●○-風吹く街で-○●

簸川平野のど真ん中「風吹く街で...」
恵みに生かされてるクリスチャンぴーちの日記です。

試練

2006年08月28日 | 家族

昨日は、娘にとっては「大きな試練」がありました。簡単に言えば「友達に裏切られた」ですが、ここまでの経緯が大変でした。
そして、昨日。。。大ショック私とRieちゃんはこの話を聞いて「立ち直るまで1、2週間はかかるかなぁ~」と話していました。
しかし。。。数時間後・・・明るい声で電話してきました

どうやら、1時間ほど大泣きして冷静に考え、相手がどう言う人だったか?自分がイエスさまに信頼していたのか?などなど、整理してすぐに立ち直ったのでした。それは、元々の彼女が冷静なのではなく(本当は心配性です)、イエスさまに信頼したから、早く立ち直れたんだと思います。「結果オーライだね」と自分で言っていました

娘にとっては大きな試練ではありましたが、若いうちに苦労するのはいい事だと思っています。それで、傷ついてはいけませんが、神さまの恵みによって、謙虚に受け止める事が出来たら「大きな財産」になりますね。今、試練の中にある方・・・大丈夫ですよ

あなたがたの合った試練で世の常でないものはない。神は真実である。あなたがたを耐えられないような試練に合わせる事はないばかりか、試練と同時にそれに耐えられるように、逃れる道も備えてくださるのである。(聖書)
 


腫れ物

2006年08月25日 | こころの健康
かつてある人から、よく言われていました。
「ぴーちさんは心が繊細で、まるで腫れ物に触れるようですね」と。これは、もちろん褒め言葉ではなく、扱い難いって意味合いが含まれていたのですが。。。なのに私が思うに、見掛けだけは「象が踏んでも壊れない筆箱みたいに見えて…(古~い!・苦笑)」

夕べ、久しぶりに意味の分かる「不安」になりました。それは、早めに寝ようとしていたら、落ち着かず「叱られるんじゃないか」って思っていました。主人に話すと「誰も叱る人はいないよ」と言いました。確かに、もう私を崖から突き落とすほどに、叱ってくれた人はいません。過去が私に甦って、不安にさせたんですね

私はその時は、叱られて当然な位にいただけない人間だったし、あれがなければ、今の等身大の自分もなかったのですが、なぜだか傷だけはまだ完全には癒えてなくて、弱った時にかさぶたが剥がれて血が出るらしいです。

頭が痺れる位に、怖い思いをした事がありますか?
血が逆流するような、恐怖を感じた事がありますか?


これは、もしかしたら、もっと小さい頃の事も含まれかも知れませんね。元々繊細でプライドの高い子に、何かがあったのかも知れません。でも、徐々に癒されて不安から開放されるのですね。
ですから、ゆっくり生きて行きます

等身大

2006年08月24日 | こころの健康
等身大だって思い込んでいたんです
ちょうど良いところにいるんだって、錯覚していました。でも、無理をしていたんです。背伸びをして、頑張っていたんですね。その事に気付きませんでした。ですから、あんなに調子が悪くて苦しかったんですね~。今までも、よくあったのに。。。(学習能力が劣っているようだ(∪_∪)
あるがまま。。。等身大に戻る事が出来て良かったです。でないと、もっと人を、そして自分を傷つけたのかもしれませんから。等身大より背伸びをすると、人を傷つける事があるって知っていましたか?
私は知っていましたが、またやってしまった!!!です。
なぜなら、偽りが入るからです。無理があるからです。
反省。。。反省。。。

今度は同じ所で失敗しないように。。。人生はやり直しが効かないほど、短くはないんですよ。でも、同じ所をグルグルしているほど、長くもないですよね。でも、ゆっくり生きます

話は変って、良い知らせです。先日お話したFさんが、台所にちょっとだけ立つ事が出来たんです!とってもうれし~い!あれから、ずっとお薬なしで眠れるそうです。でも、出来ない時があっても良いんですよね。出来る回数がちょっとでも増えて行けば。。。あと、カウンセラーの先生に褒められたんだそうです。それはあるサークルに所属しておられたんですが、今は必要がないので、お休みをされる事に決められたからです。今の自分を受け止めて「止める事」が、今までは出来なかったらしいんですが、今回初めて出来たそうです。等身大で生き始められたみたいですよ

失敗?でしょうか?

