●○-風吹く街で-○●

簸川平野のど真ん中「風吹く街で...」
恵みに生かされてるクリスチャンぴーちの日記です。

羽ばたく自由

2008年02月28日 | こころの健康
この頃「自分が本当にしたい事は何だろう?」と考えていた。

なぜなら、最近夜遅くまでテレビを観るようになったり、友達から韓ドラのDVDを借りて観たり…フォークダンスに行ったりと、今までとは違う生活を送っていたからだ。
別にどれも悪い事ではないのだが、善し悪しではなくて「楽しいか、つまらないか?」「好きか?あまり好きではないか?(嫌いではないので…)」を考えるようになった。

なぜ考えるかと言えば、心底楽しんでいない自分が、そこに居るから。それに時間的、体力的なバランスが取れなくなって来たからだ。これは私の個人的な気持ちの問題であって、「何をしていいか?悪いか?」との一般的な問題ではない。

では、自分が心底「楽しい」と「幸せ」を感じるかと言うと。。。
私の場合は「イエスさまの話をしている時」「イエスさまを賛美している時」だとあらためて思った。そして、こうしてblogにイエスさまの恵みについて書くのも楽しいし、詩を書くのも楽しいと思える。

私には、楽しいと思う事をする自由が与えられているのにも関わらず、過去や自分の思いに縛られて、何をしたら良いのか分からなくなってしまっていたのだ。

知らない内に縛られている事が、本当の縛りだと聞いた事がある。
例えば、賢い支配者は「支配されていると分からないように、他人を支配する」そうだ。
だから支配されている人達は、自分達が支配されているとは気付かないので、気づいた時には、身動きが取れなくなっていると言う。

私もイエスさまから与えられた自由を、もっともっと楽しもうと思う。
(今のところフォークダンスには、また行こうと思っている)

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「すべてのことは、してもよいのです。
 しかし、すべてのことが有益とはかぎりません。
 すべてのことは、してもよいのです。
 しかし、すべてのことが徳を高めるとはかぎりません。」
 (Ⅰコリント10:23)

疲れた。。。

2008年02月21日 | 家族
1日置き位に疲れが来る。

気持ち的には元気なのに、身体が疲れて動けない。
「あ~疲れた!」「あ~疲れた!」「あ~疲れた!」と言って寝る。
「イエスさま、疲れたよぉ~(>_<)」

以前、急性肝炎をした事があるので、つい手や顔を見ては黄疸が出てないか?観察する癖がある。食後にだるくなるせいもある。

でも、ほとんど場合一日ゆっくりすれば楽になるので、肝炎ではないと思っている。

頑張り過ぎて疲れる場合もあるが、病気的な疲れもあると思っているので、自分に負荷をかけないように、気付いたらすぐに余分なエネルギーを使わないように、休む事にした。

精神的に楽になってからは、「これは良いことだから頑張ってしよう!」と思うようになっていた。実際に頑張れば出来る事でもあったし。
以前のように、「全く頑張る余地もない!」のとは今は状況が違う。
だから、以前ならこの位だるかったら、気持ちも鬱的になっていたので、オークションの事やパソコン作業、blogの管理などは、はなから諦めていたのだが、ちょっとだけ頑張れば出来るので、身体が「ムリ~(*_*)」と言っても無視して作業を続けられる。

しかし、知恵深くあらねばならないと思い始めた。なぜなら、頑張りは高ぶりに繋がり易い上に、頑張りは自己満足に過ぎないと言う愚かさまで付いている。
もちろん、イエスさまの恵みによって、頑張って行く事は大切だとは知っている。

違いとなるのは、「恵み」の場合は心地よい疲れで、「我力」の場合は不快な疲れだ。

昨日はすぐにゆっくり休んだので、夜には楽になって有り合わせで夕食を作って、家族と話したり、テレビを見たり出来た。

昔のように若くはない。病気もしたし体力も落ちた。だからこそ、イエスさまの恵みによって毎日を天国に行く日に備えて、成すべき事を見極めながら生きて行きたいと思う。
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信仰の導き手であり、
またその完成者である
イエスを仰ぎ見つつ、
走ろうではないか。
(ヘブル12:2)

今日あるのは…

2008年02月19日 | 家族
このところ更新が遅くなっている。
その訳は、健康な人のように「風邪気味で寝込んでたので~」とかではない。

もうお分りと思うが、私の場合は「元気だったから!!」だo(^-^)o!

