●○-風吹く街で-○●

簸川平野のど真ん中「風吹く街で...」
恵みに生かされてるクリスチャンぴーちの日記です。

「愛する」って?

2009年02月23日 | 思うこと
わたしたちが神を愛したのではなく、
神がわたしたちを愛して下さって、
わたしたちの罪のためにあがないの供え物として、
御子をおつかわしになった。ここに愛がある。
(第一ヨハネ4:10)

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「愛する」って言葉が、巷に氾濫していますので、私は家族や周りの人たちを「愛する」って、本当はどう言う事なのか?と考えていました。

久し振りに体力電池が切れて寝ていたら、
ふと愛するって
「人の命を愛しむ心」
「人の存在を愛しむ心」かな?と。。。
思いました。

家族を愛するってだけでも、本気でやろうと思うと、大変な事なんですよね。

どんなに一生懸命、何かをしたとしても、完全に愛するには、遠く及ばないのを思い知るだけです。

でも、私のために命を捨てて下さったイエスさまの愛によって、
他者を「愛しむ心」が与えられたなら、何をしてもしなくっても、愛が伝わると思うんです。

時に、何もしない事が愛ってこともありますし、出来ることを「愛しむ心」を持ってさせていただけたら、それも愛ですね。

完璧な愛は、神さまの愛だけですから、溢れる神さまの愛をいただいて、自意識の無い自由な感覚で、愛を運ぶ事が出来たら幸せですね~(U_U)

愛の強制Change!

2009年02月19日 | 思うこと
さて昨日は、恒例の家庭集会がありました
ちょっと疲れていたんですけど、来て下さる方たちがいるので、とっても嬉しいです
真面目な社会問題(イジメ)や、楽しく「豆まきの鬼」の話に花が咲きました。

隣の席で、クリスチャンではない友だちが、お祈りの時に「アーメン!」と言ってくれたり、他の常連メンバーの友だちも、偶然のような事が、とっても偶然とは思えなかったので「イエスさま~(感謝します)」と言われたりと、本当に和気藹々としていて、教会のちっちゃい番のようで、とっても楽しかったです

とはいえ、自分には「愛が無いなぁ~(T_T)」と嘆く事しきりですが、小さい私たちの事務所を用いて下さるイエスさまのご配慮に感謝しています

今日のお話の中で、
「人は話すことによって、言葉だけではなく、その中にある心を伝えている
と言うとこが、印象的かつ、ドキッ!としました。
良いような事を言ってても、相手には内側の心が伝わっているんですよね。

内側も「強制Change」していただかなければ・・・。

いつくしみ深き

2009年02月13日 | 家族
この大祭司(イエスさま)は、わたしたちの弱さを
思いやることのできないようなかたではない。
罪は犯されなかったが、すべてのことについて、
わたしたちと同じように試練に会われたのである。
(ヘブル4:15)
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久し振りに、夫と「♪いつくしみ深き」を一緒に歌った。

「我らの弱きを、知りてあわれむ♪
…などかは下ろさぬ、負える重荷を~♪

なんてイエスさまは優しいお方でしょう?…(涙)
本当に涙が出そうになりました。

何の苦しみもなく、満ち足りた方にとっては、ただの綺麗な歌にしか聞こえないかも知れませんね。
でも、十字架の愛と恵みによって生かされ、望みをイエスさまだけに置く人たちにとっては、これ以上の幸せはないですね。

イエスさまが、わたしのような者の悩みを知って、優しく出来るのは、ご自身も人間としての弱さを体験されたからです。

大きな試練に会われたからですね。

イエスさまの優しさに触れると、涙が出ます。

仕事します(*^ ^*)v

2009年02月08日 | 思うこと
「金銀はわたしには無い。
しかし、わたしにあるものをあげよう。
ナザレ人イエス・キリストの名によって
歩きなさい」。(使徒3:6)

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今年の教会の標語?は「Change!」です(オバマ大統領のパクリ?・笑)。

いえ、違いますよ~。去年は「奇跡の年/その思いを越えて」でした。

そしてイエスさまは実際に、たくさんの奇跡を見せて下さいました。
それは、私たちが奇跡を見て喜ぶためにだけではなくて、
「神さまには何でも出来る」
事を、教えてくださった年でした…牧師メッセージより。

ですから、今年はみんなが
「イエスさまによって、教会や私たちが、変えられる年」
と、牧師先生が祈って決められました。

私は、個人的には
「自分の足で立って歩く」
事に、チャレンジするように導かれています。

今まで12年間も座り込んでいて、まるで「美しの門」の近くで座っていた足の不自由な人のように、他の人たちの、お世話になっていましたから。(使徒3:1~10参照)

今までは、オークションで自分のおこづかいを得る位でしたが、今年は短時間のパートからスタート出来たらと祈っています。

不安は確かにありますし、まだ導きに対する確信もないんですが、見えない道を進んで行きたいと思ってます。
「わたしを呼べ」と言って下さるお方がいらっしゃるから…。

お祈りいただけたら感謝ですm(__)m

バクッ!っと動悸

2009年02月07日 | 家族
バクッ!ドッドッドッドッドッ!っていう動悸…。気持ち悪~い!息苦し~い!

