●○-風吹く街で-○●

簸川平野のど真ん中「風吹く街で...」
恵みに生かされてるクリスチャンぴーちの日記です。

古いパン種を除きなさい。

2014年05月30日 | こころの健康
新しい粉のかたまりになるために、

古いパン種を取り除きなさい。

(1コリント5:7)



夕べ聖書を読んでいる時に、神さまから教えられた箇所です。

「古いパン種を除きなさい」

は、普通は古い罪の性質の事を言っていると思いますが、

今の私の場合は、古い考え方を捨てなさいと受け取りました。

「古い考え方」と言うのは、私の心の奥深くに巣食っている

否定的で惨めな考え方です。

小さい頃から、悪い事が起きるのではないかと、

いつもビクビクしていたからです。

酒癖の悪い父と、気の強い母との壮絶な争いに怯えていました。

大人になってからも、いろんな事があって、

物事を明るく捉える事が出来なくなっていました。

そこには、もちろん誰のせいでもなく、自分の責任も沢山あります。

そんな周りと自分自身から、痛めつけられて出来た「古い考え」。

それを除くように、イエスさまが教えて下さいました。



では、具体的にはどうすれば良いの?って問うと、

一つの考えが浮かびました。

リラックスして気持ちの良い、肯定的な言葉を告白する事。

その前に、もちろん聖書の箇所の告白もしています。

詩篇91篇は、今週から毎朝告白しています。

それから、肯定的な告白をします。

例えば。。。

「とても気持ちが良い!」とか

「私は神さまに心から愛されている」

「良いことがたくさん起きる」

「神さまが私を楽しませてくれる」

などなど…思いつくままに書いて告白しました。



古い罪の性質は、固執していてこれを喜びませんが、

新しい命に生きるために捨て去りたいと思います。




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新しく与えられた生き甲斐

2014年05月16日 | 思うこと
ちょっと元気になると、毎日が暇になりますね~(^_^;)

病気の時には、辛いですが暇を感じる暇?もないからです。

せっかく生かされているのですから、生き甲斐を与えられるようにと、

切に求めてお祈りしていました。

以前は、ちょっと良くなると仕事に出ようかと考えましたが、

ある時から「それは私の人生には違う気がする」と思い始めました。

自由な時間を何に使うか?「何かイエスさまの事に使えたらいいな~」

と思うようになりました。

かと言って、バンバン行動出来る訳ではありません(T_T)




すると。。。あるクリスチャンのブログに目がとまりました。

題名は「おばあちゃんがやって来る」・・・って(笑

「おいおい、私ゃまだおばあちゃんじゃないですけどっ!(;一_一)」

そこには、聖書の中のアンナって84歳のおばあちゃんが、

毎日、会堂で祈りと断食をして神さまに仕えていたってあります。

おばあちゃんと言うのは、もう家の家事や育児などの煩雑さから解放され、

社会的責任から離れ、自由な時間が与えられているので、

「祈りに専念出来る環境」があるとの事。



そうそう、私も体力はないけど時間はあるよ~

と言うわけで、なるべく「祈りと賛美」に専念しよかと思いました。




(ルカによる福音書2:36~38)

また、アセル族のパヌエルの娘で、アンナという女預言者がいた。

彼女は非常に年をとっていた。むすめ時代にとついで、七年間だけ夫と共に住み、

その後やもめぐらしをし、八十四歳になっていた。

そして宮を離れずに夜も昼も断食と祈とをもって神に仕えていた。

この老女も、ちょうどそのとき近寄ってきて、神に感謝をささげ、そしてこの幼な子のことを、

エルサレムの救を待ち望んでいるすべての人々に語りきかせた。





アンナが、赤ちゃんであるイエスさまの事がよく分かったのは、

毎日、神さまとお話していて心(霊)の中に情報が入っていたからなんですよね。

よくお祈りしている人は、他人の必要や問題が分かりますし、

どんな働きをするのか?わかる能力が出来るらしいです。

その能力で人々に仕えることが出来るんですね。



そうだ!私も祈りに専念してお祈りによって、他者に仕えよっと。

これが今私に与えられた「生き甲斐」ってやつです(b^ー°)





