していたのではありません。藩という独立国家が300近く存在しその代表として江戸を領地とする幕府が存在する
「連合国家」でした。幕府は統治機構の行政組織ですが徳川家とその配下にある藩のための行政組織であったのです。
ですから幕府直轄地や旗本の領地において災害が発災した場合は直接幕府が復旧対策に乗り出します。しかし徳川家とその
配下に無い外様大名の藩に対して災害が発災した場合は幕府が外様の藩を救済することはありませんでした。
当然徳川家以外の藩に不満が募るのは至極当然なことですよね!?
ちなみに江戸時代(1600年~1867年)267年間の主な地震災害としては1703年元禄関東地震、1707年富士山の噴火・宝永地震、1783年浅間山大噴火」などが発災しています。
1855年1月中頃、帝政ロシアのプャーンは日米和親条約を踏襲する条約文を川路 聖謨と筒井 政憲に対して提出していました。下田では日露交渉がディアナ号の修理のため一時中断していて日本と帝政ロシアとの国境策定交渉は不透明となっていました。
江戸城本丸御殿の御用部屋に越前福井藩主松平春嶽が詰めていました。徳川斉昭は持病の心臓病の発作で寝込んでしまいました。安部正弘は安政の大地震の対応で疲れ気味でした。松平春嶽は安部正弘に休む様に促しました。しかし安部が休む訳にはいかない
南紀派の井伊直弼が地震を政争の火種に使いかねない状況にあるからです。
安部正弘はこれまでの慣例に囚わていたら「
日本は清の様に列強諸国の搾取の餌食になると危機感を持つ数少ない幕府閣僚」でした。そのために海防掛(外国交渉専門機関)を常設し専門外交官僚に優秀な人材を登用を行いました。安部正弘としては何としてでも幕政近代化改革である「長崎海軍伝習所」と「講武所」そして「蛮書調所( 洋学所)」の近代化三点セットとして開設させたいと熱望していました。
しかし消極的開国派でまた南紀派であった幕府閣僚の井伊直弼と松平 忠固そして松平 乗全は安部正弘の幕政近代改革に反対し何より
水戸徳川家の「尊王攘夷」思想と徳川斉昭を毛嫌いしていました。
『その頃、隠居邸宅の江戸水戸藩邸中屋敷では徳川斉昭が持病の心臓病の発作で療養していまた。心配しそばには吉子と父が倒れたと聞き駆けつけた慶喜が居ました。海防参与という役職は毎日御用部屋詰めの激務でその割には報われないお飾りの役職だと斉昭は嘆く。』②
「役職とはそんなものです嫌ならお辞めになったらいかがですか?」と吉子は言う
「何を言うか!江戸が焼野原になってもいいのか!」
「
そうなれば水戸に住めばよろしいではないですか!」
「…(くっ…くっそ~)」
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吉子の勝ち!
慶喜が病気でふせっている斉昭を見ているとふと幼い頃の出来事がフラッシュバックしました…
『いたずらが過ぎた七朗麿(慶喜)が斉昭によって水戸城の座敷牢に罰として閉じ込められました。座敷牢の廊下で近習である原市之進が正座をして控えている。しかし七朗麿は牢の中で大の字なって寝ていて全く反省していない様子だった。その時、斉昭が座敷牢にやって来ました。緊張する原市之進ところが七朗麿は大の字なって寝ている様子を見て斉昭が激怒しました。』②
『斉昭は七朗麿にこう説いた。同年代の百姓の子どもを見よ!泥まみれなり働き兄弟の子守をして親の手伝いをしておる。それに比べお前は弘道館での学問を怠り遊んでばかり。それを注意した兄の慶篤とケンカするとは何事か!上に立つ者として恥ずかしくないのか!この牢でもっと反省せよ七朗!』②
その時の怒った父の顔が慶喜の脳裏に焼き付きました。しかし今病床の父は初老を迎えた老いた斉昭の姿だった。(
ちなみに斉昭はこの時55歳でした。) 慶喜は斉昭はもうあの時の父ではないことを悟り悲しく思うのでした。
1855年1月下旬、下田の交渉団の川路 聖謨と筒井 政憲に安部正弘と徳川斉昭の密使が江戸より訪ねて来ました。
「 樺太全土(サハリン)を日本領土である事を条約に明記せよ!」
と密かに命令が下った。
日本と帝政ロシアとの国境策定交渉の駆け引きがいよいよ大詰めを迎えていました。
『』②
ウィキペディア「安政の大地震」より要約
『』② 1998年放送 NHK大河ドラマストーリー 徳川慶喜 前半 より要約
つづく
お日様とお月様の光と影
~東アジア近代化クロニクル(年代記)~
第一部 19世紀清と李氏朝鮮そして江戸幕府は国家の近代化に失敗した
プロローグ ペリー来航と黒船カルチャーショック!
第一章 西洋列強諸国との外交攻防と内政攻防 (1)~(9)
≪参考文献≫
知れば知るほど徳川十五代 実業之日本社より
オールコックの江戸 初代英国公使が見た幕末日本 中公新書
幕末バトルロワイヤル 井伊直弼の首 新潮新書 より
歴史読本 徳川慶喜をめぐる女たち 1998年10号 新人物往来社
1990年放送 NHK大河ドラマストーリー 翔が如く 前半 より
1998年放送 NHK大河ドラマストーリー 徳川慶喜 前半 より
2010年放送 NHK大河ドラマストーリー 龍馬伝 前半 より
2013年放送 NHK大河ドラマストーリー 八重の桜 前半 より
文春文庫 司馬遼太郎著 世に棲む日日(1)~(2)より
新潮文庫 司馬遼太郎著 花神 (上) より
文春文庫 司馬遼太郎著 酔って候 より
文春文庫 司馬遼太郎著 最後の将軍 より
突っ込みどころ満載!
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筆者は司馬遼太郎の作品とNHK大河ドラマにかなりの影響を受けているようです。
また筆者はこのコラムの様なNHK大河ドラマを観たいそうです。