「動悸、息切れには…○○」(笑)
まるで、高齢者の言葉みたいですが、私の場合は「パニック障害」による動悸ですから、階段登っても平気ですよ~(o^-^o)v
(笑っている場合じゃないってば・苦笑)

今は、心配事も悩みも無いけど、突然にやって来るのが厄介ですし、しばらくは、ザザーと頭から血の気が引くような感じなんで、動けないです。

寝込みや、寝起きにやって来るので、今まではそのまま寝込んで、鬱状態になった事も度々でした。
(寝込みを襲うとは卑怯者め!)


そんな時に、助けになるのは夫です(^o^)
ってのは間違ってないんですけど(笑)、本当に心の隠れ場になって下さるのはイエスさまだけです!

「神は我らの避け所。また力」…って聖書にありますよね~スミマセン聖書箇所調べておきます(^^ゞ

実際に、動悸だったり、鬱が攻撃して来た時に、私は何の武器も持たず、丸腰で負けてばかり。。。

でも「イエスさまっ」と呼ぶだけで、心に安らぎが来て、
「イエスさま感謝します。」
と言うと、鬱が通り過ぎて行きました。

前にもお話したかも知れませんが
「イエスさまっ」の中身は…
「イエスさま、私にはこのような苦しみや、病気の力に打ち勝つ力はありません。イエスさまが、私に変わって打ち勝って下さい!」
と言う祈りです(U_U)。

「感謝します」は…
「今はなぜ?こんな苦しみの中にあるのかわかりませんが、あなたが全てを益と変えて下さると信じて感謝します。」
と言う意味です。

私に、このような病気を通して、イエスさまに委ねる豊かな行き方を教えて下さった神さまに、感謝しています。

正義は勝つ?!

2009年02月06日 | 思うこと
テレビでは、アメリカのドラマを観る事が多いぴーちです。

お気に入りは、バトルスターギャラクティカ、ヒーローズ、スタートレックetc.

面白い事に、昔のドラマは「必ず正義は勝つ」で、日本で言えば「水戸黄門」的な物が多いように思いますが、最近のドラマは敵の中にも、愛を持つ人たちがいたり、味方の中にも愛する人を守るために、残忍な行為をする人たちがいたりしますね。

見た目はSFですから、「あり得ない事」ですが、ストーリーは、「あり得る事」でしょう。
より、現実社会を反映しているようになって来ていると思います。

実際、「正義が必ず!絶対に!勝つ!」ってことは、この世ではないですよね。でも人間には、それを「望む心」はあります。だから、水戸黄門もナイトライダーも人気があるんだと思います。

ところで、みなさんそうかも知れませんが、ドラマを観ている時に、物語のヒーローやヒロインの側に立って観てますよね?
自分は正しい!と思っているんだなぁーって、シミジミ思いました(苦笑)。

「自分は、あの悪人に似てる」
なんて思っている人は、少ないでしょう?…自己中心って人間のサガかなぁ。(生まれながらに、罪を持っていますね~)

「HEROES」では、誰が正しいのか?分からないところがありますが、観ながら、誰が正しい人たちなのかを探している自分に気づきました。

基本的に、人って「正しくはなれないけど、正義と愛を求めている」んですね。
神さまに似せて造られたからでしょうね。

迷子の羊物語⑥

2009年02月04日 | 思うこと
教会に行くと、意外に小さい…スミマセン。

ドキドキしながら入ってみました。
すると、同じような年の女の人がにこにこ…後は、たくさんの人たちが大歓迎して下さいました。

すると、あのYさんが、
「あ~よくいらっしゃいました~感謝します!」
と、とびっきりの笑顔で迎えて下さり感激しました。
(後で親しくなってから聞いたら、私は来ないだろうと思っていたそうです・笑)

元々は警戒心の強い私ですが、「この場所は何か違う!」「暖かい!」「偽りじゃない!」
と、直感的に感じました。
それは小さい頃から、大人の顔色を伺いながら生きて来た私の、一番信頼出来る情報でした。


さて、礼拝が終わり紹介が終わると、小柄なちょっとキツイ?(ゴメンナサイ)イメージの30代位の女性が近づいて来られました。

「出身はどこ?」
「島根県です。」
「島根のどこ?」
「○○です。(いえ本当はもっと小さい町なのですが、全国的に島根県だけでも十分誰にも分からないので、適当に近くの市を言ったんですが…苦笑)」
「○○のどこ?」
「いえ、本当は○○の隣の△△町で~」
「△△町のどこ?」
「えっ!?あの~△△町知っておられるんですか?」
「私は△△町の隣の□□市出身よ。」
「え~~!そうなんですか?」

結局、私の実家から直線距離にして5km以内出身の方でした!!!
ビックリ!

とても偶然とは思えない出来事でした。
なぜなら、その女性は自分がクリスチャンになってから、ずっと郷里のためにお祈りしていらっしゃったからです。

その方にとって、私との出会いが祈りの答えだったんですね。
期待には答えられませんでしたが…(^^ゞ

それから、私の教会生活がスタートしたのです。

つづく…。