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些細な見えない罪

2014年05月12日 | 思うこと
先日、ちょっとした事で神さまに指摘された罪がありました。

ある人が私を呼びました。

「ぴーちゃんっ!」

その時、私はとても疲れていて、

かつその頼まれる内容も分かっていたので、

私には煩わしく思われたので、

すぐに返事はせずに軽く「うん、いいよ。。。」と言いました。

本来なら、喜んで「なぁ~に~?うん、いいよ~」

と言うべきでした。



その事を、神さまは知っておられました。

疲れるのが悪い訳ではありませんし、出来ない事をする必要もありません。

でも、それは私にとっては「愛のない事」「不親切で意地悪な?事」だったんです。

そして、それは誰にも気づかれないような些細な事でした。

そう、心の奥の「心の在りよう」です。



私はすぐに「間違いを犯してしまった」と分かりましたので、

「イエスさまごめんなさい!申し訳ないです」と告白しました。

そして、イエスさまがそんな私の罪を赦すために十字架にかかられた事を、

心から感謝してお祈りしました。



(ルカによる福音書23:34)

そのとき、イエスは言われた、

「父よ、彼らをおゆるしください。彼らは何をしているのか、わからずにいるのです」。


の「彼ら」とは私の事だと感謝しました。


その事を通して、ある牧師先生のお話を思い出しました。

その方はとても温厚な人で、いつも穏やかにお話される方でした。

「私はね~イエスさまに咎められることがあるんだよ~。

それは、何かを言った事じゃなくて、言わなかった事を咎められるんだよね。」

その先生にとっては、誰かに忠告したりする事は苦手でしたが、

時々、神さまがそうするように言われてるのに、しなかったらしいんです。

その事は、その先生にとっては「従わない罪」でした。



でもイエスさまは、細かい事をチクチク言われる小姑のようではありません。

私がいつも穏やかであるように、私を変えたいんです。

いつも愛があふれ、喜びに溢れる人になるように変えたいと思っておられます。

私は自分で変わる事は出来ないのですが、

神さまが私を変えて下さいます。

その事に希望があります。愛を感じて感謝します。



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幼子の無邪気さと、大人の配慮

2014年05月10日 | 思うこと
主人の幼馴染に、人の良い方がいます。

とっても、あっさりしていて男らしい人です。

ただ、あまり気がつかない性格で、気遣いが苦手です。

スゴく良い人なのに、その気遣いが無いことで損をしておられるし、

また、時には気がつかな過ぎて周りに迷惑となる事もありました。

「良い人なんだけどね~(^_^;)」と主人。

「うん、良い人なのは分かっているけど、

みんなが迷惑してるのが分からないのもどう?」
と私。

無邪気なら、何をしても良いって訳じゃないですよね。



そう言ってたら思い出しました。

私は良い人じゃないけど、気がつかなくて人に迷惑かけたなーと。

テンションを上げ過ぎて、周りの人に配慮が無かった事がありました。

場所をわきまえずに、大声で喋ったり、

言わない方が良い事を言ってしまったりね~(~_~;)


そんな生まれながらの性格は、直してもらうより、

神さまに私を管理?してもらった方が一番!!!

幼子のように素直でありながら、大人の配慮が出来るように、

イエスさまの恵みの中を歩みたいものです(*^_^*)




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クリスチャン!!!

2014年05月07日 | 思うこと
みんなクリスチャンと言う名前は知っていると思いますが、

クリスチャンって最近の言葉ではなく、

聖書の時代の言葉なんですよ。

意味は、日本語訳では「キリスト者」ですが、

本当は、あだ名みたいなもんで「キリストバカ?」「キリストキチガイ?」

って雰囲気だったと聞いています。

当時、イエスさまを信じた人々の群れが、

あまりにイエスさまを愛し過ぎて?

