●○-風吹く街で-○●

簸川平野のど真ん中「風吹く街で...」
恵みに生かされてるクリスチャンぴーちの日記です。

見捨てられ不安

2014年07月24日 | こころの健康
私の好きな聖書の言葉は???

と聞かれたら一番に答えるのは、



(ヘブル13:5)

主は、「わたしは、決してあなたを離れず、あなたを捨てない」

と言われた。


ですね。

私の病気の根元となっているモノに「見捨てられ不安」があります。

理由のない不安や恐れに苦しんできました。

おそらく、その最初の出来事は母との関係にあったと思われます。

私が1、2歳頃、農繁期に私をみてくれる人がいなかったため、

母は仕方なく、私を柱に縛って座らせておいたようです。

当時は仕方なく、また他の農家でもあったようですから、

祖父母の居ない家では仕方がなかったんです。

でも、ずっと泣いていて母が帰って来た時には、

障子の穴から、ずっと見ていたそうです。

ここで最初の恐怖を味わったみたいですね。



その後、4歳頃に母が急病で入院しました。

容態が悪かったので、手術と療養で長期入院しました。

私はその間、親戚を転々としました。

妹は小さかったため、祖父母が面倒をみてくれましたが、

私は、当時とても怖かった従兄弟家族と一緒に暮らしました。

今でも、その寂しさと恐怖は覚えています。

その後、母は退院しましたが、私が幼稚園の頃、また再入院しました。

これは誤診でしたが、半年間入院していました。

この時の事は、ハッキリと覚えています。

幼稚園から帰ると母がいませんでした。

知らないおばさん(母の知り合い)に連れられて、病院へ行きました。



私はとても繊細な性格で、甘えん坊だったので、

母に見捨てられるんじゃないかと不安でした。

不安を通り越して恐怖だった事を覚えています。



今は大人になって、母は仕方がなかった事もよく分かりますし、

誰のせいでもない事もよく分かっていますが、

私の奥底にある「見捨てられ不安」は深い根を下ろしたようです。

その後も、いろんな場面で「人に見捨てられるんじゃないか?」

と言う恐れが来ると、ビックリする程過剰反応します。

そう大したことでなくても、後頭部が痺れて愕然としてしまいます。



時々ある不調な時には、何もないのに「捨てられる~」と思ってしまうんです。

そこで、先ほどの聖書の言葉が、とても力になるのです。

「わたしは、決してあなたを離れず、あなたを捨てない」

神さまご自身は、絶対に裏切らないお方なのに、

その確かなお方が、「決して」と言って下さっているんです。

これ以上の安心はありません。

数日前に具合が悪くなった時には、この言葉と、

いくつか他の言葉を口ずさんでいました。

イエスさまは、空手形は出されません。

言われた言葉は、絶対に守って下さいます。





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私が教会に帰った理由(2)

2014年07月14日 | 思うこと
私が教会を離れていた頃に、

事務所の机の上に、チラシを挟んでいました。

そこには、聖書の言葉が印刷されていました。



「わたしはあなたがたのために立てている計画をよく知っているからだ。

──主の御告げ──それはわざわいではなくて、平安を与える計画であり、

あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ」

(エレミヤ29・11)


これを眺めながら、

「私に将来や希望はあるだろうか?」

と、思っていた事を思い出します。

密かに、かすかな期待もしていました。ホントかすかです。

でも、現状を見れば虚しくて何もない気がしました。

とても希望など持てるような状況ではなく、

物事は、悪い方向にだけ向かっているように思えました。



でも、そんな時に前回書いたように、教会に帰る道が備えられて、

不思議な方法で教会に帰りました。

将来と希望があったんです。全て神さまの恵みです。

どうして神さまが私にそうされたのか?分かりません。

ただただ、一方的に愛して下さって憐れみを示して下さったんです。

そんな豊かな愛に心から感謝しています。




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私が教会に帰った理由

2014年07月11日 | 教会




私には、十年程教会に行ってなかった時期があります。

その間に、出来る限りのハチャメチャな生活を送りました。

デタラメな生活にどっぷりと浸かると、悪い事をしても、

全く良心が働かなくなり、歯止めが効かなくなるものですね~

今思い出しても、恥ずかしい事だらけです(ーー;)


そんな私が、もう一度教会に戻れたのは奇跡でした。

まずは、そんな生活をしていると教会に行きたいと思わないんです。

それが一番怖いかもしれませんね。

幸いにも、私は散々な目に遭って教会に帰りたくなりました。

そんな折、私の親友が教会に行きクリスチャンになったんです。

これがビックリの一つです。

また、娘もイエスさまと出会い洗礼を受けました。

その洗礼式に、今の先生(牧師)のご配慮で、久しぶりに教会に行きました。

教会では、以前と変わらない態度で友達が迎えてくれて、

神さまの懐って良いな~と思いました。



それを機会に、我が家で家庭集会をして下さる事になり、

その後三ヶ月程してから、礼拝にも参加するようになりました。



今思い返してみても、教会に帰って来れて感謝だったな~と思います。

イエスさまの愛の中で、こんなにも幸せだと思えるから。



若い頃に、一緒に賛美したり奉仕したり、礼拝したり、

仲良くしていた人たちも、もう一度教会に帰って欲しいです。

あの時には分からなかった素晴らしい恵みが、

今はより深く分かり、もっとイエスさまを求めるようになったから。

是非、また一緒に賛美したいです♪( ´▽`)




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