元気になった上に、恵みいっぱいで張り切ってバタバタしてしまった。
すると、ゆっくり寝ながら携帯から更新している私は、めっきり更新が遅れる。理由は、疲れてすぐに寝るから。。。(笑)

犠牲になっているものは、
「ゆっくりとイエスさまの事を思い巡らす時間」
「ゆっくりと本や聖書を読む時間」
「家族と楽しく過ごす、何気ない時間」

ヤバい!だから、木曜日には、腹痛になりかつ気持ちがパンパンになってしまった。
そこでクリスチャンとの約束をひとつ断って、予定してたオークションの仕事をやめて、2日間はゆっくりと休む事にした。

「めでたし…めでたし…パンパン!」
とは行かない。2日も寝込んでいたら、さえない気分になってきたからだ。

私にとっては、家族も友達もとても大切なのだが、イエスさまにと語り合う時、交わり程に大切なものはない。そして幸せな時もない。

こんな事はあり得ないが、例え全世界の人が、私を見捨てたとしても、私はイエスさまに見捨てられずに、愛され共に歩めるなら幸せだと思う。
現実には、素敵な家族と素晴らしい友人に囲まれ、祈られながら、感謝な毎日を送っている。

「一度顔を合わせると、離れられなくなるRちゃん!」
「教会に行くと必ず『ぴーちゃんに会えて良かった!』と喜んでくれる病気仲間のYさん」
「韓ドラを貸せてくれて、カラオケにも誘ってくれる、昔からのクリスチャン友達Hさん」
「ふざけた話しばかりしているが、祈ってくれて家事も手伝ってくれている夫」
「やたらと話しかけてくれるアニメ好きな息子」
「クリスチャン生活をエンジョイして、イエスさまに導かれている親孝行な娘」

こんな私が、こんなにも幸せでいいのか?とイエスさまがあまりにも私に良くして下さる事に、日々感謝が絶えない。
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しかし、神の恵みによって、
わたしは今日あるを得ているのである。
(Ⅰコリント15:10)

イエスさまの動機

2008年02月08日 | こころの健康
なにはともあれ、とても元気だ。

と言う当たり前の事に、深く感謝出来るのは、長いトンネルの暗闇を通って来たからだと思う。
もちろん、苦しい事ばかりではなかったが、満たされない虚しい、苦しい日々を過ごして来たので、光の中は気分が良い。

以前「わたしが苦しみに合った事は幸いでした。」と書いた時には、私もまだまだ苦しみの真ん中にいた。

体調不良と不安障害、動悸やパニック…。出口のないトンネルを、やっとで歩いているようだった。
しかし、イエスさまに祈る事が出来るようになってからは、苦しくても希望があった。そして、だんだん苦しみをイエスさまに委ねて歩めるようになったので、動けない位にしんどくても、それで悩む事がなくなって来た。

問題がなくなった訳ではない。問題が問題ではなくなっただけだ。
大切なのは、私の心がイエスさまに向いていて、イエスさまと一緒に生きて行く事。そして、イエスさまの愛に満たされて、周りの人達を愛することが出来たら、幸せだ。

イエスさまは私たちを、全ての悪から…罪から…不義から解放するために、来て下さった。
イエスさまはとても紳士的なお方だが、私たちを愛することについては、一心不乱に思える。イエスさまの全ての動機は、私たちへの愛だからだ。

これほどまでに、なぜイエスさまが愛して下さるのか?と言う本当に深い意味は、もしかしたら天国に行ってからでなければ、分からないかも知れない。