●○-風吹く街で-○●

簸川平野のど真ん中「風吹く街で...」
恵みに生かされてるクリスチャンぴーちの日記です。

自分自身との和解

2014年11月16日 | 思うこと
この頃、「自己嫌悪に陥らないな~」と、

ふと気づきました。


私は、極度に自意識過剰な所があり、

生きて行くのが、辛くて苦しかったです。

誰か他人の声にも、とても敏感でしたが、

自分自身が一番怖かったです。

なぜなら、自己嫌悪になると自虐行為や、自傷行為をするからです。

誰が許してくれても、私自身が自分を許せないんです。

一番酷い時には、(20代でしょうか)

「私なんか死んでしまえば良いのに!」と怒っていました。

決して、自分を愛したり許したり出来ませんでした。


ですから、クリスチャンになってからも、

イエスさまには感謝していましたが、どこかずれた信仰でした。

神さまが許して愛して下さっているのに、

自分が自分を許せず、嫌っていたのですから。



それが、いつの頃からか?イエスさまの完全な愛を受け入れて、

こんな私でも、どんな私でも、許されているって事が、

理屈ではなく、身に染み込んで来たようです。

毎週毎週礼拝で語られる十字架の愛を、全身で受け止めて、

リラックスして、素の自分を生きている気がします。



素直な自分を生きているので、自分に苛立ったり、

自分を傷つけたり、必要以上に嫌悪する事がなくなったようですね。

これが、イエスさまによって自分自身と和解したと言う事でしょう。



以前は、失敗した時には腹立たしくて、

なかなか許す事が出来ませんでしたが、

この頃は数日以内には、神さまにお祈りして再出発出来るようになったみたいです。

生きる事自体が苦しくて、「生き苦しい性格」だったのに、

気がつけば、イエスさまの愛に浸されていたようで、

最近では、リラックスして生活しています。



自分との和解ってこんなに幸せなものかと本当に感謝しています。

この十字架の愛で、周りの誰かを愛せたら良いな~

祈りの答え

2014年11月10日 | 思うこと
神さまの前に覚えられてる祈り
あなたの祈や施しは神のみ前にとどいて、おぼえられている(使徒10:4)今週の礼拝メッセージの箇所です。この所のメールが、朝牧師先生から届いた時に、(日曜日には礼拝メッセ...



そうそう、今でも夫はよくお祈りをします。

この春からは私も、「お祈りをする人」になりました(笑)

この地道な?お祈りって神さまに覚えられているんですね。



昨日、娘からラインが来ました。

娘は、クリスチャンですが韓国の大学では課題と発表がたくさんあり、

とっても忙しくて教会には行ってないような気がしていました。

ところが。。。



「今日ね、教会でフリーマーケットがあってね~

安くて良い物をいっぱい買ったよ~(^o^)/」

おいおい、教会に行ってたの???

「今まで行ってたオンヌリ教会は遠くて行けないから、

歩いて行ける近くの教会に行ってるよ。

メッセージも分かりやすくて、賛美もゴスペルでいいよ。」とな。



あんなに忙しくて苦しそうだったから、行ってないと思ってた( ̄○ ̄;)!

と言う、不信仰な母でした(^_^;)



彼女の人生にも、いつも神さまが働いて下さっているんですね~。

それも私は、夫の祈りがあるからだと思っています。

我が家の平和も、家長である夫の祈りのおかげ???

確かに夫は、お祈りは家長の務めだと思っているようです。

ほんとに感謝!!!(^o^)/


さぁ~て、私も負けじとお祈りに励みますね。。。