●○-風吹く街で-○●

簸川平野のど真ん中「風吹く街で...」
恵みに生かされてるクリスチャンぴーちの日記です。

神さまの手のひら

2014年06月13日 | 思うこと
朝、ふと携帯に目を向けると、

待ち受けにした娘の写真が見えました。

娘が韓国に旅立ってから、彼女の写真にしたんです。

そう言えば、友達も娘さんと一緒に撮った写真を待ち受けにしています。



その時、「ああ~神さまも私の事を待ち受けにしてくれてるかも?」

と思いました。

そうそう、「見よ、わたしは、たなごころにあなたを彫り刻んだ。」

と聖書に書いてあるのですから。

たなごころとは、手のひらだそうです(調べました・笑)




(イザヤ49:15-16)

「女がその乳のみ子を忘れて、
その腹の子を、あわれまないようなことがあろうか。


たとい彼らが忘れるようなことがあっても、
わたしは、あなたを忘れることはない。


見よ、わたしは、たなごころにあなたを彫り刻んだ。
あなたの石がきは常にわが前にある。





現代では手のひらにあるのは携帯・・・笑

神さまの手のひらに私の写真があるのでしょうか?

人間の私でも、自分の娘の事をこんなに毎日思っているとすれば、

私たちを造って下さった神さまが、

私の事を忘れてしまわれる事なんてないんですね。

わお~本当に感謝で幸せです(*^▽^*)



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主の御顔を慕い求める祈り…続き

2014年06月11日 | 教会
続き…

「ほらね。。。これからも、もっとすごい事をするよ」

と語られた気がしました。


(ヨハネ14:12 )

よくよくあなたがたに言っておく。

わたしを信じる者は、またわたしのしているわざをするであろう。

そればかりか、もっと大きいわざをするであろう。





この事ですが…。

何かは分からないんですけど、きっと素晴らしい事が起きるんですね。

もっともっと心が癒されて自由になり、

今後の人生を、輝いて生きれたら良いな~

ところで、大きなわざって何だろう?




ほとんど寝ている私が出来る事は、ホントに少ないんですが、

お祈りする事だけは出来ます!

それだけでも、とても感謝な事ですね~

期待して!期待して!(≧∇≦)

とにかく、今はお祈りに集中しようっと。




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主の御顔を慕い求めるお祈り

2014年06月10日 | 教会
何から話せば良いのやら。。。

日曜日には、素晴らしい事が起こりました。



私は、4月半ばごろから見始めたブログによって、

24時間の祈り「ダビデの幕屋」に憧れるようになりました。

(ダビデの幕屋とは24時間いつでも教会に来て、主の前にただただ祈り、

聖書を読み、また祈る・・・と言うものです)

良いな良いな~(≧∇≦)



その祈り会を始めるようになってから、教会に凄まじい変化が訪れたそうです。

いろいろな「しるし」や「奇跡」が起こり、クリスチャンになる人もたくさん起こされ、

一人一人の信徒も、直接イエスさまから教えられ、恵みを分かち合うようになったと。

「奇跡」の中には、病の癒しもあり、ビックリするような経済的な祝福もあり、

不思議な事がたくさん起きるようになったとの事。



良いな良いな~(≧∇≦)

でも、あまりに熱狂的?過ぎて最初はちょっと疑ってかかっていました。

大袈裟じゃない?気のせいじゃない?一過性の流行りじゃない?とか。

でも、聖書の福音書を読んでも、使徒の働きを読んでも、

同じような事が書かれているではありませんか!



わお~もしかしてホント???

ならば、やっぱり良いな~♪

でも、それなら是非ともそのブログの人に会って直接お話が聞きたい!

と思うようになりました。

それに、「ダビデの幕屋」を建て上げようにも私たちの教会は人も少ないし。

どうしたら良いんだろう???




そうだ!「ダビデの幕屋」のある教会に所属している島根県出身のOさんに、

フェイスブックからメールしてみよう。

と、思い思案していたら。。。

この日曜日に、礼拝にOさんが来てたっ!!!わお~

って、Oさんは北海道に住んでいるんです。

簡単に帰省出来る距離でもなく、今回は連絡もなく突然に来られたんです。

それも、私たちの教会に対する神さまからのメッセージを持って。

わおわお~。。。




それからOさんと一緒に、数人で「主の御顔を慕い求める」お祈りしました。

(ただただ神さまを見上げて、語られる言葉を聞きながらお祈りする事です)

神さまは私に、

「ほらね。。。これからも、もっとすごい事をするよ」

と語られた気がしました。


つづく




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「謙遜」について

2014年06月04日 | 思うこと
私はかつて謙遜と言う言葉が大嫌いでした。

それは、謙遜になろうとしてもなれなかったからです。

高慢って誰だって嫌だと思いますが、

勝手に高慢になり、謙遜は益々私から遠ざかりました。

「もっと謙遜になりなさい」

と言われても、もう私には謙遜が分からない状態でした。

そう言った訳で、私は謙遜と言う言葉も嫌になったんです。



散々な目に合って、遂に私は謙遜を諦めました。

「私の内には、謙遜など全く無い!!!」と。

その時、ああ。。。

謙遜はなるものじゃなくて、頂くものだと気づきました。

イエスさまの「謙遜」を頂くんです。



イエスさまは、私の身代わりに十字架で死なれました。

そして三日目に蘇って、私の身代わり?に生きて下さるんだと。

一つは身代わりの「死」で、もう一つは身代わりの「生」です。

ですから私は、イエスさまの謙遜を頂いて感謝して生きます。

私が完全に謙遜になったとか、全く高慢にならないとかでもありません。

でも、イエスさまの謙遜を頂いている限り高ぶる事はありません。

もう、謙遜についても高慢についても考えなくなりました。

これは、私にとっては素晴らしい解放でした。


だからと言って高慢になって良い訳ではありませんよね。

謙遜がいつも与えられるんです。

なので謙遜そうな振りをする必要もなくなりました。

へりくだりが分からなかった時には、振りをしていました。

高慢が来ても驚きません。私はそれと関係ないと知っているからです。

当時は苦しかったですが、今になってみると恵みでした。




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見えると言う事

2014年06月03日 | 思うこと
若い頃こんなことがありました。

ある先生が私に、

「ボールペン見なかった?」と聞かれました。

でも、私はちょうど苛立っていたので、

「知りませんっ!」とキレ気味に答えました。

そこで、その方に大変叱られました。

「それは不法の霊です!」と。

その時は、叱られた事がショックで、

自分の状態がどうだったか?冷静に判断出来ませんでしたが、

最近になって、その本質が分かって来ました。

なるほどな~言った言葉が悪かっただけじゃなく、

その言葉から出て来るモノが間違っていたんだな~

心の中心にあるモノが、言葉と一緒に出て来たんです。

それは「ごめんなさい」で済むモノではなく、

内に働いて下さっている神さまの力によって排除してもらうモノでした。

当時は意味も分からず叱られた事が、今は恵みになっています。

それこそ、神さまの奇跡でしょうか?

とりあえず、今はその意味するところが分かるって事が感謝です。

でも、まだまだ見えない事もいっぱいありますね~

徐々にですね。。。




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