●○-風吹く街で-○●

簸川平野のど真ん中「風吹く街で...」
恵みに生かされてるクリスチャンぴーちの日記です。

自由を与えるために

2010年08月17日 | 家族
ずっと「普通の人間になりたい」と思って生きていました。

別に私は、宇宙から来た訳ではないですが…(^_^;)
「何か他人とは違う」と言った、心地悪さを感じて生きて来ました。

多分、それが教会に惹かれた一番の理由だったのかも知れません。
「普通」の定義がはっきりしないので、どう違うのか?って聞かれたら困るんですが、平たく言えば、
「個性が強過ぎる!」
「自我が強過ぎる!」
「激しい思いが強過ぎる!」
「自己中心や自意識過剰」
「怠惰な性格(∋_∈)」
もろもろだ。

教会に行けば、私は変えられるかも知れないと期待して行きました。

教会に行き、イエスさまを信じて、私は少しずつ変えられていきましたが、芯のような強さは、なかなか変えられず、いろんな事に巻き込まれたり、巻き込んだりで、私の人生はボロキレのようになりました。

ある夜、泣きながらイエスさまに訴えました。
「私はどうして、みんなと、こんなに違うんでしょう!?」
「私は、私に生まれたくなかったです!」

でも、そうだとしたら、私が私として生まれたのは、私の責任ではなく、造って下さった神さまの責任?ではないかと思ったんです。
事実、個性やルックス、家庭環境などは、全く私のせいではないのですから。
(ですよね!?)

だから、イエスさまはこんな私のために、死んで下さり、信じる者を祝福して下さったのです!
信じるか?信じないか?は、自分の責任?自由ですけどね…。

私は今、自由の中で生かされている事を感謝しています(≧∇≦)v


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決して色褪せない事のために生きたい。

2010年08月11日 | 家族
よく、どこかへ行きたくなりました。

病気と診断された頃の事です。
実際に、ちょっと出かけた事もありましたし、病院にも運ばれました(ちょっとヤバい病人?)。

テンションが上がると、しゃべり過ぎて、今度は「穴があったら入りたい」気分になります。
逆に鬱になると、息をするのも憂うつなのです。
それは、生きているのが精一杯な状態です。
もちろん、理屈では生かされているのは分かっているのですが…。
ただ、苦しみの最中では、憂うつを先に吸い込んでしまうんです。

絶対に、自分の力では這い上がれない状態になります。
ですから、どんな私をも愛して下さるイエスさまに期待して、待つのみ。。。

でも、苦しいだけの、この状態も、悪い事ばかりではありません。
私には本当に大切な事だけに集中するひとときともなるのです。

この世界の豊さが、モノクロに見えて色褪せ、天国への価値ある事だけに、魅力を感じるから。
以前は、この世の楽しみを、追い求め続けて疲れ、今は、この世の楽しみを追い求める元気もないから。

麗しい天の都…その日まで忠実な者でありたいとだけ願う今日この頃です。



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