2006年08月22日 | 友達
私は今ある出来事に対して「お節介をして良かったか?」「まずかったか?」と言う状態にいます。

友達を思うあまりに、良かれと思い一生懸命にやった事でした。そして、結果もきっと「良い」と思って信じていました。今まだ、その結果は出ていません。そして、現在の所「良くなかった点」もはっきりしてきました。もちろん、悪かったと分かった事はとても反省しました。落ち込む位に・・・。ですから、今は普通に言う「後は天に任せる」と言った状態です。

自己弁護したい気持ちはあります。責任転嫁する気にはなれません。起きて、終った事は戻っては来ないのですものね
そんな時、どうこの出来事を解釈したらいいのでしょうか?その友達の笑顔を信じて待つばかりです。

そして、この失敗と思える出来事を経験として、二度と同じ事を繰り返さない。最終的にこの出来事が益になるような行き方をしたいと望みます。どうか、この友達が「しあわせ」になれるようにお祈り下さい

道しるべ

2006年08月19日 | 思うこと

ぼ~っとして生きていたせいか、私には今まで、将来の目標とか強い願いと言うのがありませんでした。
とりあえず、生きて行くのが精一杯だったって事もありますが、何も考えないで生きていたとも言える・・・(笑)

先日、PCでメッセージを聞いている時に、ハタッ!と私の核となる信念となる願いが与えられました。求めていた訳ではありませんでしたから、本当に「与えられた」と言う感覚でした。「使命」と言っても良いでしょうか。。。その先生の言葉を聞きながら、作業をしていたので、真剣に聞いていた訳ではなかったのに(コラコラ!)、ピタッ!と私にフィットしたんです。聞こえたと言うよりも、私の心に入って来たって感じでしょうか

まだ、正式発表は出来ませんが(大袈裟な・笑)「腹が据わった」気がします。それに今の所は、具体的な物ではないので、会社で言えば「社訓」学校で言えば「校訓」みたいなものです。
でも、それは私の生き方の方向性には、とっても大切なもので、これからの人生。。。その方針に照らし合わせて進んで生きたいと思っています。

具体的には、これから歩む中で分かって来るんだろうと、期待しています。ともあれ。。。寝ているだけの私の人生に道しるべが与えられたのは確かで、嬉しいです


☆メル友のみなさんへ☆

2006年08月16日 | 友達

こんにちは
私は、7月のある日をもって、今まで大切に付き合っていたメル友のみなさんとお別れをしました
それは、とてもみなさんを傷つける事になるんじゃないかって、悩みながらの決断でした。今でも、時々申し訳ない気持ちがしています
私が一番苦しかった時に、いつも近くにいてくれた数人のメル友たち。
私が東京に行った時には、集まってくれた人たち。。。
もっと、余裕をもってお別れをすれば良かったのかもしれないけれど、未練が残るだけだって、突然に「さよなら」しました。ごめんなさい。

しかし、今、私には「新しいビジョン」が与えられ、実際的に私を必要として下さっている人達のために、ちょっとでもお役に立ちたいと思っています。遠くにいる人達には、私の手の温もりを伝える事が出来ません。その方の涙を拭くことが出来ません。私の体力も気力も少なくて、現実を生きる事を優先したいと思うようになりました。実際、半日しか動けない状態ですから

メールが現実的でないとは思っていませんが、限界を感じました。私もその方たちから、命の温もりを直接的にいただく事が出来ません。会えない事は、寂しいのです。後で余計に気付いたのですが、みなさんは「私の宝物」でした。大切な大切な方たちでした。

