●○-風吹く街で-○●

簸川平野のど真ん中「風吹く街で...」
恵みに生かされてるクリスチャンぴーちの日記です。

北風と太陽

2006年06月29日 | 思うこと

先日スゴイ話を聞きました
私は知らなかったのですが、村上議員さんが犯罪を犯して、捕まったとか・・・。ニュースを見ていないので、気付きませんでした
村上ファンドなら、知ってたんだけどなぁ~(なんで経済情報には詳しいのに政治には疎いのだ

どうでもいい事でしたね。。。
そうそう!スゴイ話です。
この議員さんが捕まって、みんな「あんな事ばかりする議員がいるから、日本は良くならないんだ!政治家は本当にあんな事ばっかりして~
などと、非難を浴びせられたことでしょう。。。

ところが、この話を違う角度から見ていた人がいらっしゃったんです。仙台の牧師さんが、このニュースを聞いて村上さんに手紙を書かれたそうです。
「あなたは、こんな悪い事をして今はさぞ苦しんでいらっしゃることでしょう。あなたのした事は悪い事です。でも、もしこの事を反省されて、この悪い出来事を変えていかれるなら、あなたはきっと素晴らしい議員さんになられ、本当に日本の役に立てる方になられると思いますよ。」

すると、この議員さんから分厚い手書きの、感謝の手紙が届いたそうです。

先日の「今どきの・・・」でも書いたのですが、悪い人や悪い出来事を「絶対ダメだ」と決め付けるのは簡単です。しかし、そこにも希望を見出して、少しでも気持ちを汲み取る事が出来るなら、その人は変る事が出来るのです。
「北風と太陽」ですね。もちろん相手をちゃんと見て、誰彼となく太陽であってはならないかも知れません。北風も時には必要です。
しかし、誰も相手にしないような時に、誰も相手にしないような人に、暖かい手を差し伸べた時、人はふと我に帰って純真な気持ちになること(本心に立ち返る)が出来るのです

私はそのような時に、私に手を差し伸べて下さった方によって今を生きています。私は今、事情があって教会には行っていないのですが、そんな私にも溢れるばかりの愛を注いで下さっています


今どきの・・・。

2006年06月27日 | 家族

「今どきの若いもんは~
って、言われる事に私はとっても抵抗があります
だって、私は「若いも~ん


しらけた・・・・・・(┬┬_┬┬)

太古の昔から「今どきの若いもんは、なってない」と言われていたそうです。いつの時代にも、その時代時代に新しい感性や考えを持っている「若い人」は、奇異に見られたのでしょうね。
そういう事を言う方には。。。
「今どきの、おばちゃんは~・・・」とか
「今どきの、お年寄りは~・・・」とか、言ってみたいものです。
なぜなら、その子供たちがいけないのなら、そんな子供たちを育てた親や社会が悪いのですし、そんな社会を子供たちに残したお年寄りが悪いって事になりかねませんから

しかし、私は誰が悪いなんて言うつもりはありません。確かに昔と今とでは、感覚の違う人々がいます。だからと言って一概に、それが「悪い」とは限りません。
息子の友達は、今でこそ普通の格好(笑)をしていますが中学、高校あたりでは「茶髪?いや金かな?」とか、「どこかに巡礼に行くの」と言うような真っ白い服に、旗、羽の生えたバイク・・・。
「おう~~~~!選挙運動より凄いね~(笑)」
って、人がいました。

でも、ウチに遊びに来るとキチンと挨拶もするし、純真だし、犯罪を犯すわけでもないし。。。(今どきの大人の方が、犯罪をよく犯していらっしゃるようですが・・・すいません。皮肉でした・苦笑)
とにかく「いい奴らだな~お前ら~~」って、感じなんです。もちろん、本当に悪い子達もいました。それは、大人もでしょう。。。

結局ですね。大人も子供も、みんな罪を持った人間同士なのですから、批判しあっても仕方がないのです。許しあって、認め合って、愛し合っていかなければ、何も変わらないのです。
その愛は人間の限度を越えた愛・・・打算のない、命をかけた愛でなければなりません。

