●○-風吹く街で-○●

簸川平野のど真ん中「風吹く街で...」
恵みに生かされてるクリスチャンぴーちの日記です。

内面の姿

2017年10月15日 | 思うこと



今朝の夢です。

久しぶりに(30年振り)、友達のTちゃんに会いました。

彼女とは、若い時に一緒に教会で賛美したり、伝道活動してました。

懐かしくて近寄ると、彼女は私を拒みました。

他の昔の友達とは、とても親しくしているのに、

何故だか?私とは話してくれません。

すると、ある人が私に言いました。

「ぴーちさんが彼女に攻撃的だったから、傷ついているんだよ。」と。

私は、泣きながら訴えました。

「私は、かつて攻撃的な人間だったけど、Tちゃんを攻撃した事はありません。」

「私は、Tちゃんを攻撃してないのに!!」

…と言う内容でした。




スクッと起きて、お祈りしました。

私の中には、自分を守ろうとするあまり「攻撃性」があります。

自己弁護したい気持ちが満ちています。

イエスさまの愛の中で、「攻撃や反撃的な自分を手放します。」と祈りました。

それを自分では、どうすることも出来ませんが、

イエスさまの十字架には、これを破壊する力があります。

破壊?と言うより、「十字架による死」ですね。




「全てを捧げます」か?

2017年10月14日 | 思うこと



昨日ゴスペル賛美を聞きながら、車を走らせていました。

若い女性の声で「全てを捧げます!」と賛美していました。

その時に、ふと、

「この人は、本気で全てをイエスさまに捧げると言っているんだろうか?」

と言う思いになりました。

なぜなら、私も一緒に賛美していたからです。

本当に、全てを!全てを!主に捧げるのか?

と問われているように感じました。

全てって、私の全部、全てですよね?




もちろん、イエスさまは、私たちが弱いながらも、

本当に主に捧げたい!と望んでいる事は知っておられるでしょう。

でも、イエスさまが欲しいのは本気の心です。

歌っているのは、全てですよ!全てです!

本当に全てを捧げますか?

と主は言われます。





私は、嘘を言うのは嫌だったので、「全ては無理かもしれません。」と言いました。

イエスさまは、無理に剝ぎ取りたい訳ではないので、

私の気持ちを待って下さる事でしょう。

私が心から「全てを捧げます!」と言うのを喜んで待って下さるのです。