●○-風吹く街で-○●

簸川平野のど真ん中「風吹く街で...」
恵みに生かされてるクリスチャンぴーちの日記です。

メールの宝石箱

2006年11月30日 | 友達
友達が手紙を書くのが好きなので、私も…と思ったのですが。。。
アッ!( ̄▽ ̄;)私は筆不精だったと言う事を思い出しました。はははっ!
でも有り難い事に文明の利器「携帯メール」があるので、私は随分助かりました。よかったぁ~今の時代に生まれて!ラッキー(*^-^*)v
何を隠そう、私はメール魔…って程でもないのですが、パソコン宛にメールを送る位に、メールは苦痛ではないんです

毎日みたいに会っているのに、ついメールしてしまうラブ×2のRieちゃんと私(メールが来ないと病気かなぁ?と電話かけちゃいます・笑)

私が病気的に苦しい時に頂いた、楫先生からのメール。短いけど、優しさとポイントが当たっていて、大切に心にしまいました。苦しい時にはいつも思い出して励ましを受けました

先日は甥の事故で、私はあちこち励ましのメールを送ったり、お祈りのお願いメールを送りました。そんな時に、もう私の気持ちがいっぱいいっぱいで、はち切れそうな時に、同じクリスチャンの従姉妹から貰ったメールに大泣きしてしまいました。多分、普通に見たら普通のメールなんだと思うのですが、私の心に染みてスッゴク嬉しかったです

息子には、意見を言いたい時に「短いポイントを押さえたメール」を送ります。直接話しても彼は感情的になりやすいし、私も余計な一言をつい言ってしまうからです。しばらく黙っていますから、ちゃんと聞いてくれていると信じています

そして、最後に遠い地にいるメル友からのメール。相談してくれたり相談したり。夕べ貰ったメールは宝物のように嬉しかったメールでした。離れていても一緒に生きて来たから、私の事をよく理解してくれていて、幸せでした。きっと彼女は「大きな働きをする人(規模だけじゃなくて内容もね)」になると信じて、友達と一緒にお祈りしています。

メールも言葉だから言霊があるんでしょうか言葉と一緒にその人の心も付いて来ますね

母の強さと弱さ

2006年11月29日 | 家族
母がとっても落ち込んでいます。今まで20年位頑張って来たフォークダンスも止めると言って、家に篭っているので、心配して電話しています。また、電話も娘や私によくかかってきます。
しかし、幸いに母の友達がとても心配して下さって、先生と相談して松江の教室に誘って下さり、昨日は行く事が出来ました。地元の教室には行く気になれないようですが、さっき娘が電話して一生懸命に励まして模試の次の日に遊びに行くからって言っていました

母が前にこの「死亡事故」がまるで終わったかのように話していたのは、本当は母の弱さと痛みであって、願望だったんだと思います。
しょっちゅうお墓参りに行って、自分もまるで死んだ人のようにボーっとしています。

母のためにお祈り下さい

主よ。。。

2006年11月27日 | 思うこと
なぜ?あなたが私を愛して下さるのかわかりません。。。

なぜ?あなたが私に命を下さったのかわかりません。。。


私は見捨てられ、私はさ迷い、望みを失って放浪していました。

私は放蕩の限りを尽くし、自分勝手に生きていました。


私にある憎しみや傷は私を傷つけ、生きる意欲も失って罪を犯し続けていました。

そんな時になぜ、あなたが私を忘れず顧みて下さったのか?私にはわかりません。


ですから主よ。私に出来る事は、空を飛ぶ鳥のように

あなたに感謝し、賛美する事だけです。

感謝の歌声を嬉し涙で歌います。小鳥に負けないように。


他人を裁く事

2006年11月23日 | こころの健康
今日は朝から憂鬱な気分でした

それは、今までのような病気的な鬱状態とは違っていて、普通の人も経験するような「何だか、憂鬱だなぁ」って感じでした。身体も楽だったので、寝込む必要はなかったのですが、気力がなかったのでいつものように寝ていました