「神は愛です。」


本当の報い

2006年06月26日 | 家族

主人は最近、とぉ~~~~っても前向きな言葉を言うようになりました
今は、先日書いたように環境的には、決して良い状態ではありません。都会と違って地域経済はスゴク!冷え込んでいますし、また先日の会社の事件です。。。いい材料は見当たりません
がっ!以前とマッタク!違うんです

「僕は心配はしていないよ。今回の事件も神さまが会社に『このまま、お客様軽視、代理店軽視で良いのか?』と、問っておられるんだ。合併するまでは、こんな感じじゃなかったんだ。きっと、ちゃんとしないと報いが来るよ。」
と、話していました。

どんなに隠していてもどんなに良い事を言っていても結局は真実が明かるみに出される時が来るのです。
それは、会社でも個人でも同じです。
もし隠れた事柄を、ずっと隠し続けれたとしても、その人はどこかで報いを受けると信じています。自分の蒔いた物は、自分が刈り取る事になるのです。しかし、因果応報とは違います。そんな人でも神さまに許していただく事が出来るのですから

私も随分、悪い物を蒔いて刈り取ってきました。「痛い」事でした。でも、それがなければ、今の私はあり得ません。早めに気付いて良かったと思っています。。。早目がいつかは?その人次第ですが・・・。
神さまによって、何歳からでも、新しい歩みは出来るのです


業務停止命令

2006年06月23日 | 思うこと

やれやれですね~(苦笑)
本当は、書きたくないような内容ですが、あえて書かねば・・・ですよねっ!

主人が代理店をしている保険会社が、業務停止命令を受けました。
お客さまには、ご迷惑をおかけしていますm(_ _)m。

私たちの立場から見た、この事件は。。。
「そんな事になるよね・・・あんな態度じゃ
って、思いました。
なぜなら、金融再編の波が来てからの会社は、「ちょっと変?じゃないのぉ~」って思うこと、しばしばでしたから。
内輪の事を悪く言うのはいけない事ですが、社員の人がおかしいんです。昔は社員と代理店は仲良しで、和気藹々としていました

「○○さ~~ん、もうちょっと、契約取ってきて下さいよ~。頼みますよ~。期待してますからね(^_-)-☆」

「しゃ~ないなぁ~。○○さんの頼みなら嫌とは言えないね~。頑張ってみるよ。契約が取れたら、お昼奢って下さいよぉ~

「あはははははっ!」(笑ってごまかされたかな?)

と言う具合です。逆にお世話になる事もよくありましたからお互いさまで、楽しくやんわりムードでした

ある時から。。。
あの毒カレー事件もあったかも知れません。架空契約、印鑑をもらわずに契約、などなど金融庁が厳しくなって来たせいもあるかも知れないです。不良債権をたくさん抱えた会社は、損保会社には少なかったと思いますが、会社のスリム化が叫ばれるようになりました。
そうですね。外資系が安い保険料で参入して来た事もですね。

その頃から、社員はキツイ目つきになり(なぜか?良い社員さんは辞めていかれました・涙)中小代理店に対して、厳しい対応になりました。
先日は、社員が間違った事を言って、お客さまを怒らせてしまったのに、謝罪に行くのは担当代理店だけ!でした。当然、社員なりその上司なりが、謝りに行くべきだと思います。賢いお客さまは、損害保険協会に直接訴えられましたので、とても悲しいことに思えました
なんで「ごめんなさい」が言えないの?
間違えたんだから、ごめんなさいって言わなくちゃ。仕事って言うより人間の基本でしょ?自分の子供には言わせるでしょぉ~

会社は、お客さまや代理店を見なくなっていました。何処を見ているかって?金融庁でしょうね?お上(おかみ)を見ているのです。
だから「ごめんなさい」が言えなかったので、皮肉な事に無理矢理「ごめんなさい!(社長が)」を言う事になったのです。

お上と言う名の、人間を恐れていては何も正しい事は出来ません。そして、地道に正しい事を行っていなければ、いずれ会社にしても人でも、全ての事が明るみに出されて恥をかく事になるのです。私も人事ではありませんね。こころしたい物です


米沢興譲教会

2006年06月21日 | こころの健康

今日は、オークションの作業をしたり、PCのメッセージを2本聞いて、カセットで1本聞きました。
PCのメッセージは、山形県の米沢興譲教会の田中信生牧師のです。この方は、カウンセリングセミナーを全国で開かれていて、教会関係者でなくても、かなり有名です。