しかし、今日々にいろいろな事が起こって、病気的に苦しくても楽しくて幸せな日々を送らせていただいて、これで「よかった」んだと思っています。
HPの中に一生住み続ける事は出来ません。いずれ現実の世界で生きていかなければなりません。メールの繋がりをバーチャルだとは思ってはいませんが「距離」と言う限界には勝てませんでした。

でも、私は一生こうだとは思っていません。もしご縁と言うものがあるならば、私たちはまた出会うでしょう。もし、なければ、みなさんは別の素敵な方にお会いになるでしょうから。

私にとって大切な方たちを手放した事によって、違う大切なものを得る事が出来ました。本当にありがとうございました。そして、ここではいつでも会う事が出来ます。今日は一言みなさんに、お詫びとお礼をいいたかったので、記してみました。ごめんなさい。そして、ありがとうございました。また、改めてよろしくお願いいたします。


奇跡&奇跡

2006年08月13日 | 友達
この話を聞いて「偶然が十個重なったら、そんな事もあるかもね」って思った人がいたら、あまりに悲しいので私に下さいね(^_-)-☆

始まりは、あの楫(かじ)先生のカラオケ大会でした。私も家族も応援に行く予定はなくて、家族に日にちと時間を聞いても、マチマチな事を言っていました(やれやれ。。。苦笑)Rieちゃんが「行きますか?」と聞かれたので、家族は行く事にしました。私はいつものように肝心な時には体調が悪くなって(コラコラ)寝ていました…楫先生のメッセージテープを聞きながら
が!、先生の声を聞いていたらムクッっと元気が出た上に、GOOD!!アイディアが浮かんでしまったんです。という訳で、はにかむ先生に向かって「楫センセー!」と二人で声援を送りました。先生が恥ずかしがっていらっしゃったのは言うまでもありません。しかし二人組は大満足でした

そこで偶然いろんな方々に会いました。そこで久しぶりにKちゃんに会い、お互いに感激して大騒ぎメアド交換して帰りました。いろんな人達に会ったのにKちゃんとだけ、メアド交換したんです。
それから、しばらくしてメールが来て「また一緒にご飯でも食べようね」って事にしていました。と言っても彼女は仕事と家庭があるから、いつがいいのか…って感じで「またお盆過ぎたらね」って、切れていました。


別便ですが・・・私たちは木曜日に家の事務所で、娘も一緒に歌の練習をする予定にしていました。しかし娘が「勉強があるから止めた」って言ったので、場所をレボンに変更したんです。ところが、そこが私です。早めに買い物と夕飯の用意を済ませ準備万端!と思いきや、急に具合が悪くなって寝込んでいました。何となく「ドタキャンはやだなぁ~」って思ったので、とりあえず譜面を持って「苦しくなったらすぐに帰るから」と言い残し青ざめた顔付きで閉店後のレボンに到着しました。Rieちゃんも私の不調にすぐに気付いて「大丈夫ですか」「とりあえず来たので、しんどくなったら帰ります

とその時隣のビアノの先生が人を捜してドアを叩かれたんです。そして驚くべき事に、ドアを開けた外の車の中にKちゃんがいたんですKちゃんはレボンに入るなり、自分の深刻な悩みを関きったように話し始めました。よほど悩んだ末に、ギリギリだったんだと思います。前日も一人車で放浪していたらしいです。私たちは、Kちゃんの問題をとても理解する事が出来て、一緒にお祈りしました。そして、私たちを信頼して相談してくれたことに感謝しました

これからKちゃんの問題は必ず、良い方向に解決して行くと信じています

小さな一歩

2006年08月08日 | こころの健康
今日、私たちにとって、素晴らしい事がありました。

先日お話していたFさんが、レボンに来られたそうです。私は会う事は出来ませんでしたが、この前、私たちがお話した事にとても感謝して下さっていて、あの日から眠れるようになったと言っておられたそうです。
そして、また会いたいと思って下さったんです
その顔付きは以前より柔らかく、希望を持たれた様子だったそうです