夕方になってもスッキリしない気分でしたので、Rieちゃんからのメールをきっかけにして、レボンに直行しました

いろんな話しをしているうちに、私が「なぜ憂鬱なのか?」が見えて来ました。それは、私が昨日のブログに書いたように、家族の態度に対して悲しみや苦しみを感じている反面、自分にもそう言う所があるのがわかったからでした。私自身も相手の家族の方の事よりも、自分の身内の不幸中の幸いにばかり目を止めていて、自分も思いやりがないのに、家族の態度を裁いていたのです。人の事は言えません。その小さいと思えるような罪が私を憂鬱にしていたんだと気付く事が出来ました。

不思議な事に他人を裁いたり、批判した事は後で自分に帰ってきますね。「あなたはどうですか」と言う出来事があるんですよ。そこで自分を省みるようにしてもらえます。
イエスさまは罪を許すために来て下さいましたから、私が過ちに気付いて認めて告白した時点で、許して開放して下さいます。ですから、私も今日の憂鬱の原因が判明してスッキリ!爽やかァ~!

つくづく人を裁く事は、愚かな事だと思い知らされました。先ず、人の悪い所に批判的に気付く時点で、自分にもそんな所があるからなんですよね!?
なぜなら、自分に全くない欠点には、他人の欠点にも気付かない事が多いですから。自分にない欠点や、自分も反省している場合は指摘したとしても、相手を裁いて悪く思ったりしません。そして自分も影響を受けたりしません…反省でした

掛け替えのない命

2006年11月23日 | 思うこと
一昨日からとても疲れています。それは、あんなに大きな出来事があったのですから、仕方がないと思っています。

でも、そうではなくて実家のみんなが、被害者の方が亡くなられて、何かこの問題が終わってしまったかのように、いろいろ話している事に私は怖さと言うか、疲れを感じて来ました。相手の家族の方にとっては、いくらおばあさんだったとしても、とても大切な人だったんです。それは、お孫さんの一つ一つの態度や言葉からも、伝わって来ました。
一人の命が失われたのに、何か「終わったこと」「済んだこと」として、家族が軽く話しているように聞こえたので、私はとても疲れてしまいました

意識不明の時には、甥が自暴自棄にならないように励ますために、「いろんな事があるから大丈夫だから」と言って来ました。甥は純真なところがあるので、真摯に受け止めて生きて行くとは思いますが、回りは忘れようとしている…と言うか、軽く考えようとしている気がするんです。もちろん私の家族に、一生苦しんで生きろ!と望んでいるのではありません。

気丈なおばあさんだったから、これからが被害者のご家族にとっては大変なんです。一人の「命の尊」さと言う物が、飛んでしまっているように感じて苦しいんです。

でも、そう言う私も実家から離れて、今こうして葬儀が終わってしまったら、その事は忘れてしまいます。

ただ甥と妹には、これからも被害者の方やご家族への思いを込めた歩みをして欲しいと祈っています。

試練…。

2006年11月22日 | 交通事故
人生には時として、予期せぬ重大な出来事があります。一生に一度あるかないかのような…
今、私の甥がそのただ中を歩んでいます…19歳の若さで大きな試練を受けて苦しんでいます

甥は息子と同じ会社に勤めていますが、土曜日の夜勤明けに、先輩に誘われてボーリングに行き、その後好きなゲーセンで遊んでの帰り道…事故してしまいました。相手は81歳のおばあさんで自転車での横断でした。意識不明の重体。しかし、火曜日の昼に亡くなられました。

普段から車の運転は慎重ですし、穏やかでおおらかで無邪気な良い子なんです
「あの時なぜ?…」と言う偶然のような事の積み重ねですが、私は偶然はないと信じています。うなだれる甥には
「こう言う事が起きる時には、そんな不運と思える事が積み重なるものだからね」と励ましました。
18歳の若さで人生が終わってしまったと思って欲しくなかったから必死でした。友達にも、従姉妹にも、教会でもお祈りしていただきました。こんな時には祈るしかないですよね。人間とはかくも無力な生き物です
幸いに相手の家族の方が、びっくりする程に親切で気遣って下さった事が、こんな不幸の中で唯一の救いでした。また、厳しい会社ですが、辞めなくて済みました。