一般企業のセミナーにも、学校や老人ホームのイベントにも、行かれます。最近では「山形しあわせ銀行」の主催で、取引会社の人の講演にも行かれました(メッセージ記録をいただきましたので)。
えっと、来月は山形県民会館で講演会の予定だとか?確かね・・・。
以前は市民会館だったようですが、収容人数の関係で?県民会館になったとか?4月には出雲にも来られたので、ビックリしました。

カウンセリングでは不登校の人(そのご両親)や、神経症の人を中心にケアをしていらしゃいます。今はカウンセラーの養成セミナーが多いようですが。。。

実は、私が「幼児虐待」のメカニズムを知り、抜けだせたのは、ここの教会の「強迫神経症」の女性の手記を読んだからでした。16年も前の事です。当時は今のように有名ではなかったのですが、何かで田中先生を知りました。この女性は、「強迫神経症」が治らなくて、東京からわざわざ米沢まで行って、田中先生のカウンセリングを受けて全く良くなり、今はカウンセラーになっていらしゃいます
遂に移住されたようです。(笑)
不思議にここの教会では、よそから移住される方がいらっしゃいます。普通はない事ですけどね。


ヤフーで「米沢興譲(こうじょう)教会」って検索すると出て来ます。
メッセージも聞けます。。。。
すっごく面白い!ですが、的を得ていて鋭くていいです(注・バリバリの東北弁です!(笑)が、アメリカにいらしゃったので、英語は話せます)


加害者タイプと被害者タイプ

2006年06月20日 | こころの健康

作家の、故三浦綾子さんが何かの本の中でおっしゃっていました。
「世の中には、加害者タイプと被害者タイプの人がいるらしい。私は間違いなく加害者タイプだ」と。
それはある時、刑務所に慰問に行かれ、受刑囚の人達と話していたら
「僕は考えるよりすぐに行動に移すタイプで、カッ!となったらすぐに手が出てしまうんですよ。」
と言っておられたため、自分もはっきり物を言う方だし、思い立ったらすぐに行動を起こすからだそうです

それを読んで「私も絶対加害者タイプだ!」と思いました。私は小さい頃はとても短気ですぐにカッ!と来ていましたし、はっきり物を言うタイプだから、人を傷つける可能性が高かったから。昔は妹を始めとして、たくさんの人を傷つけて来ました
そして、その事によって自分も深く傷ついて来ました。加害者の苦しみを随分味わって来ましたね。

もちろん被害者の苦しみも味わって来ています。被害者の受けた傷によって、加害者になってしまうケースもたくさんあります。
私も多分そのケースです。人間には「江戸の仇を長崎で討つ」的な、感情が隠れているのです。カウンセリング的に言えば「感情転移」でしょうか。直接、自分を傷つけた人には立ち向かえない立場の場合に、自分よりも弱い違う誰かで憂さを晴らすものです。「幼児虐待」「いじめ」も、このケースが多いように思います。
ですから、完全に弱い立場の人・・・例えば子供以外は「完璧な被害者」「完璧な加害者」はほとんどいないと思います。
どちらの要素も人間は持ち合わせているんですね。

ですから、他人の事をとやかく言えば、自分に帰って来ますよ。
あなたはどう?って(苦笑)


「義人はいない、ひとりもいない。」(ローマ3:10)

イエスはこれを聞いて言われた、「丈夫な人には医者はいらない。いるのは病人である。わたしがきたのは、義人を招くためではなく、罪人を招くためである。」(マルコ2:17)


数字のちから!

2006年06月19日 | 思うこと

私がブログを始めるようになったきっかけは・・・重大なきっかけ・・・などであるはずもなく。。。ある人のブログに行ったらとってもかわいかったからです(あははははっ!)