私は、大した事はしていません。3時間弱、ほとんど事情を聞いていて「お子さんの事」「経済的な事」「病院と薬の話」を少ししただけでした(私には、そんなに知識はないので…)。Fさんはその前に、すでに診察とカウンセリングを受けた帰りでした。苦しみの中でも、必死に前に生きようとしていらっしゃいました。

Rieちゃんと私がしたのは「イエスさまによって愛した」事だけでした。私は聞いて、Rieちゃんはイエスさまの恵みによって、前向きな言葉で現実的な意味の希望を与えました。
私は、ちょうど日記に書いたように、昨日二人の同病の方々に会い、無力さを感じたばかりでしたから、喜びもひとしおでした。ちょっとでも実際にお役に立てたからです。

もちろん、人それぞれですから、昨日お会いしたTちゃんやYちゃんに、同じ方法が通じるとは思っていません。でもイエスさまの愛をいただけば、TちゃんにはTちゃんに…YちゃんにはYちゃんに合った方法と時期に、希望をお分けするチャンスが与えられると思っています。

Fさんの事は、私たちがこれから始めようとしている事に、イエスさまからGO!サインを貰ったと言う意味もありました。

苦しみについて

2006年08月07日 | 思うこと
先日来、苦しい状態が続いたので、ちょっと考えてみました。

なぜ、苦しみと言う物がのであるのでしょうか?
例えば、新興宗教や御利益信仰をうたっている宗教家の方々から見たら、病気の人達は「不信仰だからダメだ」と言う事になるのでしょうか
高い壷や印鑑を売って「しあわせになりますよ」と言われ、「買わないと不幸になります」と言われれば、不安になる事でしょう
私などは単純に考えてしまうので、「その壷をイスラエルに地雷の変わりに埋めたら、みんなしあわせになるかな?」と思います。な訳ないよなぁ。そんな単純な事でイスラエルとアラブの戦争が終決するなら、日本政府は百個くらいすぐに埋めちゃうだろうね。でも誰が埋める?地雷があるよね…

苦しみに合う事は、この世の中に生きている限り、避ける事は出来ません。神さまは私たちを愛していらっしゃるけれど、真綿に包んで天国に連れて行くつもりはないようです。
苦しみ程、私たちを謙虚にし、神さまの訓練を受けるのに相応しい物はありません。神さまは愛する子供を訓練されます。よりイエスさまに近くなるように。自分を愛して他人を愛せるように。自分の罪を認めて謙虚になれるように。叱られた子供は、嬉しくはないでしょうが、その躾は大人になってから役に立ちます

それに、普段私たちはイエスさまをスッゴク身近に感じ、愛する事は稀です。しかし、苦しみと言う炉を通った人はイエスさまと共に生きて行きやすくなります

退却人生(笑)

2006年08月04日 | 思うこと

友人のブログに面白いリンクがあったので、行ってみました。
もう、見たのは随分前でしたが、最近不調なのでか?ふと思い出したんです。もう、ご存知かもしれませんねぇ~。

やわらか戦車 (シリーズの1~3くらいまでがいいかな?・笑)


なぜに?戦車かは知りませんが、気持ちがよ~~~く!分かるのは・・・あははははっ!


私も今まで、片足を一歩引き「いつでも逃げられる状態」を保ちつつ、生きていました。。。(苦笑)
「本当に逃げられない!」と分かった時から、私の人生は本当の意味で始まったと思います

何でも自分で受け止められない事は、人のせいにしていました
ですから、成長することもなく、学ぶ事もなく、自己愛、自尊心だけが肥大化して、ちゃんと物事を、正しく感じたり、受け止める事が出来ない状態になりました。

人は、本当に愛された時にのみ、「自分と向き合う勇気」と「前に向かって生きる力」が与えられるんですね