●○-風吹く街で-○●

簸川平野のど真ん中「風吹く街で...」
恵みに生かされてるクリスチャンぴーちの日記です。

造ったお方が…。

2009年06月25日 | 家族
わたしはあなたがたの年老いるまで変らず、
白髪となるまで、あなたがたを持ち運ぶ。
わたしは造ったゆえ、必ず負い、
持ち運び、かつ救う。(イザヤ46:4)

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友達は「父の日」に、自分の手作り人形のストラップをプレゼントすることにしたそうです↑。

ちょっと写真の写りが悪かったですが、実物はもっと可愛くて、彼女にそっくりでした。

きっと、お父さんも喜んで下さるでしょうね。

でも、もっと印象的だったのは、造った彼女自身がとっても!可愛いがっていた事です。

「可愛いねー」と私。
「可愛いでしょ?でしょ?」と彼女。
「○ちゃんにそっくりだよ~きっとお父さんが喜ばれるわ~」
「ホント可愛いわ~」と彼女。

自分で造った物は、思い入れが違いますよね?


神さまが、私たちをお造りになった時、どんなに喜ばれた事でしょう!

「はなはだ良かった」って神さまは大満足でしたね~。

私たちが罪の中で苦しみ、死んだように生きている事は、どんなに神さまの心を痛めた事でしょう!

だから!だからこそ、キリストの十字架があるのです。
イエスさまは命をかけて、私たちを取り戻して、神さまの祝福を受け取る息子娘に回復して下さいました。

造ったお方は、私たちを忘れてしまう事などありませんでした。

ただただ感謝です!

♪薔ぁ薇が咲いたっ!

2009年06月18日 | 家族
我が家に、去年植えた薔薇が咲きました(^_^)v

隣の家の薔薇があまりに綺麗だったので、夫が買って来たんです。
赤と白…。

ところが今年は、夫は野菜に目覚めたらしく、薔薇の世話をしません(笑)。水やりや終わった花の手入れや、虫の事も私が気にしています。

と言っても薔薇は勝手に咲くんですけど…^_^;

神さまが、ちゃんとお世話して下さってますね~(--)(__)(--)(__)

って私もだぁぁぁ~!(笑)

要完全休暇!

2009年06月18日 | こころの健康
昨日のあさ起きようとしたところ。。。
「ぐぐっ、だるい・・・肩も凝っているし喉も痛いし、首も頭も痛い!」
でも、ちょっと我慢すれば起きれるように思いましたが、はたっ!と止めました。
疲れがたまって、軽い風邪を引いたんだと思ったからです。
(出雲弁で「けんべき風邪」と言う)

今日は完全休養日にしようっと。

私にしては最近は、動きまくりだったんです(夫の見解は却下・笑)。

疲れていても起き出さないと、かえって不調になる事もあるので、頑張って起きて思いつくまま動いていました。でも、どこかでしっかり休まないと、次に疲れたときに精神的な疲れまで出て来ることがあるからです。


先週の金曜日に、友だちが深刻な相談をしてくれました。
友だちにとっては、大変なことばかりで、私も胸が苦しくなるほどでした。
と。。。途中で、心が叫ぶんです。
「お~~~気が遠くなる~~(@_@;)」

文字通り「Oh,my God!・・・イエスさま助けて!助けて!疲れたぁ~」
何とか、話は終わって、お祈りしてから帰られました。


と言うわけで、気持ち的にも、身体的にも余裕がないといけないな~と思った次第です。



今週は、履歴書なるものも送付しました。今度は事務職・・・。

教会の友だちのご主人が、見つけて下さったので、時間的にも距離や時給も良い感じだったので、受けてみることにしました。
何より、ご主人が気にかけて下さっていた事が嬉しかったです。普段は大人しくて、無口で、ほとんどお話しないのですが、気に留めていて下さっていたんですね~感謝!これが、イエスさまによる愛ですね。

通るかどうかは分からないですけど、チャレンジする事が出来て嬉しいです♪

何もない所から

2009年06月05日 | 家族
「主は言われる、わたしがあなたがたに対していだいている計画はわたしが知っている。
それは災を与えようというのではなく、
平安を与えようとするものであり、
あなたがたに将来と希望を与えようとするものである。」
(エレミヤ29:11)

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4月のお祈り会の時に、
「God will make a way.」を賛美している時に、号泣してしまいました。


♪主は道を 日々造られる
何もないように 思える時でも
主はみ手で みもとで支え
新しい明日を 主は道を造られる

……♪

私たち家族が、全く神様に見捨てられた!と思った時がありました。
それは、言葉に出来ない程に絶望的で寂しく、悲惨な気持ちでした。
小学生の子供たちを連れて、誰もいない公園で4人で賛美しました。


私には、何の希望もありませんでした。

その時に事務所の机に、チラシを切ってはさんでいた御言葉が↑のエレミヤのところです。

私が、なぜ?どんな経緯でそれをはさんだのか?思い出す事はできません。

ただ、虚ろな目で見ては
「私たちに将来と希望などあるだろうか…」
と思っていた事は覚えています。


そして、賛美をしている時に、急にその情景を思い出し涙が出て来て…あまりのイエスさまの愛に感謝で感謝で号泣してしまいました。

あんなに虚しく殺伐としたところから、私たち家族は今の幸せな教会生活が与えられたんだ!
こうやって教会で賛美出来るのも、当たり前ではない事を知っている…。

♪何もないように思える時でも…
主は道を造られる♪


何よりも素晴らしい、イエスさまと共に生きる平安…生きる力となる将来と希望!

イエスさまは、命をかけて…ご自分の命と引き替えに、それを与えて下さったことに感謝します!

キリストにある謙遜

2009年06月02日 | 家族
最近、気付いたことですが「あまり誰とも比較しなくなったな~」
と言う事。

「劣等感」や「優越感」のような高ぶりを遠くに感じます。

それに以前は、他の人が誉められていると、自分が馬鹿にされているような気持ちになって、嫌な気分でした。
これが、「妬み」ですよね。

実際的には、完全になくなったと言うわけではないのでしょうけど、イエスさまの恵みの中にいる事で、それらの罪から遠ざけられているみたいな感じです。

私は元々は「高ぶり」と「妬み」に支配されていましたので、今は自由を感じます。

かつて私は、ある方に注意されて「謙遜」になろうと、七転八倒していました。

謙遜になる事は、謙遜そうな振りをすることではありませんので、ちょっと謙遜な振りをしても、すぐにメッキが剥がれます…10分も持たない?(>_<)

それは、まるで最低の「人間」に「神」になれ!
と言っているようなもので、完全に不可能でした。。。(あまりに努力したため、私はついに謙遜と言う言葉が嫌いになった程です)


最終的に神様は、イエスさまを通して「謙遜」をプレゼントしてくださいました。…と、知ったんです。

「謙遜」になろう!とする努力に精魂尽きた時に、神様は分からせて下さいました。

その他の「徳と呼ばれる物」で、私はもらっていないものはありません。
そして、今求めているのは「勤勉」…あまりに「怠惰」なので。。。


いつでも行く場所は、「イエスさまの十字架と復活」