私は、毎日「美しの門」の前に座っていた。
私は生まれつき歩けなかったから、みんなに担がれて来て、ここで毎日座っていたのだ。
私には、未来に対する夢も希望も、何もなかった。なぜなら、歩けなかったから。
あの時までは…。
その日も、私は相変わらず門の前に置かれていたから、宮に入って行く人々を眺めなら、
「今日は、たくさんの施しをくれる人が来てくれたらいいな~。」とか。
「お金持ちの親切な人に会えたらいいな~。」
なんて事を漠然と思いながら、道行く人々を見ていた。
すると、ちょっと立派そうな二人連れが通ったので、いつものように施しをこうた。
彼らのひとりが言った。
「わたしたちを見なさい。」
何か凄い物をもらえるかも知れないと、高鳴る期待に胸がドキドキして、じっと彼らを見た。
「金銀はわたしには無い。」(ガクッ!こんなに期待させておいて、それはないでしょ…涙)
「しかし、わたしにあるものをあげよう」(高価な油かな?骨董品?)
「ナザレ人イエス・キリストの名によって歩きなさい。」
こう言って私の右手を取って起こしてくれたので、私は踊り上がって立ち、歩き出した。(使徒3:1~8引用)
私の人生は、目標もなく目的もない、毎日の続きにある毎日を生きていた。
それは、まるでこの「美しの門」の傍らに座っていた男性のように。
この男性には、目を見張るような信仰も無ければ、描けるビジョンも、希望も無かった。
ただ、日々を生きて行ければ良いと、何気なく生きていたのかも知れない。
「生まれつき歩けない」って事にすっかり慣れていたから、悔しくてたまらないって程でも無かった。
あの二人連れに会うまでは…。
歩く事が出来るなんて、夢にも思わなかったから、お祈りしても無かっただろう。
その後の彼が、どんな人生を歩んだかは知らない。
でも、確実に言える事は、自分を癒してくれたイエス・キリストを信じて、愛して喜びの人生を与えられた事。
そして彼は、初めて将来に夢と希望を持ち、自分の足で歩み始めた事だ。
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どうか、わたしたちのうちに働く力によって、
わたしたちが求め、また思うところのいっさいを、
はるかに越えてかなえて下さることができるかたに…
(エペソ3:20)
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