●○-風吹く街で-○●

簸川平野のど真ん中「風吹く街で...」
恵みに生かされてるクリスチャンぴーちの日記です。

♪「もうひとつの実を望まれ」

2008年01月30日 | 友達
今年のお正月に娘が帰って来た時、いろんなプレゼントをしてくれたが、その中のひとつがこのCDだった。。。♪「もうひとつの実を望まれ」

最初聞いた時は、「良い曲だねぇ~♪」って事で終わってしまった(よく聞けよ~)。
しかし先日の日曜日に、教会の友達で歌とフルートが上手な、綺麗で素敵な女の子にプレゼントしたところ、彼女からすぐにメールが来て…
「ありがとう!帰り道に聞いてたら泣いてしまいました…」
とあったので、私もゆっくり聞いてみたら、ホントに良い曲だった~(気づくのが遅い?!・笑)

イエスさまが「こんな私を、どんなに!愛して生かして下さっている事か?」と言う事に、感動して泣いてしまった(T_T)。

そして、私もイエスさまの愛によってもっともっと、人を愛したいと切に願うようになった。
この曲の前に発売された♪「きみは愛されるため生まれた」の続編である。

イエスさまは、こんな見捨てられていた私を、探し出して下さった。私を十字架にかかって、死ぬ程に愛して下さったのである。

だから、私も全ての人にこの本物の愛を伝えたいと思う。
イエスさまは、なんて素晴らしいのだろう。。。
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わたしたちが神を愛したのではなく、
神がわたしたちを愛して下さって、
わたしたちの罪のためにあがないの供え物として、
御子をおつかわしになった。
ここに愛がある。(Ⅰヨハネ4:10)

アニメ「涼宮ハルヒの憂鬱」

2008年01月26日 | 思うこと
息子がフルハイビジョンテレビを買ったので、観る事になった。

そう。いつものようにアニメ…「凉宮ハルヒの憂鬱」( ̄▽ ̄;)!

もちろん、息子のお奨めだから面白いのだが…。

私は、なぜハルヒが憂鬱なのか?わかる。アニメに真剣な心理的な分析など、する必要などないと思うが、癖なので仕方ない。
ハルヒは、自分の生活の日常の出来事がごくありふれた、どこにでもある事だと気づいてから、憂鬱になって行く。
それに気付くまでは、そこそこ幸せで楽しかったのだ。

それから、だんだんと奇異な行動が多くなって行く。なぜなら、もっと素晴らしいエキサイティングな事がないかと、毎日イライラしながら探し始めたからだ。

そこで、アニメだから仕方ないが、ハルヒの願ったことがドンドンその通りになって行く…それも本人が気づかない内に。
すると、益々ハルヒの憂鬱は激しくなり、もっともっと変わったことを望むようになる。
「宇宙人とか未来人とか超能力者はいないのぉ~(怒)」
と言うわけで、3人とも現れてしまう。もちろんハルヒの知らない所で…。
遂に、ハルヒのイライラが頂点に達して、このつまらない世の中を壊して、新しい世界を作ろうとするが、ハルヒが唯一心を許した男の子によって、何とか守られる。

まだ、途中だがハルヒがなぜ?憂鬱になるのか?
それは、ハルヒの思い通りになる=神になること。自己中心な人間が神になると、欲求がエスカレートして「感謝して満足する」と言う幸福が得られなくなる。
それどころか、かえって不幸になるのだ。

だから神さまは、私たちが自分勝手に生きるのではなく、聖書に従って歩むように言われる。そして、従う事の出来ない私に、イエスさまの恵みによって生きて行けるようにして下さったのだ。