「ちょっとオカシイんじゃない?」

って理由で、呼ばれるようになったとか。。。

最近では、アムラー(全然最近じゃないけど、笑)とか、

そう言う類いの言葉でしょうか?

また、もっと違う意味もあったようです。

どちらにしても、イエスさまに夢中だったんですね。



ちょっと最近思うのは、キリストバカは良いけど、

おバカなキリスト者にはなりたくないなーと。

すっごい似ているんですが、大違いですね~

自分の事を周りの人から、どんな風に思われるかは、

そんなに気にしていませんが、

自分によってイエスさまが、低く見られる事は、

申し訳ない気持ちでいっぱいになります。



以前、ハチャメチャな生活を送っていた頃に、

私をクリスチャンと見ていた人には、悪い事をしました。

その頃は、イエスさまの事があまり分かっていませんでした。

まさに「おバカなクリスチャン」でしたね~。

これからは、神さまから知恵をもらって、

賢いクリスチャン!!!になりたいです。




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同性に嫌われる女子

2014年05月03日 | 思うこと
インターネットニュースの中にこんな記事がありました。

「同性に嫌われる女子」

列挙される中で印象に残ったのは、

■やはりぶりっこは嫌われる!?■

って、項目。



そうそう、中学校の頃に男子の前では、

「きゃ~こわ~~~い」とか声のトーンが上がる子がいて、

女子には嫌われていましたね~

同性の友達は、あまりいなかったような・・・。

綺麗な顔立ちで、成績もまあまあ良くてスマートな感じでしたが、

その癖??のお陰で、友達が出来なかったようです。



では、何でぶりっこが嫌われるんでしょう?

それは、可愛いから妬まれていると言うより、

偽りが見え見えで、その性格の部分に触れると、

「気持ちわり~~~なぁ」と反応するからでしょう。

やはり偽りは、誰も嫌いなんですね。

どんなに可愛い子でも、同性の前と異性の前での態度が同じ子は、

そんなに嫌われていませんでした。

他のパターンで言えば、

「上司の前と、同僚の前での態度が全く違う人」って嫌われますよね。

人間ってやはり偽りが嫌いなんですね。




では、クリスチャンとして教えられる事は???

「良い人ぶりっこは嫌われる」でしょうか?

人に嫌われると言うより、神さまがちゃんと見ておられて、

そんな事しても、いずればれるって事です。

良くても悪くても「ありのまま」をイエスさまの前に出している人は、

スッキリしていて爽やかな印象を与えますよね。

口で言っている事よりも、その人から出てくるモノが大事です。

そのモノが、相手に良い印象も悪い印象も与える事になります。

ですから、神さまとの関係が大事なんですね~

なるほど、なるほど。。。





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隠れた事柄

2014年05月01日 | 思うこと
先日、礼拝中に、ふと過去に犯した私の罪を思い出しました。

今思い出しても恥ずかしく、穴があったら入りたいくらいでした。

でも、それらの罪は神さまと人との間に告白し、許されたものでした。

ですから、思い出しても全く動じる事もなく、

イエスさまの十字架の恵みに感謝しました。

昔は悪い事をたくさんして来たので、

隠れた事を見ておられる神さまが怖いと思った事もありました。

隠れた事は、いずれ明らかになると聖書にあります。

それが怖かったんです(^_^;)


(ルカ12:2 )

おおいかぶされたもので、現れてこないものはなく、

隠れているもので、知られてこないものはない。




神さまにそう言われると、ちょっと怖いかな?

でも、全てを知っておられるイエスさまの前に告白していれば大丈夫!!!

知らずに犯した罪も、気づいた時に告白して悔い改めればOK!

それでも以前は、隠れた罪を持っていたからビビってましたね~

今は、とりあえず良心の曇りが無いので良しとします。



ところで、この社会でも隠れた事って明るみに出されますよね~

食品偽造や、不正献金疑惑などなど…

表向きは良いこと言っていても、本質は必ず出て来ますね。

私も、祈り気をつけなきゃな~

ブログでは、いくらでも良いこと言えるもんな。。。





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