甥や妹にはこの出来事を、真摯に受け止めて、おばあさんの死を無駄な死にしないような生き方をして欲しいと望んでいます。そのおばあさんもご家族にとっては、掛け替えのない大切な方だったのです。

そのおばあさんの家のリーダーである、三十歳過ぎのお孫さんが、毎日泣き腫らした目をしながらも、甥を気遣って下さった事が本当に印象的でした

今日は葬儀です…。

真実の愛に

2006年11月21日 | 思うこと
私は今、聖歌を聞きながらイエスさまがどんなに私を愛して、私のために命をかけて下さったかを思い、感謝で大泣きしてしまいました。私は何年間も、自分は見捨てられていると思っていました

これらの聖歌は、昔は何気なく歌っていた歌でしたが、今は自分の事としてイエスさまの愛がわかります
どうしようもない、自我の固まりで自己中心な私でも、愛して許して下さって幸せを降り注いで下さっています。感謝でいっぱいです。自分でも自分を許せず、人を許せずに苦しんでいたのに、自然に許す力を与えて下さり愛を与えて下さっています。

そのためにイエスさまは、クリスマスに来て下さったからです

♪アメージンググレース♪

「驚くばかりの恵みなりき

この身の汚れを知れる我に」

イエスさまとの出会いⅠ

2006年11月20日 | 思うこと
私が最初に教会・・・聖書に触れたのは、作家の「三浦綾子」さんの「塩狩峠」でした。偶然、隣の席に座った子が本好きで、薦められたのがきっかけで、「道ありき」や「この土の器をも」などなど。。。読みました。
それまでは、「北杜生」さんとか・・・オモシロい内容の本が多くて、文学ってのには関心はありませんでした。

「塩狩峠」でなぜ関心を持ったかと言うと、明治時代にあった実話で(多少細かい所は、三浦さんのフィクションです)「自分の命をも捨てて、他者のために死ぬ」なんて事が、普通の人に出来るのか?マインドコントロールされている、テロリストならまだしも、普通の婚約を控えている青年に出来た事が、自己中心に生きている私には、魅力?ビックリ!でした。
そして「もし出来る事なら、そんな生き方がしたい!」と思いました。そして、それをさせたキリストと言う方に興味を持ったのが、はじまりでした。つづく・・・。

「イジメ」られた経験

2006年11月16日 | 思うこと

友人がブログに「イジメ」について書いていたので、いろいろ自分の事を考えていました。

私は、はっきり物を言うので、いじめる側の人間で間違ってもいじめられる事はなかったな・・・と思っていましたが、よくよく振り返ってみると「ハネ」にされた経験があった事を思い出しました。 当時、私たちは町営住宅に住んでいました。県営と合せて60軒ほどの団地になっていました。新築で同時に入居したので仲が良くて、1年前に入った棟とで、昔の長屋のような(経験した事はありませんが・・・)楽しさがありました

ところがある時から、私の家の斜め下のKさんが、私を避け始められました。私がKさんの仲良くしている人に声をかけて親しくしている事が気に入らなかったようで、私を避けて新しく生協のグループを作ったり、近所の子供たちにおやつを配って、一緒にいたウチの子達にだけくれなかったり、花火にみんなを呼んでもウチだけ外されて、外から聞こえて来る歓声を寂しい気持ちで聞いたりしました

でも、その時私は、そんな事よりももっと大きな苦しみや自分の問題があったので、Kさんの事をとやかく思う気持ちはあまりなく「私を好きな人もいれば、嫌いな人もいるよな」と思っていました。それ程、重大な自分の問題によって私は頭を低くさせられていたんです。そして、当時(今もですが・・・)教会をお休みしていたけれど、心の奥底では神さまを信じていたので「いつかきっと分かってくれる時がくるさ」と、私は別の棟の人が集まっている場所に、気後れする事なく出ていきました。