イエスさまの慰め

2008年01月22日 | 思うこと
17日は「阪神・淡路大震災」で特集番組を見ていた。

昔、NHKの歌のお姉さんだったクリスチャンの森祐理さんは、震災で弟さんを亡くされた。そして今は復興のために、歌で人々を励ましておられる。

私は以前、コンサートに行った事があったので、経緯は聞いていた。また、その歌声も人生も澄んでいた事を今でも思い出す。

正に、私たち家族も谷底を歩んでさまよっていた頃だった。

さて、震災の特集番組に戻るが…私は、少なからずショックを受けた。
それは、スマトラ沖地震でお母さんを亡くした5年生の男の子の涙だった。
「お母さんは、その時にいなくなった。ねぇ、お母さんはどこに行ったの?どこで会えるの?」
泣きながら、父親の手にすがりながら言っていた。まるで、死んだと言う事実を知らないようだった。でも知っているから、会えないから泣いていたのだろう。

私は、一緒に子供になって泣いていた。私には彼が私の知らない、ある国の少年ではなくなっていた。
「お母さ~ん!(涙)」
でも、私には何も出来ない。全く全く!届かないところで起きた出来事なのだ。慰めの言葉も知らない。そばで見守る事も出来ない。

私は泣きながら祈った。
「主よ!あの少年にイエスさまの愛による慰めと励ましを与えて下さい。私には何も出来ないのです。」

私がいつも、誰のためにも泣くことはないし、全ての被災者や、事件の被害者のために祈る事もない。
私は、イエスさまが私に託された人々のために祈って行くんだと思っている。

病気的に敏感な部分があるので、悲しみの全てを抱え込むと不調になって来るが、後は慰め主イエスさまに委ねる事にする。
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「わたしたち自身も、神に慰めていただくその慰めをもって、
あらゆる患難の中にある人々を慰めることができるようにして下さるのである。
(Ⅱコリント1:4)」

古い友達

2008年01月21日 | 友達
いつごろだっただろうか。。。

私はあるお母さんと友達になった。息子同士が、同じ部活だったのがきっかけで、仲良くなってお家に行くようにもなったし、部活の応援にもよく誘ってくれた。

私が気分が優れず引きこもっていると、家の前まで迎えに来てくれた。
ちょっと、お節介に近い?と思ってしまいそうだったが、彼女が大きな心の傷を持った人だと知っていたので、だんだんと心を分かち合うようになった。

彼女は、21才の娘さんを飲酒運転事故で亡くされた。無保険車でもあって、トンネル内で避ける事の出来ない、悲しい事故だった。

彼女と仲良くなったのは、娘さんを亡くされてから、一年位経った頃だっただろうか?
まだ、葛藤の中で必死に戦っていた。一緒に精神科に行ったり、お墓に行ったり…。彼女が、他の人と違っていたのは、いろんな理不尽な問題に正面から立ち向かっていた事だ。

他の遺族の人は、鬱病になりながらも、飲酒運転撲滅運動に没頭されていた。彼女も運動はしていたが、積極的にはしていなかった。それより、自分と戦っているようにも見えた。

彼女には、大きな強さと大きな弱さが同居しているようだった。
彼女が持っていた子供観…学歴主義が音を立てて崩れて行ったのだ。

次男が、全く勉強しなくなり、中学校は寝て過ごし、高校はいかなかったからだ。
それは、お姉ちゃんの死が必ずしも原因ではなかったと私は思っている。ただ、同時期に起きたから周囲の誰しもが、結びつけた。

私は、なぜか?その友達の事を思うと切なくなる。誰かや何かでは、埋める事の出来ない強い、枯渇した心の持ち主だからだ。

春…たっくさん花を買ってきて、庭中に花を植え始めた。
そして私が、彼女と別れる時が来た。私の状態が酷くなり、大量服薬した事は、彼女には許せない事だったのだ。

誰にもイエスさまは必要なお方だが、求める心がなければ、イエスさまは無理矢理入って行かれない。そのために自由意思を与えられたのだから。

彼女が、イエスさまと出会えるようにと祈っている。

元気になりた~いo(^-^)o

2008年01月19日 | 家族
病気の人たちが、みな元気になりたいと思っている訳ではない。

特に、精神的な元気になると、「元気になりたい!」と言う願いさえも、長引く病気に諦めてしまったり、居場所が出来たら、安心してしまう場合がある。

私もその一人だった。元気になってもストレスには弱い体質は残る事が多いので、日々の戦いはあるからだ。
それより、いっそのこと現状を受け入れて、程々の所で生きた方が楽だ。
家族との関係で、元気になると負担を要求されるかも知れないと言う恐れも来るのだ。