そう言えばHPを作ったきっかけも、掲示板を取得してみたから。。。でしたね。出来た掲示板に、
「あなたのHPに貼り付けて下さい
と、書いてあったので、慌てて適当にHPを作ったのでした

ところがです!ブログを作って数ヶ月した頃から、アクセス数が気になり始めたんです。ここのブログは、訊かなくても編集画面に「これでもか」って位にデカク!アクセス数とIP数が出て来て、「アクセス状況を見る」を開けてみると、一週間のアクセス数・・・先週・・・先々週と、お節介にもきちんと出てきます
そして、毎日更新しているとアクセス数は増えてきて更新を怠ると減って行くと言う恐ろしい物です(笑)
毎日、その数字を見ていると、最初は気にならなくても不思議と気になってくるものですね~。
ですから、あえて更新は適当にしようと思ってしまったのですが。。。捉われると窮屈なものですからね。

そこで、社会の中でみなさんがどんなに数字に支配され、苦しんでおられるのか?を少し思うことが出来ました。
学校では、テストの点数。順位。偏差値。。。
「私にしてはいいじゃん!」と思っても、前回よりも順位が落ちたな~~と自然に思ってしまいます。理解出来たかどうかよりも、上がったか?が気になると思います。
「あ~やだやだ!気にするのは止めよう」って思うと、投げやりになってきたりします。

商売をしている人なら、売上。営業の人なら、挙積。
もちろん、それは励みにもなりますので、私は数字を否定している訳ではありません。しかし、数字に支配される人生は窮屈で、狭い視野になりがちですね。
主人の関わりの会社の所長さんは、
「僕たちは、挙積が上がればそれでいいんだ。それが全てなんだから。」
って代理店に言われたそうで、正直なんでしょうけど信頼を失っていますその気持ちが代理店の人にもろに伝わるので、みんなに嫌がられています。
数字は正直です。公平でもあります。
しかし、私たち人間は数字では測ることの出来ない存在ですから、支配されると折角与えられた「良い物」を失う可能性がありますね。

私は1+1=2。の有限の世界に生きているのではありません。
1+1=3?4?・・・∞であったりする世界に、イエスさまにあって生きているのです。ですから、私には希望があります。

「彼はこの神、すなわち、死人を生かし、無から有を呼び出される神を信じたのである。」(ローマ4:17)


隠れた自分

2006年06月16日 | オークション
実は・・・昨日オークションで落札したブラウスになぜか?シミが付いていました画像を撮った時には気付かなかったのですが「気付かないはずはない!」って位に前立が汚れていました。
「うっそ~!!!
洗ってみたら、ほとんど落ちたのですが、薄くベージュが残りました。元々スッゴイ花柄で、ベージュの模様もあったので・・・。
「う~~~ん(∪_∪)」って、何分か?
(サバを読みました。。。何十分か・笑)
悩みましたが即、落札者さまに画像付きで連絡して値引きさせていただきました。680円値引き。。。普段は何も思わないで使っている680円なのですが、値引きするとなると680円が重たいんです。人間の性と言うものでしょうか?

でも、「落札者さまは、どう思うんだろうか?」とハラハラして生きる2、3日を思うと、680円と引き換えには出来ない平安だと思い決断しました。不安神経症なので、パニック発作が起きるかもしれません。以前はそのまま送ってしまった事もありました。何事もなかったんですが、自分と神さまはちゃんとセコイ自分を知っています
お陰で私は、気持ちのいい今日を送る事が出来ました~。落札者さまにも喜んでいただく事が出来て、わざわざを下さいました


だからと言って私は、正直者の素晴らしさを説くつもりはありません。人間と言う者は、そう言う弱さを持って生まれてきているのです。他人の事をどうこう言っても、自分の内側を見たら「同じ物」があるんですね。

ですから、人間の限界を知って神さまの恵みによって、謙虚に赦し合う事だけが自分に出来る事だと思っています。

人生のリフォ~ム!

2006年06月12日 | 思うこと

私はリサイクルショップはもちろん好きなのですが、もともとリサイクル(リフォーム)が好きでした。具体的には主人のカッターシャツをリフォームして、娘のワンピースにしたり、私のトレーナーを子供のカーディガンとスカートにしてみたり。。。従姉妹の結婚式用に母のスカートで子供用のスーツにしたりと言ったことが好きでした

今も好きですが、大人用にするには結構、知恵と体力が必要なので最近はあまり思いついていません。でも、私が本当に喜びを感じるのは、この捨てられるはずの物が「生き返る」ってことですね~

