友達から切ってもらった多肉を育て中です。
決して無駄ではなかったと今朝は、とっても平安な気持ちの中で目覚める事が出来ました。これは、不安神経症の私にとっては異例のこと。幸せ~(-^〇^-)起きた時、高校生の試験前と言う、最悪っぽい夢を...
今朝は、まだ暗いうちに目覚めたので、ポッドキャストでメッセージを聞いていました。
まさに、今日の記事にピッタリのお話でした。
私には、昔から持っていた悩みがありました。
「なぜ?私は、こんな性格に産まれてきたんだろう!」
を、突き詰めて、
「なぜ?私はあの家庭に生まれ、あの父と母の間に産まれたんだろう!」
「なぜ?私はこのような容姿に生まれて来たんだろう!」
「なぜ?あの辛くて寂しくて虚しい時に、誰も助けてくれなかったんだろう!」
なので、若い時から私の中には・・・
「産まれて来なければ良かった。。。」
と言う思いがいつもありました。
友達と笑っていた時にも、部活で頑張った時にも、成績が良かった時にも、
クリスチャンとなって何年しても、やはり、
その思いは私から離れる事はありませんでした。
自分が嫌いでした。自分の存在が重荷でした。
神さまが私を作られたとすれば、完全に「不良品」だと思いました。
「私が生きている」それだけで苦しみを感じました。
神さまが私の罪を許してくれても、私は自分を許せませんでした。
何と言う、病んだ心だったでしょうか。
事実、病んでいましたが…。
でも、そんな私を全部引っ括めて背負って、
全てを十字架で負って下さった主が、
十字架で、父なる神さまに完全に見捨てられて下さったと知った時に、
私が捨てられるはずだったのに、身代わりに捨てられて下さったと分かったんです。
もう、私が自分を背負う必要はないんです。
どんなに「不良品」だとしても、神さまの作品です。
そして、その苦しかった過去の全てをひっくるめて、今の私なんです。
「今の幸せな自分」を作っているのは、良かった事だけじゃなくて、
数々の不幸だった事も入っていると言うお話でした。
それらは、もう私の一部となっているんだと・・・。
う~~ん、だから全ては無駄ではなかったんですね。