しかし、今年は違った。
理由はよく分からないが、今年の抱負でも「元気になりたいです!!」と明言した。
以前、何人かの牧師先生に祈っていただいたが、ある先生には…
「あなたは、本当に治りたいと思っていますか?」
と見抜かれたこともあった。イエスさまは、本人の意思を尊重して下さるお方だから。

今年は特別、変わった物を食べた訳ではないが…(笑)
「まず、心が健康になりたい」と思う。身体は後から付いて来るはずだから。

イエスさまが、私に願いを与えて下さったと思っている。

温泉~♪

2008年01月16日 | 家族
最近、ブログモードでないため更新していないので、他の私のブログに書いた物を編集してみる事にした。
「手抜き」とは言わない。「工夫」だ(苦笑)。

先週の土曜日は夫と、久しぶりに温泉に行った。

ファミレスで話し込んでいたら、寒くなって来たので、急きょ思いついたのだ。
近くには、迷う程温泉があり???……って迷わず、料金は高いけど、一番広くてくつろげる所に行く事にした←私の意見。

夫は、腰が痛かった時に、しょっちゅう行っていたが、私は久々だった。理由は去年、あまり体調が良くなかったので、行く気持ちになれなかったため。。。
そんな時こそ「温泉に行こう!」って感じなんだが…ふつう(^^ゞハハッ

「とお~っても!」温まって、露天風呂でも頭にタオルを巻いて…。
「ゴクラク!ゴクラク!(って、クリスチャンは何て言えばいいのか?・苦笑)」

そこで、ふと…
「クリスチャン生活ってこんな感じかもな~?」
と、辺りを見回した。

辺りは木枯らしが吹いていて、霙になりそうな雨がポツポツ降っている。
外にいる人たちは、ダウンのコートに、マフラー、帽子を被っても、震え上がっているのに、同じ時、同じ場所…ほんの近くを、裸で歩いている私達がいるのだ。

温泉は、イエスさま。
イエスさまの恵みに浸って、イエスさまの中に居るならば、外にどんな嵐が来ていても「身体の芯から暖かい」。
嵐がなくなってしまった訳ではない。それ以上の恵みで包まれているからだ。

「イエスさまってイイナーo(^-^)oイイナーo(^-^)o~♪」
と、気分良くはしゃいだ。
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「あなたがたは、この世ではなやみがある。
しかし、勇気を出しなさい。
わたしはすでに世に勝っている。」
(ヨハネ16:33)

オーケストラ

2008年01月12日 | 家族
人が生かされているのは、使命があるから。
どんな使命があると言うのか?と思う。

考え過ぎだ。自分の持ち場を、きちんとやろうと生きて行けばいい。
協調性は大切だと思うが。

作曲者…神さま。

楽譜…聖書。

指揮者…牧師

コンマス…先生の奥さんor役員?。

私…わたし。

「さぁ、楽しい音楽の時間だ!(^O^)/」

テレビとカラオケ( 苦笑)

2008年01月10日 | 家族
お正月以来、テレビを観る事が多くなった。

先週は2日間「のだめ」を2時間半づつ観まくり、ついでに次の番組まで見てしまって、完全にリズムを崩してしまったようだ(苦笑)。
「のだめ」は好きだが、テレビは私には合わないと言うのは、やはり事実のようで。

私が不安神経症だからか?いや、多分神経症の人でも、テレビを何時間見ても平気な人は平気だと思うから、私の神経と性格?のせいではないかと思う。

次の日には、カラオケにも久しぶりに行った。
身体が元気だから行けたんだと思うが、もう頭がぐるぐる…頭痛、腹痛、下痢、寝汗。
自律神経がめちゃめちゃ狂って、夢を見ても場面場面がみんなウソって言う、訳の分からない状態となった。目を瞑れば、のだめの顔…テレビの音…カラオケの賑やかさ…。
最後に夢の中で、イエスさまを呼んで…やっと起きれたのだった。