私も捨てられたような者でした。ですが、私を愛して下さって許して下さった方によって、息を吹き返しました。今は、幸せを感じる事が出来ます
私はとても個性的で(それは今もですが・・・)出しゃばっていて、たくさんの人を傷つけてきました。高ぶりと、劣等感の間を行ったり来たり
今も思い上がりそうにはなりますが、「ストップ!」がかかります。自分の力では謙遜にはなれないと知っていますから、お任せして歩んでいます

私が体力的な弱さを与えられたのは、本当に幸せなことでした。もちろん、精神的な弱さもです。弱さは普段はあまり良くない物と言われていますが、神さまによっては弱さは弱さではなく、「強さ」に変えられるのです。それは、捨てられるべき洋服がかえって今までよりも、もっといい物にリフォームされるようなものですね
ですから、私は弱くて小さくて苦しんで生きてきた事が、今では良かったと思っています。なぜなら、もし私が何十万円もする、高級ブランドの洋服だったらもったいなくてリフォーム出来ないと思うからです。ず~っと、クローゼットの中で、暗く生きて行く人生だったんじゃないかと思います

私のクローゼットの中にもまだ、眠っている洋服たちが出番を待っています(笑)早く役立ててあげなくちゃ!あはははっ!


主人のしあわせ

2006年06月11日 | 家族

今日は主人の事についてお話します。

主人は、生損保の代理店をしていますが、最近の金融再編の流れを受けて、手数料の大幅ダウンを目の前にして、かなり動揺していました
家計の必要額は増えて行くのに対して、収入は減る。。。
胃が痛くなるような話です。そこに、息子の事故から始まって、いろんな出費が重なりました。


主人は知らず知らずの内に、お金に信頼して、後これだけあるから大丈夫!と無意識に思っていたようです。私は主人がそこに信頼する事によって、本当に大切な事を見失っているのではないかと、危惧していました
だんだん、イライラする日が多くなりました。でも私は、人間の幸せはその目に見える物に信頼する事によって得られるものではなく、目には見えないけれども、私たちを愛して下さっている神さまによって、得られるものだと信じています。そして主人も昔は、ちゃんとそれを心得ていたのですが、物質的に満たされて来ると、人の感覚は鈍くなるようです。

ギリギリの状態がやってきました。私は主人の心の状態に耐えられなくなり、「ちょっと、実家に帰ってくるね」と言って出て行きました。
もちろん、了解の上です。喧嘩をした訳でもありません。
急にそんな気持ちになったのです。もともと、実家は私にとって居心地のいい所ではなかったので、お盆でもお正月でも泊まった事はなかったのですが、今回は不思議に3日ほど泊まって帰りました。

その間に、主人は追突されたんですムチ打ちか?と思いきや。。。元気で守られました。全損の事故だったので、かなりの衝撃にも関わらず、1日で治りました。それより主人が心配していたのは、全損の場合には車両価格しか保険が出ないのではないか?と言う事でした。これ以上の出費は今はもう無理・・・・。完全に落ち込んでいました。
しかし、結果。全損でも修理をすれば、全額出ると最近の規約で決まっていたのでした。ほっ!

この事を通して彼は、自分がいかに経済的な事に囚われて無駄な心配をしていたかを知る事が出来ました。
そこから、彼の神さまに対する「信仰」が目覚め、「大丈夫のこころ」が出て来たのです。私たちは主人が経済的な事に異常に囚われている事は分かっていましたが、どうやってそれを気付くようにして、変えれば良いのか?は知りませんでした。まさか、こんな方法で神さまが、彼に教え諭し変えてくださるとは・・・ビックリ!でした
私がその時に居合わせなかった事も幸いでした。自分でよくよく考える時間があったからです。

今日も主人といろんな話をしましたがもう彼は先の事など心配していません。もっと先の自分の使命を悟って、コツコツとやる気満々です。私の力ではどうにもならなかったですし、主人自身の力でもどうにもならなかった囚われから開放してもらって、
本当に感謝でいっぱいです

こんな風に毎日がエキサイティングなので、何処に行かなくても「楽しい」と思える日々を送らせてもらっています。

「わたし(神さま)はあなたがたのために
立てている計画をよく知っているからだ。
主(神さま)の御告げ。それはわざわいではなくて、
平安を与える計画であり、
あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ。」エレミヤ29:11