決してKさんの悪口や状況を話しませんでした。この事はイエスさまにお任せして、自己弁護しなければいつか理解してくれる人が与えられるだろうと何気なく思っていました。しかし、その時同じ棟の親しくしていた人たちは、私から距離を開けていきました。意味は分かりますよね自分がハネにされるのが怖いからです。これが人間の自己防衛本能です。

私は無感覚になっていたのか?その人たちの事も悪く思うことはありませんでした。でも、自分はともかく子供たちが可愛そうな目に遭うのは親としては身を切られるような気持ちです。上の子が4歳位で、下が1歳半位でしたが、それは耐えなければなりませんでした。もし私がKさんを恨んだり、悪く思うなら私はもはや加害者であって、本当の意味で自分や子供たちを守る事は出来ないと考えたからです。それは、私がイエスさまを信じていたからいただいた強さだったと今にして思います。私はとても弱い人間だからです

結局、そのうち他の棟の人達が理解してくれて、仲良くしてくれました。こそこそとしていた同じ棟の人達も、自分たちの方が奇妙な行動をとっている事に気付いて、みんな一緒に話をするようになりました。Kさんの事は、「嫌いだ!」って言う人も出てきましたが、私たちは特別に避けたりせず普通に付き合う事が出来ました。子供たちが二人とも同学年でしたから、その後延々と付き合う事になりましたが・・・

(苦笑) いろいろありますね


親友

2006年11月12日 | 友達
一生のうちで本当に「親友」と呼べる人に何人出会うでしょうか?

私は、社交的な性格なので、仲良しになった人はたくさんいます。特に以前も話したかも知れませんが、10年間仲良くしていた「友達」と大プッツン!をしてしまいました。お互いに喧嘩をするつもりはありませんでしたが、ある共通の知人の問題から波及して、遂に「プッツン」でした。私も彼女もお互いに好きだったと思います。でなければ、10年間も付き合えるはずもなく・・・。家族共々仲良しでしたので、子供たちにも迷惑をかけてしまいました。今でも、彼女はウチの子供たちに親切にしてくれます。でも、私の事は許してくれないようです

私は、よく彼女の夢を見ます。実は今日も見ました。いつも。。。いつも。。。仲直りして、楽しく笑っている夢です
しかし、私と彼女は根底では合っていませんでした。ですから、喧嘩したら「お終い」って事を分かっていたから、気を使い合って仲良くしていたんだと思います。今日の夢でも、彼女の話題が電化製品を買う話で・・・。私たちの間を象徴しているような気がしました。彼女は個性的ではありますが、悪い人ではありません。ですから、きっと彼女に合った友達が出来ているでしょう

私には本当に素敵な友達が出来ました。いつも話しているRieちゃんです。最初の頃にRieちゃんに会った時に、ちょっと厳しいけど大切な、本当の事を指摘されました。その時私は、この人と一緒にいたいと思いました。なぜなら、本当の事を言ってくれるような人でなくては、本当の友達にはなれないと思ったからです。

そして、Rieちゃんは純粋で、あけっぴろげなのでドンドン自分の事を話してくれたので、私も自分の事で「一生言わないで置こう!」と誓った事を、その日に全部話しちゃいました(^^ゞ
Rieちゃんの生きて来た道と私とは違っていたのに、同じような失敗をしたり、同じ時期に泣いていたり、「あなたは、もしかして・・・私?」って思うほど似たような所がありました。でも、個性はとっても違っていて「繊細」なのに、「明るく」て「でっかい!」人です。「大胆」かつ「かわいい」・・・。

神さまは私に、このように素晴らしい友達を与えて下さいました。その事を時々、不思議に思うことがあります。イエスさまはこんなにも、素晴らしい友達をどうして私に与えて下さったんだろう?って。イエスさまの優しさを感じます

私はメル友にも、大切な友達がいます。いつも連絡を取り合っている訳ではないけれど、いつも心にいます。本当に一生付き合って行く友達って、何があってもどこかで繋がっているんだと思うんです。繋がっていない人は私ではなくて他に、もっと良い友達が出来ていくんだと思っているんですよ。

出会いって不思議ですね。。。