私は小さい頃から、ある面に於いて非常に神経質だった。そんな私がどうやって出来たのか?は全てを知る事は、今となっては出来ない。
しかし、その全てを知って尚、愛して下さるイエスさまがいらっしゃるから、私は生きて行ける。

もし、イエスさまを知らなかったら…イエスさまに知られていなかったら、私は自分と言う要塞に阻まれて、不自由で窮屈な人生を送っていたに違いない。
そして、そんな自分に怯えて生きていた事だろう。自分を持て余すとはこう言う事だ。

私はかろうじて、イエスさまの憐れみによって、義とされ新しく生きる自由を与えられた。

テレビもカラオケも…どんな娯楽も、一部を除いては悪い物ではない。ただ、私と言う個性的な神経を持って生まれた者に限っては、緩やかでのんびりして、自由な時間と空間とが、とても大切だと気付いた。

クリスチャンとは、聖書の規律に縛られている人達と考えている方々…。
「クリスチャンとは、イエスさまを愛すると言う規則を、自発的に守りたいと願う心を与えられた個性的な人達」なのだ。

’07を振り返って

2008年01月02日 | 家族
「クリスチャンになると、何でもすべての事がうまく行く。。。」なんて、絵に描いた餅のような、現実離れしたことはありません。

去年は、私の人生にとっても母の人生にとっても、大変な一年でした。
まず父が、脳梗塞になりました。
しかし、最初は2箇所の問題箇所が見つかりましたが、牧師先生に来て祈っていただき、教会のみなさんに祈っていただいて、一箇所は点滴と薬で・・・もう一箇所は手術の予定でしたが、異常が見つからず、延期・・・延期・・・で、今は元気に普段の生活をしています。頭のことなので、出来たら手術しないで済むように。。。と祈っていました。
一時は、息子まで借り出されて、みんなで交代で問題行動が起きないように見張って?と言うか、一緒に見守っていました。私も一緒にお昼寝をして、逆に父に見守ってもらっていました。ははっ!(今では誰もほっていて、勝手にあちこちする程元気にしています・笑)

次には、母が倒れて心臓に不整脈が見つかり、検査の結果夜中にかなりの間、止まっている事がわかりました。
そこで、ペースメーカーを入れることにし、手術しました。この時も牧師先生に病院に来て祈っていただき、安心して手術を受けることが出来ました。私はさほど心配はしていませんでしたが、母はクリスチャンではないのに「イエスさま」と、祈っていたようです。
その後、回復した母は教会や、うちの事務所で行っている斐川礼拝に毎回来るようになりましたし、またクリスマスには友達と13年間やっているフォークダンスを披露することが出来ました。

私にとってもこの一年は、病気的に苦しい一年でした。特に夏は一日寝たきり・・・と言う時もありました。
「いったい、この苦しみは何なんだろう???」と思うこともしばしばでしたが、私にとってこの苦しみの中でも、イエスさまを信じて感謝できたことは大きかったです。
教会に行って、賛美しメッセージを聞くことが出来る事は、とっても幸せなことでしたし、日々の生活の中で生きていらっしゃる、イエスさまの事を知ることも、幸せでした。

先日は、斐川礼拝に友達の友達で、娘さんが精神的な病気を持っていらっしゃる方が来られました。主人も私も、家族が病気の人の苦しみや、本人の苦しみを理解することが出来ましたし、何よりも切羽詰って苦しんでおられる方に、悩みを話す場所を提供出来たことは、私たちにとっても励ましとなりました。
先生のメッセージで、すでに涙しておられました。慰めを受けられたのでしょう。

普通に考えたら、悪いこと?と思えることの中に、去年は素晴らしいイエスさまの愛を体験することが出来たのです。

私はいろいろな事を通して、「地上のことは一時的なことだなぁ~」と思うようになり、地上を旅人として精一杯生きて、天を仰いで生きたいと考えるようになりました。
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しかし、わたしたちの国籍は天にある。
(ピリピ4:20)